ミーントーン大好き!~音程は自分で作ろう~より転載
http://meantone.blog.so-net.ne.jp/2013-05-28



(0608減7和音に修正)国家権力の暴走と純正律と12ETプロパガンダ [たわごと]



 先日、ソルフェジオ周波数関係の記事のコメント欄で、
>色々とアンテナを張り巡らしている必要
>憲法で保障されている「学問の自由」を(憲法が改正されない今の内&憲法より上位規範になると噂されるTPPに参加する前に)存分に活かして、
 等、色々と書きましたが、憲法改正やTPP発効以前に、もっと危険な法案(93項目の個人情報をすべて政府に管理される共通番号法案)が先日通ってしまったんですね(驚愕)。
http://www.asahi.com/politics/update/0524/TKY201305240058.html
 「表向き」の理由が上記朝日新聞記事で説明されてますけど、
実質(真意)はこうだと思いますよ。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13106747593

 しかし流石は「マスゴミ」ですね。。。本件、Indeepさんの下記URLの記事を読むまで気付きませんでした。
http://oka-jp.seesaa.net/article/364060293.html

補足:TPPのISD条項の恐ろしさ。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1375478878?fr=rcmd_chie_detail


 少し前までは、「反原発 デモ」などのキーワードでググっても(古い情報しか)ヒットしなかったのに、最近は新しい情報も結構ヒットするようになったと思ったら、こういう(国民を欺く&注意を他に逸らすための)「仕掛け」が幾重にも施されていたってことでしょうか・・・これぞ正に「情報戦争」そのものですよね(・・などと感心している場合じゃないのかも知れませんが)。

 ということで、マスコミや御用学者などを巻き込んでの「国家権力の暴走」がますます酷くなってきた感のある今日この頃ですが、このブログで政治問題を語るのは余りに不似合い(というか筆者が不勉強)なので、この辺で止めておきます。
 
 で、ここから(無理矢理?)音律の話に繋げるのですが(別名「遠隔調への転調w」)こういった背景も踏まえて(←このような接続句がいわゆる「便利な減7和音」というやつであるw。※注1)、日本人(全体)が、ヨーロッパでは既に相当進んでいる(らしい)「脱・平均律化」すら達成出来ないようでは、『この国に未来なんて無いんだろうな』って思いますね、真面目な話。

 クラシック音楽関係者って「上品にしているのが美徳」という一種「信仰」?に近いものを持っている人が多いように感じるのですが、この現代において(「上品」はまだしも)「上の人間」に対して余りに「従順」だと、上記事例や100年以上押し付けられている12ETの例を出すまでも無く「とてつもなく危険」な気がしてます。

 少し前に、元金融庁長官の佐藤隆文氏が日経新聞に「純正律と平均律」というコラムを執筆され、音楽系ブログでも話題になっているようですが、その内容は、ハッキリ言って、古楽関係者からブーイングが来るような内容ですよね・・。
http://www.nikkei.com/article/DGKDZO53546960T00C13A4MM0000/
  (↑会員登録(無料)すると全文が読めます)

一部引用させていただくと、
----引用開始(引用記号と括弧書きと太字は小生の補足)-----

(平均律は、) 上記の整数比からは多少ズレが生じ、美しい響きは少し犠牲にされているという
>しかし平均律は、すべての調性での演奏を可能とし、他の調への転調も容易となって曲中の表情の変化や色彩感が豊かになる
>平均律の有用性を至高の作品群によって示したのがバッハである。
・・・・(割愛)・・
各調性の持つ響きが生かされ、・・・
>バッハは、自ら工夫した調律法を前提にこの曲集を創作した。
----引用終了-----
 などであり、この説明から明らかなように、佐藤氏の言う「平均律」とは、12等分律以外の不均等音律を指していることが明らかですが、この書き方では一般の人は完全に誤解しますよね。
 音楽家でもない佐藤氏がこのような内容の記事(しかも「・・少し犠牲にされているという。」こと、すなわち自らが「響きの比較体験をしていない」で執筆していることを自白した上での説明)を書くのは非常に不可解ですね。佐藤氏くらいの「上の人」であれば、こんな記事を書いたら、専門家から「平均律の擁護とバッハ調律に対するプロパガンダである」旨の批判をされることが分かり切っているでしょうし。

一方で、佐藤氏が書かれた
----引用開始-----

 かつて鍵盤楽器は、特定の調性を前提に和音が最も美しく響くよう調律するのが普通だったが、これでは滑らかな転調は難しい。

----引用終了-----
 の部分は結構注目すべきところでして、ここは、「普通だったようだ」のような伝聞形ではなく「だったが」と断定しているところが、音律研究者の研究意欲が刺激されるところと思いました。

  「かつて鍵盤楽器は、特定の調性を前提に和音が最も美しく響くよう調律するのが普通であり、他の調への滑らかな転調を実現し、さらには曲間での調律替えの手間を不要とするために、下の写真のように、黒鍵さらには白鍵までをも分割した『分割鍵盤(エンハーモニック・キーボード)』の楽器が隆盛だった
オクターブ19キーの分割鍵盤楽器.jpg
28か31分割の鍵盤楽器.jpg

参照サイト
http://www.h-pi.com/eop-keyboards.html

とまで書いていただければ満点(笑)だったのですが、流石に(口が裂けても?w)そうは書かないですよね。

 で、この記事を読んだとき思い出したのですが、日本の官僚のトップの人の音律関係記事では、近藤誠一氏(元外交官、現文化庁長官)の執筆された記事(下記urlサイト)の方が遙かに良い(数段ないし圧倒的に上)と思います。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/staff/bunkagaiko/040917.html

 そんなこんなで話を纏めますと、日本では、このように官僚のトップの人たちが、いわば「公の文書」に近い形で、音律の記事(含む「12等分平均律やピタゴラス律」の批判)を堂々と書いているんですよね。これは我々一般人にとっては(音律の議論がしやすい環境につながる、という点で)良い傾向だと思うのですが、いかがでしょうか・・・(と、最後は明るめに締めてみる)。

 ぶっちゃけ、「日本の官僚の上の人」は音律について「日本人もどんどん議論せい!」って言っているかのような雰囲気を感じるんですよね、、、両氏、特に近藤氏の記事を読んだ限りでは。違いますかね?

----0529追記----------

注1)この意味が分からない人は、キルンベルガー著(東川清一訳)の「純正作曲の技法」を読むべし!(笑)