どう生きても何かは失う。

だから、何が欲しいかではなく

失いたくないものは何かで

ワタシは生きてきました。

失いたくないものを大切にしてきました。

前向きじゃないとか云われても

未練が残っても後悔はない人生の方を

選んで生きていたつもりです。


何度も何度も

あの人はワタシから去ったけど。

その度にワタシは苦しかったけど。


いつか、二度と会うことも話すことも

失くなって離れることになったとしても。

「人生の中でこんなに大好きな人と

過ごせた時間や日々がある。」

という事実がワタシの心を

死ぬまで守ってくれると思っていました。


だから、ひとりになることが出来ました。

勿論、自身の犯した罪や繰り返した過ちを

人に隠していかなくてはいけないという思いはあったけど。


少し開けた窓から心地いい風が入ってきて

カーテンが優しく揺れていて

次に聞くCDを機嫌よく選ぶあの人を

眺めて居られた平穏な時間や。

スガシカオの声を

2人で目をつぶって聴いた霧雨の夜に感じた

同じ世界に居られる安堵感や。

隣でぐっすり眠れる安心感とか。

幸せでどうしようって涙が出る感じとか。

あぁ好きだなぁって

心の底から思う感じとか。

多幸感とか、無敵感とか。

この人を好きな自分が好きだなと

溢れた感情とか。


そんな思いの記憶が

死ぬまで守ってくれると思っていました。


そんな風に思える人の

子供を授かれた事は

ワタシには幸せだったし希望でした。


希望って

誰かを思う時に感じるんじゃないかなって

誰かに会いたくなる事なんじゃないかなって。


だから。

子供に会えなくなって。

あの人に会えなくなって。

誰かに会いたいという気持ちが失くなって。

ワタシは希望を失ったのかもしれない。


ワタシは好きな人を

好きなままでいたかった。

思いの記憶があれば

ひとりでいられると思っていた。


嬉しかったとか幸せな思い出が

辛いことや悲しい記憶に

上書きされるなんて

あっていいはずないでしょって。


少しずつ失っていったのか

あの夜すべて失くしたのか

分からないけど

思いが果てたと感じた日は覚えている。

失いたくなかった記憶を失ったことに

気が付いたのは自裁した日。


亡くした子供や殺した子供に

(お母さんはお父さんのこと

大好きだったんだよ)

と話しかけられなくなった。


「なんでこの人を

好きになってしまったのだろう」

と思ってしまうような終わる関係に

子供の命を巻き込み犠牲にしてしまった後悔は

生涯消えることはない。

何かで上書きできるようなことでもない。

まして、ワタシはそれを繰り返したのだから。


死ぬまで守ってくれると思っていた

暗闇の中の光の記憶を

ワタシは失いたくなかった。

それが保身やエゴだとしても。

自分勝手に捏造した思い出だとしても。

あの時気付けなかったことに

消されたくなかった。