かつて通勤電車の往復通常約3時間、思い付くままにスケッチされた「武蔵と清十郎」
吉川英治の「宮本武蔵」全八巻?を子供の頃、夢中になっていっきに読んだ。
子供と言っても14~15歳の頃で、そんな幼少でもないのだけど、老いた今の自分にとっては15歳の自分は子供である。
でも、現在の14~15歳の人たちを、子ども扱いしているわけではないので、そこんところはご了承願います。若者に「このジジイが俺らの事をバカにしてるぞ。」と思われてはちょっと厄介なので補足まで。
本当の宮本武蔵はどういう人なのかは知らないが、小説の中の宮本武蔵は、ぼくが歳を重ねるうちに、「ちょっとお付き合いを避けたいタイプだな。」と思うようになった。
例えば、一番目の被害者、吉岡清十郎さん。本名はウィキペディアによると「直継」と言うらしいけど、試合なんかやりたくないと言っているのに、しつこく人んちに押しかけてきて「しないんなら、お前は弱虫だと世間に言いふらす。」と脅迫まがいな行動に出た挙句、メタ糞にされてしまう。踏んだり蹴ったりである。
弟だって、そりゃ、兄ちゃんがいじめられたんだから文句の一つも言いたくなる。そしたら返り討ちである。
ここまで来たら、家族だって黙ってはいられない。
「おいっ、いい加減にしろよ。」
と言いたくなる。今だったら絶対言う。「何の恨みがあって吉岡家を目の敵にするんだ。」と。
で、一家総出で武蔵を招集したら、幼い甥?までぶっ殺されると言う終末。
こんなキチガイに関わった吉岡家が哀れと言ってしまえばそれまでなんだけど、なんか吉岡家、もうちょっとこのキチガイの対応にうまいやり方がなかったのかと疑問に感じてしまうのは、現代に生きている所為なのだろか?
偉大な作家であると評価されている「故吉川英治」さんに、もしあなたが「宮本武蔵」を史実を踏まえてそれなりに評価しているのなら、現代の感覚ではあなたの表現にはかなり無理がありますよ。と、ぼくごときがあえて言いたい。