ジョットのことをあれこれ書こうと思ったけど、考えてみればよく知らないし、人類の叡智の積み重ねをAIが集約して上手に書いてくれる時代になったから、調べて書いても知ったかぶりになるのでやめた。

 

イタリア北部ヴェニスから電車で約30分の所にパドヴァと言う地方都市があって、その駅から15~20分くらい歩くと左にスクロヴェーニ礼拝堂がある。

観覧は有料で30分と時間制限が設けられていて、15分別室での待機。実質の観覧時間は15分であった。

急かされている様で焦ってしまって、落ち着いて見た気がしなかった。

少し補足すると、ジョットより少し前の時代に描かれたイコンに見られる聖母マリアとキリストは神秘厳格と言うよりは怖さを感じるのに、ジョットの描く人物の表情はコミカルで好きだ。

各々の画面に漫画のような吹き出しを考えながら見ていたので、よけい時間が足りないと感じたのかも知れない。

 

 

午前中は窓からの逆光でハッキリ見えなかったので、午後に二度見した。にもかかわらず、やっぱりパロディー的な台詞ばかりを思い浮かべて、落ち着いて壁画を観覧する事はできなかった気がする。

 

スクロヴェーニ礼拝堂のジョットによって描かれたフレスコ壁画は(他の類にもれず物語形式になっている)祖父母にまで遡っている。

絵本、漫画のようにその場面を絵で示して時系列で並べれば聖書の教えを覚えやすいし、記憶にも残りやすい。

 

今更こんなことを言うのも照れるけど、絵画(ビジュアルアート系)の本質はこの簡潔性じゃないか?

言葉で補うコンセプトアート系は本末転倒っぽいとあらためて認識した。