【戦後80年】・・初代宮内庁長官が聞き取った「昭和天皇の知られざる本音」
■「太平洋戦争は近衛が始めたといつてよい」ただ、ふたりを対等に見ていたわけではない。近衛にたいする評価の方が厳しい。----------近衛は意思が弱いし、悪(にく)まれたくないし、聞き上手で誰れにもかつがれるし……。(略)近衛は数字が分らぬ。数字の説明など東条がすると、眠つて了(しま)ふやうな事がある。本当に春秋の筆法からすれば、太平洋戦争は近衛が始めたといつてよい(1952[昭和27]年4月5日、『昭和天皇拝謁記3』)私と近衛とが意見が一致してたやうに世の中は見てるようだが、これは事実相違だ。(略)近衛が私の考へと一致と見るのは皮相な事で、むしろ場合によれば正反対だ(略)近衛はきゝ上手又話し上手、演説も一寸要点をいつて中々うまいし、人気はあるし、中々偉い点もあつたやうだ。(略)いろいろ長所あつたが、余りに人気を気にして、弱くて、どうも私はあまり同一意見の事はなかつた。(同年5月28日、同) 『天皇の「生の言葉」は、聞いた本人が公表する意図なく正直に書き留めた日記、備忘録、メモに表れている。昭和天皇に関しては、戦前は侍従武官長の本庄繁(ほんじょうしげる)、内大臣の木戸幸一(きどこういち)、侍従の小倉庫次(おぐらくらじ)、戦後は侍従次長の木下道雄(きのしたみちお)、侍従長の入江相政(いりえすけまさ)、侍従の卜部亮吾(うらべりょうご)など、数多くの日記が刊行物として世に出ており、私たちは非公式に語られた天皇の言葉を知ることができる。』*侍従長の入江相政(いりえすけまさ)さんとは5年間くらいお付き合いがあり食事もご一緒しました~外食の日は必ず昼食を抜くそうです・・晩の板前さんが喜ぶ顔を見たいと言われていました~晩の追加料理の定番は冷奴か湯豆腐でした~(為書き写真添付)