4月だったか葛西臨海公園の動物園から一匹のペンギンが脱走した。
(とニュースが言っていたが、脱走??とは何ぞや??)
そのペンギンが今日、東京湾で泳いでいるところを、一般の人が撮影し、またもやニュースで話題に。
その泳いでる姿たるや、あまりにも楽しそうで、思わず一言。
「いいぞ!! がんばれペンギン!」!!
楽器はできませぬ。
ギターをジャーンと鳴らす程度しかひけませぬ。
声はかすれます。
声が出ても歌はうまくありませぬ。
でもいいのです。
思いをあなたに伝えます。
それが音楽旅団です。
国境なき音楽団は思いを人に伝えながら、今日も長い旅を行くのです。
4月だったか葛西臨海公園の動物園から一匹のペンギンが脱走した。
(とニュースが言っていたが、脱走??とは何ぞや??)
そのペンギンが今日、東京湾で泳いでいるところを、一般の人が撮影し、またもやニュースで話題に。
その泳いでる姿たるや、あまりにも楽しそうで、思わず一言。
「いいぞ!! がんばれペンギン!」!!
そもそも本格的に音楽に目覚めたきっかけが甲斐バンド。というのが良くない。
最初に聴いた曲は安奈だったか。
小学6年生の時だ。
最初に買ったLPもなかなかHAPPY万歳なものではなかった。かなり暗かった。今から思えば。
それが音楽だと思いこみ、いつの間にか現在に至ってしまった。
ギターを持つと同時に曲を作り始めるものの、
いい曲というのはマイナーキーなのだ!! と、そりゃあ15から思い始めれば、
進む道も間違ったものになる。
20歳の頃に書いた曲達は、まさに
「俺って天才だ」
と思わせる、自分に勝手に思わせるものばかり。
時は経ち・・・
10年前に大学以来バンドを組み(いや正確に言えば、27の頃デュランデュランとかやっていたり、ボランティアで山口百恵とかやっていたが)
ライブをするもお客さんは減るばかり。
一体どうなっているのだろう、この世の中は、と思いながら曲を書いていた。
ミュージシャンにとって一番大切なものは何か。
それは「折れないこと」であるそうだ。
いや、紛れもなく「折れない心」なのである。
本番中、ギターを間違えても折れない。
お客さんが本番中帰っていくドアの向こうの白い光にも折れない。
観客が3人しかいなくても折れない。
これが一番大切なのだ。確かに。。。
しかし私は聴衆のいないホールに折れて、
フロントマンとしてのパフォーマンスの足りなさに折れて、
小声になり、ひたすら噛み続けるMCに折れて、
バンドを辞めたわけであります。
このままじゃ何も変わらない。
何か掴まなくては。
それには同じところに没頭していてはダメだ。
一度外から自分を見直そうと。
そんなこんなで何年も経って、ある時ふと気が付いた。
こんなシリアスな曲ウケるのか!? 果たして。
シリアスすぎやしないか?
こんな曲、巷で流れてるの聴いたことがないぞ、と。
歴史をひも解けば
~残った涙は風に散らして眠った街のイルミネーションにしようか~
~いくつもの夜いくつもの夢いくつもの言葉交わし、指先からめ頬寄せ合いそんな日がいつかあったね~
~そして今日も俺はこの街を一人歩いている~
まあ、その他色々、なんかシリアスすぎて、
全く違うのではないか。
そもそも性格がシリアスなのか、わからないが、
これはいけないと気付くも、そうぞう力(imagination、及びcreativity)共にない、
私にはなかなかパッと詞など書けない。
しかし上記の世界は明らかに違っているわけで、
そういやビートルズもマイナーキーの曲はほとんどないわけで。。。
そんなことに気付くのに何十年かかったのか!!
と言うわけで僕は今、
「君がハートをロックした
君の瞳に身動きとれない僕なのさ」
というような歌を作りたいと思ってる。
これぞ世の中の真実。
誰か俺に軽くてキッチュな歌詞をくれないか!!
大学秋入学の議論が活発になっている。
そもそも教育関係に関して、昔から多大なる関心を持つ私には実に興味深い議論だ。
ギャップターム。インターン、ボランティアで自分を磨く。
国際色豊かな人間に育つ為には、世界の大学と同じく秋入学が必要だ。それにより日本人は大いに海外に出て国際性ある人間に成長することが出来るようになる。
なんという薔薇色の美しき、大人たちの、学者先生の目の付けどころ。
つまり高校卒業から社会人になるまでは、現在の社会制度だと5年必要になるわけだ。
少なくとも企業側、高校側が東大に賛同するまでは。
それって、1年留学して5年間大学生活するのとどう違うのか。
そもそも高校卒業してインターンやボランティアをすぐさま始める学生なんて一体どれだけ存在するのか。
もう僕には関係ないことなのでどうでもいいが、
少なくとも僕が大学受かって半年あったら、入学するまで、のほほんとアルバイトでもするだろう。
結局そういう平々凡々とした人のほうが圧倒的大多数を占めるのではないかと思うのである。
ところで問題はそんなところにはない。
国際色豊かな学生作り。
海外の大学に負けないランキングを。
いやしかし、現在の社会制度では、教育体制根本を変えなければ実現は難しいのではないか…etc。
など
百花繚乱の意見が飛び交う中、
私が一番大事だと声を大にして言いたいのは、
「桜咲く中で、卒業という別れがあり、想いを馳せる相手に最後の告白をして、それがいつしか思い出に変わっていく」
「別れと同時に桜の中で、大学入学という転機を迎え、新しい一歩の背景には斜めに桜が舞っている」
という情景である。
これは大切な記憶、誰にとっても永遠のものではないのか、人生の中で。
日本人が持つ青春の1ページではないのか、ということである。
春、大学入学、5月の新緑の中、新しい友人ができ、恋が始まる。
それが残暑の斜陽の中、すぐに木枯らし吹き始めるじゃ、すさみすぎていないか?
僕は大学の卒業式で桜咲く中、同期の袴姿の女子と記念写真を撮り、親友と卒業式に出席した。満開の桜の下だった。今でも鮮やかに記憶に残っている。永遠の宝である。その情景は。
こういう議論を引っさげて、学者先生に堂々と日本人のもののあわれが如何に大切かということを説く人が何故いないのか。
俺がやろうか。
だって一理あるだろう?
そうは思わないかい?