2020年始まりましたね😊

さてさて、どんな一年になるのかな?と思っていましたが、1/12 15時11分の集団瞑想に参加してみました。

まず、瞑想って良いものだって情報はたくさんあっても、なかなか一人で出来ないってことあります。

私も一人で瞑想するっていうと、なかなか重い腰があがらないから、なかなかやらない。

今回の集団瞑想についても、集団で瞑想してどうなるか?ってことはあまり考えていませんでしたが、せっかく星の配置も素晴らしいようだし、みずがめ座の時代になるにあたり、良さそうな瞑想だったので、気楽に参加しようと思ったのです。

で、実際参加してびっくりしたのですが、エネルギーのことがわからない私でも、この瞑想中は素晴らしく気分が良くて、この瞑想を終わらせたくなったんですよね。

凄いことですよ、瞑想を終わらせなくない感覚があるって😆

凄く気分が良くて、みずがめ座というのは、こんなに気分の良い時代なのか、ずっとこのみずがめ座の時代に浸っていたいというのか、集団瞑想している方の光のエネルギーですかね、うっとりする居心地の良いエネルギーでしたね。

自分でも瞑想を終わらせたくないって気持ちになる瞑想を体験したことがなかったので、良い経験でした。

この集団瞑想の効果がどうなのか?ということよりも、集団瞑想した時の感覚は素晴らしく良かったので、多くの方が参加したのではないか?と思ったのです。

このみずがめ座の時代が、これから始まるにあたり、良い経験をさせてもらいました✨😊✨

良い年始めの集団瞑想となりました。

これからの時代が自由なのに調和や愛や豊さで溢れていきますように💖💖

全ての人が幸せを感じて生きられる時代になりますように🌈✨🌈✨
TOMOです。

私なかなか子どもと遊べないのです。

一緒に遊ぼうとしてもつまらない気持ちが先に出てしまうから、いそいそと数分で、その場から逃げてしまう。

どんどん子どもは、私を遊びに誘わなくなったし、夫は子どもと遊ぶのが上手だから、子どもも夫に声をかけるようになる、こんな循環で回っている我が家です。

私はなんで子どもと遊べないんだろう。
そもそも、私もお母さんに遊んでもらった記憶はない。

でも、やっぱり子どもと遊べたらいいなとか時々思ったり、きっと、遊べない自分に罪悪感が少しあるんだと思う。


ある時、5歳の娘に「ママは○○ちゃんと遊べないママでごめんね」って言ってみたんです。


そうしたら、娘が「大丈夫だよママ。ママは「入れて」って言わなくても遊びに入っているからね、いつでも入りたい時は入ってきていいからね」


いつも娘は、知らない子と遊ぶ時に「遊びに入~れ~て」と声をかけます。結構何度も「入~れ~て」と言って、入れてもらえることもあれば、スルーされることもあり、知らない子と仲良くなる時は「入~れ~て」って言葉でした。


ママは遊べないって言うけど、ママは入れてって言わなくても、いつも同じ空間にいるし、いつでも一緒に遊んで良い存在なんだよと、
私を全肯定してくれたんです。

なんか、この言葉を聞いて
凄く嬉しかったです。


そうか、同じ空間にいるだけで、
一緒に遊んでなくても、
別々のことしていても、
娘からは全肯定されているだな。

いつでも遊びに混じっていいから、気楽に遊びに来なよ、ママって言葉に聞こえました。


娘は遊んで欲しい時は、遊んで~と声をかけてくるし、見て欲しい時は、見て~と声をかけてきます。

産まれてから、五年の間に
私と娘の程よい距離感はもう出来ていて、

罪悪感から、遊ぶんじゃなくて、娘と遊びたい!!って心から湧く時に、遊べば、もう十分なんだなぁと感じましたおねがい



子どもと遊べないママってどうなのよ?の答えは、、、

子どもはママのことよくわかってくれていて、そんなママも全肯定ってことでした💖💖

遊べないママは、遊びでは活躍どころはないけれど、ハグしたり、愛ある言葉をかけたり、自分に出来ることで娘と愛ある関係を築いています。

例えば、娘がズボンの股の部分をハサミで切って頭から被って「ママ見て、お洋服作った!!」と言えば、そのお洋服を絶賛したり(笑)

曲とともに、独創的なダンスをしていれば「天才!!」と褒めたり(笑)

結論、母の愛さえ伝わっていれば、もう十分なのだと思います😍😍

TOMOです。

最近、太陽の光が強くて、外で浴びる太陽で、すぐに幸せになります。

仕事先で、高齢の母を看ている息子さんと話をすることがあります。その高齢の母を看る前から、アニメの背景を書くフリーランスの仕事をされているのですが、なかなか仕事が来なくて、一年に一度、アニメの背景を書く仕事が来る程度だったんですね。

で、母親の年金と息子さんの貯金でなんとか生きてきたんです。

その息子さん、今年の夏頃から、もともと絵が好きなので、仕事でなく、趣味で絵を書き始めたんです。

私が毎週訪問看護に行くたびに、新しい絵が出来ていて、私は勝手に感想を言い続け、もっと、こんな絵が見たいとか、家に飾るなら人物の絵より自然の絵がいいですね、とか、毎週、毎週、絵の話をしていたんですね。

ある時、その息子のお母さん(利用者さん)から「息子の絵を買ってあげてよ」と言われたんです。

でも、私は好きでもない絵を、義理で買うような人ではないので、まぁ、気に入る絵を書いたらねって思っていたのです。

そんなことを数ヶ月続けてきたところ、
ある日、凄い素敵な絵を書いてくれたのですね。

それは、本当に素晴らしい絵だったので、欲しいなぁと思って、三万円で買いました。

息子さんとは会う度に、絵について語りつつも「で、息子さんは今後どうなりたいの?」と良く話していたのです。
息子さんは「画家になって、個展を開くとか、画集を出したいなぁ」なんて、話をしていたんです。

毎週、毎週、息子さんの絵は洗練されていき、益々上手になっていったんですね。

それでも、他人に見てもらう機会もないので、家の壁に飾って、この絵いいよね~とか、この色いいね~とか、この馬の顔いいねぇ~とか、褒め続けて、訪問看護終われば、息子さんの絵の鑑賞会していたんですよ。

息子さんは、息子さんで、いつもいく病院で医者に絵を見せたり、アニメの知り合いに絵を見せたりしていたんですね。
息子「でも、皆、いいねとか言うけど、買いたいって人はいないんですよ」と言っていたのです。だから、絵は増えるけど買った人は私だけ。

今日、息子さんが一年ぶりに行った眼科で、そこの看護師さんに「○○さんですね!一年前に声を掛けようと思ったけれど、タイミング逃してしまって、、あのアニメの背景の監督されてましたよね?お話したかったんです!」と声をかけられたんですって。それでその息子さんの書く絵が好きだとか色々話が盛り上がったとのこと。

また、その眼科の先生も芸術的なものが好きらしく、「この絵を待合室とかに飾りたいなぁ」「ここには、芸術家の人も来るし、この絵を皆に見せてあげたいなぁ」と言ってもらったとのこと。

また最近、他の知り合いの人に絵を見せたら、「凄く良い絵ですね、上の人にもかけあって何か出来ないか、言っておきます」と言われたり。

12月に入ってから、こんなことある?という展開になっています。

私のことではないけれども、この息子さんの絵は本当に素晴らしいから、世に出したらいいよねって、二人の世界で盛り上がっていたことが、少しずつ世の中に出ていきそうで、この話を聞きながら自分のことのようにウキウキしてしまいました。

全ては、ギフトですね。

他人のことでも、自分と同じように嬉しくて、幸せに感じる。

昨日娘が熱が38℃あって、もう全て体に良いものを与えて、早く眠ったら朝には熱が下がっていて、今日保育園に行けた。

それだけで
いつも当たり前に保育園行くだけの日々と一緒なのに、感謝する日になってしまった。

そして、今日訪問先でお歳暮のようにお菓子戴いたんだけど、公園でお昼を食べていたら、何かそれをシェアしたくなって、知らないおじさんや、親子にあげたり。いつもは、やらないことやってしまうって自分は満たされていて、

その満たされているものを人ともシェアしたくなる自分、愛の純度が上がっているのを感じました。

これも太陽のお陰かもしれないし、息子さんの話を聞いたからかもしれない。

それでね、あー幸せだぁなんて公園で太陽見ていたら、保育園から電話があって「子どもさんの熱が39.6℃あるからすぐに迎えにきて」とのこと。

まだまだ仕事あるから、お母さんにお迎え頼んで、私はいそいそと仕事へ。ちょっと子どもが熱でお迎えって言われてしまって、、いつもより少し早くに訪問ごめんなさいと謝りつつ、
利用者さんも「今日は、これくらいで良いから帰ってね。早く看病してあげてね」とか、色々愛あるお言葉いただいて、有り難く。

そして、病院へ行けば「水疱瘡です。どうしてワクチン接種してないの!看護師なのに殺人的ですよ。今、ワクチン接種していないと小学校にも入れませんよ。」と怒られて。

まぁ、もうこんな幸せな日に、なんだか全ての私を否定された気分になりつつ

これも愛からきているし、これも私にとって最善なんだよなぁと思った。

そして、お友達にも報告したら、また皆の愛ある言葉に有り難くなり、

父親に来週水曜日までに水疱瘡がよくならなかった時の育児をお願いしたら、「息子の面倒みないといけないから」と30歳過ぎの私の弟の面倒を見ているから難しいと断られ(成人の弟一人の何を世話する必要があるの?と心で思い)、涙が出ながらもこれも私にとっての最善なんだよなぁと思いつつ、
父親にこんな理由で断られたけれど、もしかして、色々な他の理由もあったのかもしれない、これも愛だなぁなんて、全てに愛を感じているのに、なぜか涙が出てしまって、

娘を抱きしめて「○○ちゃんを産んで良かった。ありがとうね、大好きよ」と伝えてお風呂に入りました。

色々なことが起こる今日という日に振り回されつつ、でも色々な所で愛を感じて、最善だぁ、最善だぁ、って思いながら涙が出てしまって、

この涙も今まで泣けなかった私のために出てくれている涙だと思うと、やはりこれも最善なんだなぁと思って。

幸せな日ってさ、色々なことが入り混じっている、いつも生きている日、今日みたいな1日を言うんだなって、思ったよ。

今日もたくさんの私にとっての最善の1日をありがとう💖💖最近、そう思えるようになってきました。

TOMOです。

私達は、この環境が最善であると頭で知識として知っていても

日々これが本当に最善なのか?と疑うことがあります。

例えば、朝、さぁ保育園に送り出して仕事に行こう!とした時に、娘に「ママ気持ち悪い。吐き気があるの」なんて言われたり。
(今?!、なんでもっと、早く言わないの、なぜ、なぜ、今なのよ!!!)←心の声。


例えば、海外旅行行きたいなぁ。行きたいなぁ。でも、子育てしているし、仕事は忙しい、全く自由がないよ、いつ行けるんだろう。もっと、自由になりたい。


例えば、あー、なんでいつもいつも、朝「早く学校に行きなさい!!」と毎日子どもに言っているんだろう。「ママ大丈夫。いつも朝は読書の時間があって、その時間は先生がまだ来てないから大丈夫なんだよ」って子どもが言うけど、いや、もっと、滑り込みセーフみたいな時間に行かないで早く行ってくれないかな。

などなど。

色々と最善と思えないような日常に振り回されていて、
はて?これが最善なんだろうか?


私達は最善の世界を生きているんじゃないの??

でも、そう思えない!!!とちょっと前まで思ってました。

もっと、余裕に生きたいし
もっと、自由に生きたいし
もっと、穏やかに生きたい。

全然、思うようになってない。

でも、待てよ、本当にこれが最善だとしたら最善の理由があるはずなんだなぁ。
なんだろう。

わからない。。。

なんて、小さい頭で考えていたのですが。



もう、そんなの考えるの止めましょ💖💖

考えなくても、私達は最善の世界を生きているんだと思えばいいんだ。

本当にそうなんだから。

自分の小さな見方からは、最善が見えなくても宇宙的な大きな視野から見たら、やっぱり最善で最高の世界を生きているんです。

そこにただただ感謝すれば

やっぱり最善の世界で生きていると自覚出来るようになっていくのです。

この最善の世界で生きていると自覚すること。それこそが、鍵じゃないかなぁ。

どんなことが起きても
「これが最善の世界なんだな。」

で閉める。
心を占めさせる。

統合の視点で生きる。

良いや悪い、光と闇の視点ではなく、

全てがあるという視点。喜び、感謝から生きる視点。


感謝で生きる世界とは、これが最善の世界だと疑わないで、生きることなんだと思う。



産まれてから、最悪と思える家庭環境があって、自立して生きなくてはならないことがたくさんあって、なんだかわからないけど、与えられた環境で、コツコツ前向きに歩んできて今がある。

あの時、なぜこんな環境なんだろう?と頭を振り絞って考えても、幼い私には到底その答えを見つけることは出来なかっただろうと思う。

ただ今は、あの過去のお陰で、この私が形成されたと深く思うところがある。

だから、何も考えなくていい。

私達は最善の世界を生きている。
そう思って生きればいい。

そして、よくわからなくなったら
今ある当たり前を一つずつ感謝してみたらいい。

そうしたら、
「私達は最善の世界を生きている。」ってことが染みて来るんだと思う。

大丈夫。最善だと自覚しておけばいいだけだ爆笑

こんばんはTOMOです。
勝手にリブログしていますが、素晴らしい解釈です。本当、何度読んでも理解不能だけど、きっと、これは真理だなぁと思います。

最近対極を見ることがあります。
例えば

子どもが発達障害で、学校で集団行動に馴染まないことで、頭を痛めて、この子どもの行動さえ良くなれば、問題は何もないのにと思って何年もこの問題の渦中にいるママ友。

専業主婦だったのに、お誘いで始めた保険のセールスで、トップ成績を出すようになり、育児も投げて仕事に没頭、離婚の危機にある姉。

子育て完璧、なんでも出来るママ。ルールを守らない子どもを見ると、他人の子どもでも注意しにいこうとする。体に良い物を子どもに与え、自分の常識の中で良いと思うことを子どもに伝え、たくさんの大切な思い出を形として大切に残しておく。

上の例を見る度に、
「子どもはコントロール出来るものはない」
「子育て終わってから、仕事したらいいのに。もっと、今の時期しか出来ないことをしたらいいのに」
「子どもは、そこまで管理しなくても素晴らしい学びをしている。もっと、子どもより自分を生きて。親によく思われたくて頑張る子どもをつくらないで。もっと、子どもに自由を」

外の世界を見ては
あのママはダメね、あの姉はダメねと批判しか出ない。


けれど、この世界の創造主になった私は、対極を見ながら、

全て、私へのメッセージなんだと気付く。

前なら、「発達障害の子を持つって大変だなぁ」とか「まぁ、好きなことしているんだから姉の生き方も良しか。」とか「このママの何でも完璧に出来るところ、嫌い。私良いママです!ってアピールにしか感じない」

などと、他人へ批判だらけの私でしたが、この波動を持っているのは、私だし、この批判は私への批判ってことなんだなぁ。

子どもをコントロールしようとしてしまう私。
今しかない子育て時期に一生懸命仕事をしてしまう私。
私の常識の中で、その常識に子ども染めようとする私。私の思い通りにならない子どもにはガミガミ。

そんな生き方していました。

今を大切にしないで、未来の起こるかわからない不安や恐怖ばかりみて焦って過ごして、

自分を省みることもせず他人と自分を比べては、自分が勝っていると他人に自慢する。

そういう経験を経て、一人一宇宙に住む、創造主としての自分を思い出し、

日々起こる現実を見ながら、

私は何を選択したいのか、私のお気に入りの考え方は何かなど、自分に聞いて、未来になりたい自分に近付いていく。

過去の光が届いている今に、こんな自分で在りたいを選択をし、その光が未来の私になる。

全てを、今の自分で未来の自分、過去の自分への感謝で過ごす。


毎日の夕食後のお皿洗いだって、家族のためにするのではなく、

未来の自分がお皿洗いした自分に感謝する「翌朝、すっきりしたキッチンを見て喜ぶ私」姿、なんて想像しながらお皿洗いをする。

そして、過去の自分がしたお皿洗いに対して、今の自分が「過去の自分、お皿洗いしてくれて本当ありがとう!!」と過去の自分に感謝するように生きる。


比較は他人ではなく、全て自分との比較。
今の自分が過去、未来の自分へ感謝するような生き方へと変えていく。

これを続けると、どんどん自分大好きになっていくね。

他人をみて、私の波動の現われとして、感じたことを自分の生活に生かす。


子どもはコントロール出来ないと知って、子どもと接してみる。

育児が出来る時期に大切に、したいことの優先順位を考えてみる。それを実際やってみる。

自分を大切にするとは何か、自分基準をつくってみる。


全ての出来事を他人のせいにせず、自分に返すように生きたら、いつでもパラレルワールドを移動して生きてしまうようになるなぁ。

さて、今日からそんな風に生きてみます。