生きている限り歩き続けなくてはいけないなら

生きる意味なんて考えすぎると

迷子になってしまう。

けれど意味がなければ、分からなければ

迷子になって歩けなくなる。

だから

「今夜は本を読んでみよう」とか

「明日は新しいクッションを作ろう」とか

「来週は映画を観に行ってみよう」とか

"少し先"生きる理由を持ちたかった。


大それたことじゃなく

ありふれたことに

幸せを感じていたから

輝かしいこととかじゃなく。


その小さな理由や

誰かを想って噛み締めていた

幸せや喜びの記憶が

「人生の足元を照らす灯火」

になると思っていました。


だから、ひとりになっても

歩いて行けるし

暗闇に怯えることはないと思っていました。


消えるはずがないと思っていた

思いの記憶が消えた。

それはワタシにとって大切な灯火だった。


光を求めて必死に手を伸ばしたけど

触れることはなくなって。

自ら発光できるだけの力もなくなった。


暗闇にひとり。

歩く道も見えなくて。

暗闇に目が慣れて見えたものは

惨めさと虚しさと

自分の愚かさだけでした。


だからこの先もきっと真っ暗闇なんだろう。

人は歩く先に光を求めるのかもしれない。

足元を照らす光を求めるのかもしれない。


ワタシは

暗闇を歩く時

振り返って見える灯火を求めていました。

戻れないけど

振り返れば見える遠くの灯火に守られて

歩きたかった。

気が付いた時には灯火は消えていました。


たかが思い出と笑われても

それに救われる人もいるんです。

人生の喜びの思い出を

何十年も前に見て感じた思いを

ずっと心に刻み続けてる人もいるんです。

思いの記憶ってそうしたものじゃないのかな。


一緒に食べたコンビニスイーツの味や

心地よく吹いた風とか

そういうありふれた贅沢だった時間を

夜寝る時に思い出して

優しい気持ちになって

寝て起きたら、次の日が来る。

そんなことをワタシはひとりになった時に

願っていたし、叶うだけの思い出はあると。

ワタシには思い出が足りてると

思っていました。


授かれた命は

そういう確かな思いの元に

ワタシに届いたのだと

疑わず信じたまま

消えたかったのに

灯火は消えてしまいました。

消えた理由は分かっています。