http://hrp-newsfile.jp/2015/2470/

文/HS政経塾スタッフ 赤塚一範

今回は軽減税率がいかに意味のない政策であるかということを中心に管理・統制政策の限界について考えてみたいと思います。

◆管理・統制政策の限界

(1)そもそも低所得者より高所得者に恩恵が多い

まず意外かもしれませんが、低所得者よりも高所得者の方が軽減税率の恩恵は大きいことが挙げられます。

エンゲル係数、つまり所得に占める食費の割合は低所得者の方が高いのですが、金額ベースでは、高所所得者の方が食事にかかる費用は大きいため、このような結果になります。これでは、何のための軽減税率かわかりません。

(2)税率が下がっても増税

次に、軽減税率は減税ではあるのですが社会全体で見ると必ずしも減税とは言えません。

古代の日本や中国では、貨幣経済が今ほど発達していなかったので、税は米、布、特産品、労働や兵役で納めていたことを考えればその意味はすぐにわかります。学校で租・庸・調・雑徭・兵役と習った方も多いでしょう。

軽減税率では、品目ごとに納める税額が違うため、各事業者には相当な事務負担がのしかかります。つまり、軽減税は純粋な減税ではなく、実質的な負担を企業に押し付ける増税の側面もあるのです。

現在、この事業負担がどの程度になるか明確ではありません。政府は実際どの程度負担になるか具体的な負担を金額ベースで提示し、日本経済全体として軽減税率はプラス・マイナスどちらが多いか考える材料を提供する義務があるでしょう。

(3)軽減税率は政治的駆け引きの道具となりやすい

また、以前、紹介させていただいたこともありますが、軽減税率の対象となる品目の決定は非常に難しいものがあります。

ある国ではチョコレートはかつて高級品だったので、カカオの含有量によって税率が異なるそうです。

また、経済の進歩の歴史は、贅沢品が必需品になっていく歴史であり、どの時点を基準とするかでそれは異なります。

このようなことから贅沢品と必需品の線引きは難しく、結果的に軽減税率は政治的な駆け引きの道具になってしまうでしょう。

(4)そもそも管理・統制そのものが時代錯誤

軽減税率だけでなくマイナンバーについても同じですが、そもそも管理・統制タイプの政策は、現在の複雑な社会にとって(緊急時は別として)大きなマイナスを与えます。

それは社会の進歩の歴史を見ると良くわかります。大昔の数十人のメンバーで構成される『小さな社会』では集団の長(族長など)が集団の全てを知ることができました。

Aの妻が風邪を引いた、Bは良く働く、などほぼ完全にすべてを知ることができます。このような社会では村で得た収穫物を比較的適切に配分することが可能です。

しかし、現在の市場と分業に基づいた『大きな社会』では、誰かの意志で適切に生産物の配分することはできません。

市場が拡大し、分業が進展すればするほど、政府が知ることができる領域はますます小さくなります。この中で、適切な配分を定めようとすれば莫大な情報を収集し、それを踏まえたうえで決定せねばならず、それが不可能であることはソヴィエト連邦の崩壊で実証済みです。

◆コンピュータや情報技術によって社会を管理してはならない

近年、IT技術の進歩が、マイナンバーなど管理・統制社会の復活に一役買うようになっています。

政府は、技術進歩によって、すべての情報を知ることができ、社会を正しく導くために知る必要があると考えがちです。

しかし、いくらコンピュータが進化しても、管理・統制は限界があります。それは、市場で収集される情報は、過去のものであり、ある時点で全ての情報を知ったとしても、次の瞬間、過去のものとなるからです。

市場とは、常に同じ状態で循環している静的なものではなく、「何が財であるか」「何に価値があるか」などの情報・意見が新たに形成される動的な場であり、将来の情報・意見を一元的に正確に予測できないのです。

◆組織の原理を社会に適用してはならない

軽減税率、マイナンバーなどの制度の行き着く先もかつてのソヴィエトと同じです。

レーニンは社会を「一つの事業所もしくは工場」と見立て、情報の収集と管理によって公平で平等な社会を目指し、政策を実行しましたが失敗しました。

そのような管理・統制的政策にどれだけ先端技術が伴ったとしても、結果は同じです。結局、それは工場や会社など組織の中での管理を意味するにすぎず、複雑な『大きな社会』を導く原理にはなりえないのです。

もし、先端技術をともなった管理・統制社会が実現してしまえば、それはかつてのソヴィエトよりも恐ろしい社会になってしまうかもしれません。

赤塚一範

執筆者:赤塚一範

HS政経塾スタッフ

海軍が接近 紛争は起きるのか?

 

中国が領海だと主張している南シナ海に、米海軍が艦船を送り、「航行の自由の確認行動」に出ることを主要各紙が報じている。

 

中国は南シナ海で人工島を作り、その周りの海域を「自分たちの領海だ」と主張している。国際法上、島の周り12海里(約22キロ)は、その島を所有する国の海域となる。しかし、同法によると、人工島は「島」として認められていない。

 

米海軍は、「人工島の周りは公海である」ことを示すために、今回の行動に出る。

 

 

シドラ湾を巡るアメリカとリビアの戦い

さて、米国防総省が今年3月に発表した報告書によると、米海軍は2014年度に、世界19カ国による「過度な領海主張」に対抗するために、各地で「航行の自由の確認行動」を行った。この中には、中国やイランだけでなく、アメリカの同盟国である韓国や台湾も含まれている。

 

しかし、どれも武力衝突には発展していない。

 

米海軍が行ってきた「航行の自由の確認行動」が武力衝突に発展した例には、1981年に起きたシドラ湾の一件がある。北アフリカに位置するリビアは、地中海に面するシドラ湾沿岸から62海里(約115キロ)もの領海を主張していたが、国際法上これは認められていなかった。米海軍は湾内を通って、「航行の自由の確認行動」を行った。

 

これに対してリビア軍が戦闘機を送り、戦闘が勃発。リビア空軍の戦闘機2機が撃墜された。その後、86年と89年にも、湾内で戦闘が起き、両軍とも死傷者を出している。

 

米中衝突を懸念する世界

リビアは比較的小さな国であり、シドラ湾の一件が本格的な戦争に発展することはなかった。しかし、中国軍はここ20年で飛躍的に軍事力を強化させており、その力はリビアとは比べものにならない。識者の中には、今回の米軍の行動で武力衝突が起きることを懸念する声もある。あるいは、中国船が米海軍の船を囲み、「捕獲」する可能性も考えられる。

 

今、アメリカがこうした行動をとっているが、実際は、南シナ海の航行の自由がなくなったら、一番困るのはアメリカではなく日本だ。この海域のシーレーンは、日本にとって石油などの戦略物資を輸入するための生命線だからだ。

 

日本は、アメリカはもちろん、オーストラリアやインドなどの友好国とともに、「航行の自由の確認行動」に参加すべき時が来ているのではないか。(中)

 

【関連記事】

2015年10月11日付本欄 米海軍が、あえて「中国の島」近くを航行する意味

http://the-liberty.com/article.php?item_id=10295

 

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ヤンキース時代の松井さんは、日本での評判と同様に、
米国のマスコミからも大変好意的な評価を得ていました。
 
入団当時、ニューヨークタイムズは、こんな記事を掲載しています。
 
「日本のスターだというのに、
いつも静かに会釈をしてクラブハウスに入ってくる。
普段の生活でも周囲の人を楽しませようとしているようだ」と、

松井さんの礼儀正しさ、謙虚さに焦点を当て分析しています。
ニューヨーク・ポスト紙は「松井に見習え」という見出しの記事を
掲載しました。
 
「ニューヨーク・ニューズデー紙」の記者からは、
ある日本の団体にこんな問い合わせがありました。
 
「コンプレイン(complaint)」は日本語で
どういうのかという質問でした。
 
団体職員は、「苦情」だと答えました。
 
そして出来あがった記事はこうでした。
タイトルは「ミスター・ナイス・ガイ」
「松井は、極めてナイス・ガイである。
なぜなら、松井はけっして苦情を言わないからだ。
日本語にも“クジョウ”というコンプレインを意味する単語があるが、
松井には無縁だろう」
 
現在ではこの報道はよく知られていますが、
長らくマスコミには、オープンにされなかった松井さんの善行です。
  
ベトナムの子供達を里親として支えていたのです
 
ベトナムでは優秀で勉強する意欲があっても、
貧困など家庭の事情で勉強を断念せざるを得ない子供が多いのです。
 
松井さんの、渡米から現役引退までの12年間で、
里親になっている子供たちは20人。
 
子供達は、松井さんからの里親としての援助により、家事や労働をしないで学校に通うことが出来ました。
松井さんの実家には、
年に一度子供たちからお礼の手紙が届きました。
 
子供たちは、当初、松井さんがプロ野球の選手であることも、大リーグで活躍していることも、松井選手の顔、性格も何も知りませんでした。
 
後年、その里親が誰なのかを知ることになり、
松井さん引退のときには、一人の少女が次のような手紙を寄せました。
 
「松井さんの活躍のおかげで多くのベトナムの子が助かりました。
 本当に感謝しています。お疲れさまでした」
 
人の悪口を言わないことでも有名な松井さん。
彼が、国民栄誉賞をとるまでに多くの人に愛されたのは、こうした人柄が知らず知らずのうちにみんなを惹きつけたのかもしれませんね。