ここに書いていることは

ただの吐き出しで。

それ以上でも以下でもないけど。

書けない事や強がりや自分への檄はあっても

嘘は書いていないつもりだったけど。


暇すぎる病室で少し読み返して。

嘘を見つけた。

ブログに嘘というより

頂いたコメントへの返信に嘘を書いた。


芯を食ったようなコメントを頂き

返信に躊躇したことを思い出しました。

6月3日だったから尚更。



"あなたが辛いと思う事を

その人は本当に願っていたのでしょうか。

叶えて欲しいと思って願っていたのでしょうか。

もし願うのなら、叶えて貰うんじゃなくて、

一緒に叶えるがいい。"


ワタシはとても疲れ弱っていて

頂いたコメントのように

あの人が思ってくれていたらと

心が揺れました。

あの人に電話を掛けようと何度も何度も

携帯を手に取りました。

メールを打っては消してを繰返しました。


何を伝えたかったのか、話したかったのか

覚えてはいないけれど。


このブログを書いた5月に

女の身体は閉じたと宣告されました。

その前の日に「電話くれてもいいんだよ」と

ワタシの終わりの始まりの言葉を

誰かに残した

あの人からの間違い電話がありました。


誰かから掛かってくる電話を待つあの人に

「いらない。」と云われたワタシが

「うん。」と云われたワタシが

頭にハゲを作った閉じたワタシが

連絡をすることは出来ませんでした。


あの人は

「二度と会えなくても話せなくても

ワタシはいらない。」と云ったのだから

それでよかったのだけど。


"大切な大事な人は

付き合っていた人という訳ではありません。"

と嘘の返事を書きました。


"父親は誰か分かりません"

と流産の手術の時に家族に残した

手帳に書いた嘘と同じ。


いつからか、或いは初めから

あの人のことを誰かに話すとき

ワタシには嘘が必要になった。


噓は噓で隠すしかない。

噓に終わりはない。

噓で守った噓が

結局は自分を壊していく。


自分を惨めに虚しくする嘘は

もうつきたくないのに

ワタシはあれから"なりすまし"でしか

存在出来ない。


せめて

ワタシの嘘で誰かの大切な何かを

壊したりせず

守れていたらいいなと

ぼんやり考えた。