夜も更け、窓を開け放し風通しを良くし、日中にこもった熱気を開放する。
すると、こんな田舎の部落でも屋外から音楽が入ってくる。花火の爆音も聞こえる。
年寄りしか住んでいないのかと思っていたけど、案外若者も住んでいるのかな?
それとも、年寄りでもするのかな?
静寂が訪れた。時計を見ると午前3時を回っていた。
そして、風が木の葉を揺らす音が永遠と聞こえる。他人事ながら、祭りの後の寂しさを感じる。
今年の夏至は火曜で、きっと前倒しで土曜に行われたのかもしれない。
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La Fête de la Musique
1981年10月、フランソワ・ミッテラン大統領の下、文化大臣ジャック・ラングは、モーリス・フルーレを音楽・舞踊のディレクターに任命して、「音楽分野での革命」を主張し、ジャンルやヒエラルキーなしに、すべての音楽を集め、「音の解放、酔い、めまいは、芸術よりも本物で、親密で、雄弁である。」(ちょっと、意味分かんないけど)「音楽はどこにでもあり、コンサートはどこにもない」という新しいコンセプトの礎を築いたらしいです。
1982年、文化省の調査研究部門が行ったフランス人の文化習慣に関する大規模な調査で、2人に1人の若者を含む500万人が楽器を演奏していることが明らかになったらしいのですが、それまで企画された音楽イベントはフランス人の少数派にしか関係なかったので、その結果、ジャック・ラングや、彼の内閣のメンバーであった建築家・舞台美術家のクリスチャン・デュパヴィヨン、モーリス・フルーレらは、フランスにおける音楽実践の風景はまだ発見されていないと推論し、彼らはすべての音楽家が自分を表現し、存在をアピールできるような一大大衆イベントを思い描き、1982年6月21日、北半球の夏至の日に、第1回「音楽の祭典」がスタートした、という顛末。
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その時ぼくは何をしていたんだろうと記憶を呼び起こして見ると、まだパリに住んでいた時分で、確か外が妙に賑やかだったので出てみると、ケバケバしい姿の女装した男性陣に言い寄られ、「ああそうだった、ここは夜になると男娼街に変貌するのだった。」ということをその時はすっかり忘れていて、「童貞だし、最初が男は嫌だな。」と言う恐怖で即座に戻って屋根裏の部屋に引き篭もって震えていた事を今だ脳裏に焼き付いて、思い出したらちょっと笑った。