ブログネタ:地元ってどこのこと?
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自分の地元は茨城。
とは言ったものの愛着があるわけではない。
しかし、自分が茨城人であるということは度々感動とともに押し寄せてくる。
東京にいた時に見た雪もその一つである。
建物の六階にいた自分は、数年に一度と言われる大雪に心を躍らせながら窓の外を見ていた。
びゅお、という音とおもにビル風に吹かれながら、降っていたはずの雪が下から吹き上げたのに驚き、そして感動した。
茨城の田舎の盆地に住んでいた自分にとって、雪というのはただ音を食みながら上から降ってくるものだったからだ。
そしてその時初めて「地元」が陸続きでないことを理解した。
能登半島で見た夏の雲もまたその一つである。
夏の能登半島で、自分は子供たちとのチャンプをしていた時のことだ。
昔のことなので種目名を忘れてしまったのだが、皆で歩いて課題を達成するレクリエーションで、何気なしに空を見た時のことだった。
夏の暑い日差しや、うだるようなアスファルトに歪む景色、山全体が鳴いているような蝉の声。そして空浮かぶのは薄く伸びた雲と少し遠い雲。
夏であるのに、空はまるで初秋であるかのようだった。
この奇妙な光景に言葉を失った自分にすかさず子供たちが声をかけた。
「どうしたの?」
「空がすごいね」
一度子供たちは空を仰いでから、「何が?」と言った。
ああ、この子たちにとっては当たり前のことなんだ。
きっと、自分が同じ立場でもきっと同じ風に尋ねるに違いない。
きっと、あの迫るような空の青さと輪郭をはっきりとして積もる雲を見たら、この子たちも地元を意識するのだろう。
いつかこの風景がここにしかないことを理解するのだろう。
長々と自分の地元に関する話をしたが、何が言いたいのかというと、息をのむような景色があったとして、そこには必ず地元の風景が潜んでいるということだ。
日常でないからこそ感動するのである。
近年はインフラ整備が進んで地元が近くなったせいか、地元に想いを寄せるなんてこともなくなった。
その移動の簡単さから日本をまたいでも、ちょっと一駅二駅遠出した程度の感覚しか持ちえない。
だからこそ、感動した時に、ここが異郷であると実感した時に、故郷は顔を出すのである。
地元はどこか。
それは、雪に、空に、海に、雨に、川に、家に、山に、太陽に、感動した場所以外を指すのだろう。
