「なんであの時言ってくれなかったの?」


同じ言葉も立場が違う同士で口にすれば

ただ殴り合う言葉になる。


「元気にしていると思ってた」

「幸せに穏やかに暮らしていると思ってた」


関わりない人間に対する想像力を思えば

そりゃそうだと思う。


いかに普通に振る舞うか

周りに気付かれないか

その事にワタシは全力だったから。


罪や病んだワタシを

誰にも知られてはいけないと必死だった。

ひとりで抱えるには重すぎたけど

一生ひとりで抱えようと必死だった。

自業自得だし

誰かに半分抱えて欲しかったわけじゃない。

だから「元気にしていると思ってた」

というのはある意味

「知られたくない」「知られてはいけない」

と演じて"なりすまし"のワタシが

大成功だったと言うことでしょ。


日常の中で

「家族の調停役のワタシ」

「社会人のワタシ」

「健康的なワタシ」

いろいろなワタシごっこをして

「平気なワタシ」のなりすましでいる内に

なにをどうしたいのか分からないワタシが

出来上がってしまったけど。

大成功だったと言うことでしょ。


「なんであの時言ってくれなかったの?」


振り払われたと感じた手を

差しのべていたというの?

「互いに背を向けていた」って?

ワタシは遠くなる背中を見ていましたよ。

互いじゃないでしょ。

前提が違うことはどこまでも交わらないよ。