12mottoのブログ

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一人でも生きていけるような、向上心を持てるような仕事に就きたいって思った。
仕事自体は楽しくて、好きなものに囲まれていて、やりがいがあった。
高校生…いや、元をたどれば小学生から考えていた仕事。
就けたときには、わーって、全身が逆毛たつかんじ。目をまん丸くして、尻尾がふくらんで、お尻ふりふりする猫みたいに、何でもかんでも新鮮で、知識をどんどん吸収しよう!って胸が高鳴った。

ところが、だ。
働いて何年か経つと、「一人でもやっていけない」ことに気づいた。
将来の将来まで考えれば就く前に気付けてたはず。
「好きなこと」「夢」「やりたいこと」に突っ走った結果。
「将来設計」に必要な「福利厚生」「給料」「休日」。「現実」を突きつけられていた。それでも、ここまでやってきたのだし、知識をつけてきた、今は辞めずに頑張ろう…少しは頼りにされてきはじめたんだ、ってほんの少しの自信と勿体無い精神で頑張っていた。

そんな時に、「ちゃんとやってね。」という言葉。
「ちゃんと」ってなんだろう?普段、職場にいない人に言われても、ピンと来ないよ。
それならこちらだって言いたいことたくさん。いや、たくさんじゃない。「将来、長く働きたい。結婚して家庭を築いた後にだって働ける環境にしてください。」それだけ。

その後の仕事はなんだか、白黒のようなかんじ。ただ仕事を「こなす」だけ。
なんの感動も驚きも、向上心もなくなっていく。
自己嫌悪して落ち込んで、仕事で関わる人に申し訳なくなって…でも頑張れない。
だんだん身体に出る不調。
でも、体調が悪くても人数が少ないから、出なきゃ回らないのだ。
だけど仕事をすると、天井がぐるぐる回る。床がグラグラする。なんだか気持ち悪くて、冷や汗。動悸。
こんな状態では、いい仕事ができるわけない。迷惑がかかるのは自分ではなく、来てくれてる人なのだ。

それを考えると余計に動悸がした。
たまにしか出なかった動悸が、「今出たらどうしよう?」と考えると、余計に動悸。
動悸、動悸、動悸…。

一番信頼の置ける上の人に相談して、「もう少し頑張ってみたら?」と言われた。

もう少し頑張ってみた。
家に帰ると天井のグルグル、床のグラグラで、倒れて泣いた。
家族が心配して、「休んだら?」と言ってくれても「休めないんだよ!」と強く言うしかなかった。

それでも仕事にいくと、たまに来る人から「きちんとやってください。」のメモがロッカーに貼ってある。
「私、きちんとやってないのかな?きちんと、ってなんなんだろ?抽象的でわからない。」「休憩時間を短くして、時間をかけてってことかな?」「でも昨日は15分しか休憩貰えてないのに…これ以上は削れない。」「このたまにしかこない人に何で注意を受けるんだろう?昨日の状況も知らないくせに。」「なんのためにここまで頑張ってるんだろう?」
疑問と反抗的な感情がでてきて、「もうだめだ。」と思った。
その時、何か「スッ」とした。「なーんだ、そうか。私がいてもいなくてもいいんだな。どうでもいいんだ。だから、休み、とか、福利厚生とか見直さないし、休憩時間もあってもなくてもあの人らには、関係ないんだ。つまり私にはそういったものに見合う価値がなかったんだな。」と思った。
辞めてった人たちを「覚悟がないなぁ」とか「計画でない。」って軽蔑するような気持ちで見ていたけど、私も同じ。「覚悟がなくて、計画的」でなかった。
さらに言えば、辞めていった人たちよりも「見通し」もなく、「勇気」もなかったのだ。

そして、私は「やりたかったこと」をやめた。「夢」をやめた。

しばらく落ち込んで考えて考えた。
でも、私は「考えなし」なのかもしれない。
学生時代に出会った「やりたかったこと」が頭から離れなくなった。
「またやりたかったことを目指したら二の舞になるんではないか。」「年齢を考えて将来を計画したら、今から目指すのは遅いのではないか?」「貯金はほぼなくなる」「周りとの差がどんどん開く」
…不安だらけだ。

でも…でも「やりたいこと」は仕事自体は楽しかった。「自立」できない不安から、「迷い」が生まれて、「立ち向かう意欲」がなくなった。
じゃあ「自立できる」なら?
二つ目にやりたいことは「自立できる仕事」だ。
それなら最後の最後にやってみればいいんじゃないか?
後悔するよりも、後悔しない選択がしたい。
色々な人に相談して、色々な考えを聞き、やってみたい気持ちが勝り、私は新しく学校へ行き直すことにした。