偽善。

 フランス語で表すとhypocrite。確認の目的でDeepLで翻訳を頼むと「空々しい」と訳された。

 なんかまあこの「空々しい」という表現の方がしっくりする印象を持ったので、一個人の経験で一般論として成り立つかどうかわからないけど、チョッと考えてみた件。

 

 かつて働いていた職場で同僚が辞め、その時のもめ事を知っていて、端的に言えばは経営者が経営上の都合で彼のクビを切ったと言うのがぼくの認識なんだけどその時の経営者の言い草が「彼もまだ若いし、将来のことを見据えて良い結論を下したと思う。」みたいなことを言っていたものだから、偽善者なんだけども、偽善者と言い切るのも違和感を抱いていて、マッチする言葉を探していた。

「どの口が言う」とか「まあ、なんと空々しいことを言う。」で良かったんだな。そう今は思う。

 

 言語に話を逸らすと、フランス語には名詞に男性形、女性形また冠詞というのがある。ぼくはこれがチョッと苦手(本当はこれだけじゃないけど)で未だにうまく使えない。例えば上記の経営者は女性で、

 

  • Elle est hypocrite.
  • Elle est une hypocrite.
  • Elle est l’hypocrite.

 

と三通りの記述ができるのだろうと思う。

 ところが、まず冠詞 ( un, une, le, la) が必要なのかどうかを迷う。  

 この問題は文章を構成する時重要で、ちゃんとしないと知性を疑われてしまう。

 もし日本語で「彼女偽善者。わたし怒ってる。もう、嫌!」みたいに助詞を省いても、ある程度意味は通じる。だけど「あっ、こいつ馬鹿だな。」という結論を下されてしまう。

 馬鹿だと思われること自体はそれ程苦痛を感じないけど、一生懸命書いた書いた文章を取り扱ってもらえないのは困るからである。

 フランス語の冠詞は日本語の助詞に匹敵するかもしれない。

 

 で、上記3つの文の微妙なニュアンスの違いがぼくには曖昧なので、生成AIに尋ねてみた。以下回答。


まず、3つの文の意味はすべて同じです。つまり、「彼女は偽善者だ」という意味です。
しかし、それぞれの文には、微妙なニュアンスの違いがあります。

「Elle est hypocrite.」は、最も一般的な表現です。

主語の「Elle」に直接形容詞の「hypocrite」を付けています。この表現は、客観的に事実を述べているような印象を与えます。 * ニュース記事や論文など、客観的な事実を述べる場合に使用される。

具体的な例を挙げると、以下のような使い分けが可能になります。

「彼女は、環境保護を訴える一方で、自分は豪華な生活を送っている」

「彼女は偽善者だ。彼女は他人に優しく言っているが、本当は心の中では悪く思っている。」

 

「Elle est une hypocrite.」は、形容詞の前に冠詞「une」を付けています。この表現は、主語を強調するような印象を与えます。つまり、「彼女は偽善者である」というよりも、「彼女は偽善者というタイプの人間である」というニュアンスになります。 * 日常会話や小説など、主語を強調したい場合に使用される。

具体的な例を挙げると、以下のような使い分けが可能になります。

「彼女は、いつも他人の悪口ばかり言っている、典型的な偽善者だ」

「彼女は偽善者だ。彼女はいつも正義の味方を装っているが、本当は自分の利益しか考えていない。」
 

「Elle est l’hypocrite.」は、形容詞を定冠詞「l’」で修飾しています。この表現は、主語をさらに強調するような印象を与えます。つまり、「彼女は偽善者である」というよりも、「彼女は偽善者であるという点で唯一無二の存在である」というニュアンスになります。* ドラマや映画など、主語をさらに強調したい場合に使用される。

具体的な例を挙げると、以下のような使い分けが可能になります。

「彼女は、この物語の悪役であり、唯一無二の偽善者である」

「彼女は偽善者だ。彼女は本当に最低な人間だ。」

もちろん、これらのニュアンスはあくまでも一般的なものであり、具体的な使い方には、文脈や話し手の意図などによって、さまざまなバリエーションがあります。

 

だそうだ。

 

 かつてぼくの勤めていた会社の経営者はどうだったのだろうかと、思いをはせてみた。

「彼女は、環境保護を訴える一方で、自分は豪華な生活を送ってい」たし、

「彼女は偽善者だ。彼女は他人に優しく言っているが、本当は心の中では悪く思ってい」ただろうし、

「彼女は偽善者だ。彼女はいつも正義の味方を装っているが、本当は自分の利益しか考えていな」かったと思うし。

 

 なので冠詞を付けても付けなくともどっちも可能だ。でも付けるとしたら une だな。

 補足だけど彼女の企画する偽善クリスマス会に結局一度も参加しなかった。

 

 どうしてこんな事を考えたのかと言うと、最近ネットニュースで話題になっている記事に「日本の政治家の裏金問題」があって、法的にどうこうが問われていると思うんだけど、そんなことはもうどうでもよくって、ってどうでもよくないらしいけど、要するに彼らは皆一様に偽善者で空々しくあったんとだろうな、と改めて事実を認識しただけだけど。

 

 最後に「偽善者だ。」と「まあなんと、空々しい。」のニュアンスに関して感じた事を書いてみます。

「偽善者だ」と断定することは一見糾弾するような強い口調ではあるけども、対象に要求改善改革の余地を与えるときに使われ、情熱が感じられる。一種の愛情すら感じられる。

 

「まあなんと、空々しい」は冷めた諦め感が漂っていて、もうあなたとは関わりませんよ、視界から消えてくださいと言う感じだ。

 

 日本に限らず、どの国でも、いつの時代でもある問題だろうけど、日本社会変わんないなと言うのがこの事件の第一印象です。