遠く凱旋門を背景に夕焼けが映え、天候にも恵まれ地の利をうまく生かし、飽きさせない素晴らしい演出のオープニングセレモニーであった。
トニー・エスタンゲット オリンピックの組織委員会の委員長の演説が始まって、オリンピックの時を知っているので 「チョッと小用」とトイレでゆっくり用を済ませて戻るとまだ演説が続いていて驚いた。
個人の喜びや感動なのでそれは批難しない。
ただ、些細なことであるけど、ある違和感を感じた。
それは国別選手入場の時であった。
アルファベット順で入場する事を告げられたが、開催国であるフランスが最後であった。その直前はEで始まるÉtats-Unis d'Amérique :アメリカ合衆国、そしてその前にAで始まるAustralie :オーストラリアが入場してきた時に何故この位置なのだろう?と疑問を持った。
両国ともかつてイギリスから独立した国である。革命と言う理念から両国への敬意と尊重が同盟意識につながりこの入場の特例になったのだろうか? 英国とフランスの確執がまだ続いているのか? 暗にそれを匂わせたか?と疑った。
彼らは会場の観客や先に到着している国々の選手から盛大に向かい入れられた。カメラワークも彼らをクローズアップしていた。
この光景を見て、嫌なことを思い出してしまった。
少し話が反れてしまうが、かつてわたしはサラリーマンであった。一族が経営する小さな会社に勤めていた。わたしは見本市のスタンドの設置・解体の責任を負わされていた。
見本市開催期間最終日に、関わったスタッフをねぎらう打ち上げが催された。一二度は有難く参加した。しかし、この打ち上げの真の理由は一族の無能な子息をこの見本市の責任者としてたて、成功不成功に関わらず賛美するために設けられたものであることを知った。
以来、パリに住んでいないために夜遅くなること、まだトラックを運転しなければならないこと、翌早朝から解体作業を控えている事などを理由に「あなた方だけでどうぞお好きに。」と断っていた。
彼らは私が頼んだ有能なスタッフは軽視した。
この偽善と茶番の席に同席することは耐えられなかった。
オープニングセレモニーを見ていて似た感情が蘇った。
こういうことを言えばもしかしたら、わたしは根っからの日本人気質なのかもしれない。
- 開催国は接待に徹しなければいけない。
- 何故招待国を散々待たせ、開催国が勝利の凱旋のごとく喝采を浴び入場するのだ。
- 本来なら初めにつつましく入場を済ませ皆を受け入れる状況でなければならない。それが招待している立場の側がとる態度であろう。
そんなことを感じてしまった。
3年前の東京オリンピック・パラリンピックでは「おもてなし」と言っていたくらいだからまさかこんな接待はしていないだろう、と調べてみたら。
ややっ !
...
204 アメリカ合衆国(2028年開催国)
205 フランス(2024年開催国)
206 日本(開催国)
なんと全く同じであった。
事情も知らず勝手な事を書いてごめんなさい。
そして次期2028年開催国はアメリカ合衆国ロサンゼルスで、その次の2032年がオーストラリアのブリスベンだったんですね。
なんか深い政治的な理由があるわけではなかった。疑ってごめんなさい。