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【本日のニュースクリップ】
1.インドネシア独立に尽くした日本人が英雄墓地に埋葬 今後も日本の大義を貫け
2.イランの国際映画祭に「尖閣ロック」が招待 愛国心は国境を越える
3.学力テストの結果は「学校の成績表」 結果の公表を促し学校運営を透明化すべし
4.香港が普通選挙の実施をめぐり二分 香港の自由を守ろう



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◆インドネシア独立に尽くした日本人が英雄墓地に埋葬 今後も日本の大義を貫け
http://the-liberty.com/article.php?item_id=8347

大東亜戦争における日本の敗戦後もインドネシアに残り、対オランダの独立戦争に従事した在留日本兵のうち、最後の一人だった小野盛氏(インドネシア名=ラフマット)が25日、死去し、英雄墓地に葬られた。

日本が戦った大東亜戦争には、アメリカを中心とするABCD包囲網で石油などの輸入を止められた日本が生き残りをかけた自衛のための戦争という側面と、アジアの植民地を解放するためという側面の2つの側面があった。

日本は、それまでインドネシアを支配していたオランダを退け、独立を見据えてインドネシア人を高職位につけ、学校を開いた。逮捕されていたスハルトなどの独立運動家を解放し、憲法を準備させた。また、独立戦争の主体となる郷土防衛義勇軍を結成させた。ただ、独立憲法の準備をしている最中に日本が敗戦したため、スハルトらは直後に独立を宣言した。

戦後も、約1000人の日本兵がインドネシアに残って独立戦争に参加し、およそ半数が殉じた。小野氏もまた、「日本が果たせなかったことを成功させよう」として参加。「陸軍歩兵操典」をインドネシア語に訳した市来龍夫氏は有名だが、小野氏は、市来氏の情熱や思想に影響を受けたという。

小野氏は独立後もインドネシアに残り、現地の女性と結婚。在留日本兵の互助会組織「福祉友の会」を結成し、インドネシアから日本への留学生に奨学金を給付するなどの活動をしていた。

8月17日の独立記念日の式典には残留日本兵として招待されていたが、体調を理由に欠席。地元テレビ局の取材を受け、「インドネシアはより発展しなければならない」とコメントしていた。

ユドヨノ大統領が昨年、日本の集団的自衛権の行使や、憲法改正による国防軍保有について、「完全に合理的な考え。防衛力を持った日本は地域安定のプラスになる」と発言。1990年代に"インドネシア人慰安婦"問題なるものが持ち上がった際にも、政府は「日本政府との賠償並びに財産及び請求権の問題は解決済みとの認識である」と切って捨てるなど、インドネシアは親日国として知られる。また、最大の輸出先は日本であるなど経済的結びつきも強く、さらに若者の間では日本アニメがブームだという。

インドネシアが親日国となった理由の一つに、インドネシア独立に命をかけた残留日本兵の活躍があったことを忘れてはいけない。その最後の一人は亡くなってしまったが、彼らの志を継いで日本とインドネシアとの繋がりはより太くしたいものだ。(居)

【関連記事】
2014年9月号記事 集団的自衛権行使容認は当然だ 「正義ある平和」の実現を
http://the-liberty.com/article.php?item_id=8161

2014年6月5日付本欄 中国に脅威を感じる「反中国家・インドネシア」 日本はインドネシアを支援すべき
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「南京大虐殺」の虚構――南京安全区文書の検証[HRPニュースファイル1106]

http://hrp-newsfile.jp/2014/

文/幸福実現党政務調査会 佐々木勝浩

◆南京安全区文書

これまで東京裁判の証言から「南京大虐殺」が本当にあったのかを検証してきました。

今回は、別の角度から、東京裁判の検察側の証言がいかに間違っていたかについて指摘しておきます。

裁判の最初に証人が出た後、検察側は「日本はこんな悪いことをやった」という証拠として「南京安全区文書」を出してきました。

これは南京に残ったアメリカなどの宣教師たちが「国際安全委員会」という組織をつくり、南京の南にいた船賃もなく南京城外に逃げることができなかった市民を保護する目的で南京城内に「安全区(難民区)」をつくりました。

これについては日本軍も承認し戦闘の際に、日本軍は「安全区」に入らないことを約束しました。これで安全区内の一般市民の安全を保障したのです。

実際に12月12日に国民党と間での戦闘が始まりましたが、日本軍が12月13日に南京に入城すると、14日に日本の外交官であった福田篤泰氏が南京城内に入りました。彼は、アメリカやドイツの宣教師や商人の身の安全を確保するようにとの命令を受けてやってきたのでした。

日本の外交官であった福田氏は、後に東京裁判で証言した宣教師のベイツ等と、その当時連絡を取って、日本軍から被害を受けていないかを聞いて回りました。その宣教師たちが日本の外交官に提出した文書が、ベイツらが書いた「南京安全区文書」です。

同文書によると、3日間で安全区の中で起きた事件は5件で、死者数は24人です。つまりベイツは「南京安全区文書」で死者は24人と当時書いていながら、東京裁判では「1万2千人が死んだ」と証言したのです。

つまりベイツが当時出した「南京安全区文書」の内容と、東京裁判で証言した内容とは、まるっきり違っていたのです。ここからもベイツの証言がウソだということが分かると思います。

◆日本の外交官、福田篤泰氏の証言

しかし、この死者「24人」の報告についても疑問があります。日本の外交官である福田氏は国際安全委員会の安全と外国人の希望や意見を受け付けるのが仕事ですから、毎日、安全区にある事務所に行くわけです。

そこに中国人がやってきて、あそこで日本軍がこういう事件が起こした、とベイツたちに報告にきます。それをベイツがタイプに打っていたのです。

それを見た福田氏はベイツに対して、「中国人が言っていることを確認した上で打たなければいけない」と注意し、実際に宣教師を連れてそこに行ってみると、何も事件は起きていなかったのです。

他にもアメリカ大使館から南京にあるアメリカ法人の会社に日本軍が入って、窃盗を働いているという抗議が入りました。福田氏はびっくりして上海派遣軍の渉外担当の本郷忠夫参謀とすぐその現場に行ってみたのですが、そこでも何もありませんでした。

このように「南京安全区文書」に書かれていることは検証もされず、なかったことまで伝聞のままに記載されているのです。ですから同文書にある死者24人という報告にも疑問があります。もし仮に24人は本当だとしても、東京裁判で出てきた1万2千人という数字は疑問が残ります。

福田氏は、当時、安全区内の第三国人のパイプ役として毎日、安全区の中を行ったり来たりしています。東京裁判には証人として出ませんでしたが福田氏は後にこう言っています。

「東京裁判でマギー神父が証言しているように、街路に死体がゴロゴロしていた情景はついぞ見たことがない。」

◆同盟通信の記者、前田氏の証言

さらに同盟通信の記者、前田氏の証言があります。(同盟通信は戦後に共同通信と時事通信に分かれた) 通信社は取材のため上海から新聞記者とカメラマンが無線や食料を車に積んで軍の後を追ってきました。

前田氏は12月15日に城内に入り、その取材車で城内を回りました。その様子を次のように書いています。

「私は、車で城内を回った。住民居住区は『避難民区』とされ、その周辺には警備隊が配備されていた。」

つまり安全区の周りには、日本軍の警備隊がいて、むやみやたらと入れなかったという証言をしています。しかし「(同盟通信の)旧支局が区内にあるとの理由」で前田氏は中に入ることができました。

「また店は閉じたままだが、多くの住民が行き交い、娘たちの笑い合う姿があり、子供たちが戯れていた。生活が生き残り、平和が息を吹き返していた」。これが12月15日の難民区の中の様子です。

安全区には大学や日本領事館、ドイツ公使館などの大きな建物が建ち並んでおり、比較的、高級な街です。そこに難民が20万人もおり、道路にまでムシロで覆いをして人でいっぱいだったということを書いています。

市民は安全区に避難しているわけですから、中国が言うように日本軍が30万人を虐殺したとすれば、安全区の中に「死体がゴロゴロ」しているはずです。しかしそうではありませんでした。

ここからも最初の2、3日で男女子供1万2千人を殺害したというのは、全くのつくり話だということがわかります。
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中国紙・銭江晩報によると、浙江省金華市 では11日から来月10日まで、 「金華10大交通悪習慣」と呼ばれる運転 マナーを改善するため、運転中の携 帯操作やタクシーの乗客の乗り降りなどを 集中的に取り締まる運動を展開し ている。この「金華10大悪習慣」という のは、地元の交通警察が発表して いるもので、前記の2つのほか「違法な進 路変更」「ハイビームやクラクシ ョンの乱用」「違法駐車」「飲酒運転」 「歩行者の信号無視」「歩行者が( 信号のない)横断歩道を渡ろうとしても車 が止まらない」「自転車の信号無 視」「車の窓からゴミを投げ捨てる」で、 ほかにも同様の「悪習慣リスト」 が作成されている都市が多い。

一方、先日、中国のあるネットユーザーが 日本旅行に行ったときの経験を自 身のブログに綴った。内容は以下のとお り。

日本は絶対に「行く前には罵っていたの が、帰る頃には褒めてしまう」国だ。 今回の旅行で2人の人物に感動させられ た。

1人めは、全日程を案内してくれたガイド さん。福岡空港で出迎えてくれてか ら名古屋で帰国の途に着くまでの8日間、 われわれに付き添ってくれた。先祖 は河南省の出身で本人は台湾生まれ、その 後日本に定住し、奥さんは日本と台 湾のハーフだそうだ。道中、彼の説明は面 白く、難しい事柄も分かりやすく 話してくれ日本文化や日本と中国のルーツ を融合させてくれた。労苦をいと わず、人情味やユーモアにあふれていた。

もう1人は運転手さんだ。日本の男性はみ んな白髪交じりだが、この運転手さ んは真っ白だった。まだ40歳足らずなの に落ち着いていて熟練していた。中 部地方は山道が多いのだが、普段車酔いし やすい妻すら酔わなかったほどだ。 そして、人当たりもとても礼儀正しいの だ。

日本旅行では、車に乗る際に荷物をすべて 運転手さんが載せてくれるという サービスを受けられる。この運転手さんは 常にニコニコしながらこのような 仕事をこなすとともに、乗客に対して頭を 下げてあいさつをするのである。 それに対してわがツアーの一部の客はお構 いなしで、なんと傲慢な態度だったこと か。

中国人はいつも日本のことを「小日本」と 言うことで、自らが「広大で豊か な国」であることをアピールする。しか し、日本のことを知れば知るほど、 中国人の自己卑下意識を感じるようになる のだ。

われわれは抗日のスローガンを叫び、でき るものなら、あらゆる車の後部に 「釣魚島は中国のもの」といったステッ カーを張り付けたい勢いだ。しかし、 最も近い隣人である先進国について理解し ている者は非常に少ないのだ。日本 人は世界で最も裕福な暮らしをする一方 で、もっとも低姿勢を保っているのだ。

わずか8日の日本旅行だったが、非常に多 くの震撼を覚えた。観光した10都 市のどこでも自動車のクラクションを聞か なかった。都市でも田舎でもすべて の宿が想像以上に清潔で、私の中の日本の 衛生に対する信頼が極限にまで達した。

偽札をつかまされる心配もないし、汚い食 べ物を食べさせられることもない。 環境はその中にいる人に影響を与えるもの で、日本では私も信号無視やゴミの ポイ捨て、たん吐きを一度もしなかった し、同行者たちも屋外でたばこを吸う ことがなかった。ここでは、中国国内のさ まざま悪習を捨て去ってしまうようだ。

日本への旅は終わった。しかし、日本に対 する私の思いはまだ始まったばかりだ。 http://www.xinhua.jp/socioeconomy/photonews/392422/

引用元: ・【話題】日本を訪れた中国人「日本 への信頼が極限にまで達した」