ここ数日、少し根を詰めアトリエに引きこもって悶々と、無意味かもしれないと思う制作をしていた。発想が消えてなくならないうちに仕上げてしまいたいからだった。

今後の結果はどうあれデーターの送信を午前2時に済ませ一段落した。

 

比較的早くに目が覚めた。とは言っても、もう8時半。

寒暖計が16℃を示していた。でも晴天だ。

なので農具一式を抱え庭に出た。

出ては見たものの農作業をはじめる気が起こらない。木陰に設置されてるガーデンチェアーに座り、背もたれを倒し、ボーっと空を眺めた。

 

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 ここまでがスマホで打たれた文章。

 で、これからが一日の農作業を終え、日が沈もうとし、蚊の活動が活発になり、もうそろそろ室内に非難しよう、それで久しぶりに酒でも飲もう、と言う環境下でパソコンで打ち始める文章。

 なので、ろれつが回らないような文章がつづくかも知れませんがご容赦ください。

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 本来、時系列を順序だてて結論を最後に述べるのが適切なのでしょうが、もうだいぶ酔いが回って忍耐力を失っているから、結論を先に言ってしまうと、「諦めていた三つ葉が発芽した。」です。

 

 ドストエフスキーの素晴らしいところは、あの「罪と罰」で犯人は最初から分かっているのに最後まで読まされてしまうとこです。内容はもうすっかり忘れてしまいましたが、少年時代に完読し感動した記憶があります。

 ヴィクトル・ユーゴは文豪なのでしょうが、「ラ・ミゼラブル」は最後まで読み進むことができませんでした。何故かと言うと、あれは歴史書の類です。歴史に興味がないわけではありませんが、「さあさあ、ジャンバルジャンこれからどうなる?」と読者(ぼく)は次の展開に期待に胸を膨らませている矢先に、さてこの時代背景はと展開が切り替わりフランス史が永遠と語られるのです。ジャンバルジャンの物語が10ページだとすると歴史背景的内容はその数倍に上るのです。大阪の友人の表現を借りると多分「知らんがな。」です。

 読み終えられなかったもう一つの作品があります。多くのフランス知識人が賞賛するマルセル・プルーストの代表作「失われた時を求めて」です。確かに出だしのカフェでクロワッサンとコーヒーで物思いに耽る雰囲気、あのよくある当たり前の情景描写からの展開には魅了されました。でもぼくの持つ感受性には限界があったようです。大阪の友人の表現をまた借りると多分「どうでもいいがな」でしょう。

 あっ、ごめんなさい。ぼくごときが文豪の批評などしてしまって。

 そして話が反れてしまいました。

 

 三つ葉の事でした。

 三つ葉は多分、多年草です。

 

...(調べてみます)...

 

 ミツバ (三葉) セリ科ミツバ属の多年草で、学名は Cryptotaenia japonica。

 

 確かに多年草でした。

 ここ数年の経験で話しますが、霜が降り始める直前に室内に避難させれば、プランターでも生育を続けられます。

正月の雑煮には三つ葉は必要不可欠でありますよね。

 フランスにいても雑煮がないと年を越した気がしません。ちなみに、ぼくは東京出なので、醤油を数滴たらした澄まし汁の中に焼いた切り餅を落とす雑煮が究極の雑煮と感じています。具はネギと三つ葉程度が最高です。鶏肉とか蒲鉾とかを加える家庭もあるようですが、我が家が貧しかったのか、母が鶏肉を嫌いだったせいなのか、の判断は既に他界してしまっているので真実は確かめようがありません。

 なので大事に管理していました。

 が、

 今年も無難に冬を越し、春先に新芽が現れ、日の光を当てようと屋外に出すと、憎っきナメクジの被害にあって全滅してしまいました。一晩でやられました。

 

 さてこの頃、フランス政治情勢は不穏な空気が立ち込めていた。

 ヨーロッパ議会選挙を間近にマックロン大統領率いる与党チョット右寄り中道政権に国民からの批判は高まり、それに便乗した極右政党党首マリー・ルペンは支持を強力にし、政権交代をもくろんでいた…

 

 みたいに話の展開を変えちゃうと、やっぱりいそりや嫌ですよね。

 第一ぼくは無関心で全然知らなかったし。

 

...疲れたので寝ます。

 

 明日、勇気があったら、書くことを覚えていれば、またつづきを書きます。

 

 じゃ、