さあ。

台湾での留学も一年半が過ぎ、残り数か月となった今、私がアメリカの大学も含めた三年間の留学生活で何を学んだのかをFBで公開しようと思います。というのもやることもなく暇になった今だからこそこんなどうでもいいことをしようと思えたからです。

初めに断わっておきますが、三年間私はただひたすら海外でお酒を飲んでパーティーに明け暮れていたわけではありません(笑)。

お恥ずかしい話、なぜ留学を決意したのかと聞かれてもはっきりとどうしてなのかは未だにわかりませんし、これからもわからないと思います。ただ一つ言えるのは、他の多くの学生と違い、キャリアのためや自分を探そうなどの明確な目的が全くありませんでした。なぜなら留学することを決意し申し込むまでの期間、ほとんど無意識だったからです。多分、子供のころから海外へ行き外国語を学ぶことを進められていたから、日本でただ普通に生活することが不安だったから、新しい事に挑戦したかったから、などの本当に多くの感情が自分の中に蓄積されていたから自分でも無意識のうちに自然と留学することが当たり前なんだと思い込んでいたのかもしれません。

本題の留学を通して私が学んだことを書いていきたいと思います。といってもこれはあくまで私の学んだことなので一般的なものとは違うかもしれません。(語学力が伸びたとか文化の違いを学んだとか当たり前のことは書きません。)

結論から言うと“自分とは?”自分をより深く理解することができました。哲学的な話はあまり好きではないので、簡単な例を挙げて説明します。楽観的に、23歳になるまで本当に多くの人から多くの言葉をいただき自分という人間が育ってきたのだと私は思っています。皆さんのおかげで、私はずっと自分は自己中で嘘つきで中途半端な人間なのだと思っていました(結構当たっているかもしれません)。しかし、留学を通じて自分は本当に弱い人間なのだと知ることができました。今までじぶんが弱い人間なのだと知るのが嫌で、弱さを認めることから避け、騙し騙し生きてきました。しかし留学中何度も訪れる孤独という時間の中でそれは常に頭の中に現れ私を苦しめてきました。何度も頭が禿げるのではないかと思いました。幸運にもまだふさふさですが。苦しめられるのにも徐々に慣れて行き、冷静に“弱さ”を考察する事ができるようになってきました。

弱いことが悪いとは思っていません。それも私の個性ですし、弱いことを生かして今後どうのこうのとかいうのも面倒な気がするので考えていません。私が最も伝えたい事は留学を通じて自分を以前よりも知ることができたという事です。小さな事かもしれませんが私にとって“弱い自分を知る”という事は大きな変化を私の心に及ぼしました。

日本から海外へ留学をする人は年々減っていると聞きますが、お金が無いからとか時間がないからとか英語ができないからなんて言い訳にしか聞こえないのは私だけでしょうか。

365×4=1460 これは一日一人と出会うと考えた時に考えた大学生活中に知り合う人の人数です。ちなみに私のFBの友達は700人以上。FBを始めたのが大学三年生からなので、約三年で四年間の半分の人たちと知り合う事ができました。だからなに? そうではなく、700人の人たちと知り合えることができるのも大学生だからです。たまに思います。私の人生をかけていったい世界何%の人たちと知り合う事ができるのか。数よりも質?違います。そんなことを言っているのではありません。出会いとは学び、出会いとは旅、出会いとは可能性です。  フェイスブックにこれ書き込まなくてよかった~   アメーバやっててよかったわ。。。


二年前のちょうど今頃、アメリカの中央部に位置するアイオワ州のコー大学に留学をしていた僕は今では考えられないくらい不真面目で、週末には同じ留学仲間と飲み会を開き、勉強を真面目にしていなかったのを今でも鮮明に覚えている。 

当然当時の自分はそれらすべてが人生における大切な思いであるいは経験あり、いつまでも心の中に残るだろうと当時は確信していた。しかし今では思い出がまるで夢の中で起きた出来事のように思えるのはどうしてなのだろう。

それは常に新しいことに挑戦してきたからなのか、それとも留学当時これといって刺激的な思いをしてこなかったからなのか、否。

自分を正面から見つめようとしてこなかった事が原因で、すべての出来事、経験さらに思い出の重要性が半減してしまったと今私は思います。

自分を知らなかった、というより知りたくなかった。知れば自分自身が傷つくことを知っていたから。しかしそれをしなかったことがすべての原因であり、そのことに留学から二年経過した今ようやくわかりつつあるのはやっぱり、自分はまだ未熟でお子様だったという事であろう。


二年の今頃、彼女がいて当時の自分は自分の彼女が日本で俺を待っているときどんな心境だったのか知ることができなかったし、知ろうともしなかった。あの頃、自分のことだけに精一杯で彼女に優しくなれなかったのは言い訳でもなんでもなく本当にそうだった。もちろんアメリカで飲み会をしたり女の人と遊んだりしたかもしれない。しかし、彼女がくれた手紙、俺が買った同じ指輪、ネックレス、メールたまの連絡は自分の中の気持ちを再確認するための重要なツールだったことは確かで、留学中一度も彼女以外の女性に魅力を感じたことはなかった。けど、彼女はどうだったのか、ずっと待ってるだけの生活、寂しかっただろうし、不安だったでしょう。俺がいない間にきっと何度も苦しい経験をし、一人で壁を乗り越えていかなくてはならなかったのだろう。それをサポートできなかったししようともしなかった。

結果、関係は終わり、今でもなんだかふっきれないし。どうしてあの時別れたくないの一言が言えなかったのか。その辺に自分のだめさ加減を感じてしまう。


留学から帰国後は本当に忙しかった。就活を始めなくてはいけなかったし、それまで全く情報を集めていなかったので始めたころはてんやわんやで、とにかく一からスタートだと自分なりに調べたり、大学の就職サポートセンターに相談に行ったり、友達に聞いたり、とにかくがむしゃらに活動し、難なく二か月で職を見つけ、内定を確保することができた。しかしその後、すぐに内定を取り消してしまう。その会社のために働くことは自分には出来ないと思ったからである。


続く。。









I am waiting the day everything just be clear and brisk.

fed up with this frashback memory. What is the matter with me? How long should I wish to wipe this one.

I cannot live with this. easily bring me down.