今日はまずちょ~久しぶりに

 

なんちゃって自叙伝を書こうと思う。

 

どこまで書いたかも忘れちゃったのだが・・・

 

今日は私達家族を支えてくれた犬と猫のことを書いておこうと思う。

 

ちょっと長くなります。

 

 

以前の自叙伝にも書いているが

 

小さい時から常に動物と生活をしていた私。

 

いるのが当たり前のようなね。

 

 

一番最初の犬は、幼稚園行く時の捨て犬(子犬)

 

ペロとの出会い。

 

 

貴重な1枚

 

雪が降った時近所の芝生の所で

 

母親と私がスキーで遊ぶ時一緒に遊んでたペロ

 

近所の犬がジステンバーに感染し、ペロも感染しお空に。

 

ジステンバーの怖さを知る。

 

次は父親が子犬を同僚から譲り受け家族となったペリ

 

 

最初この子が誰だかわからなかったが

 

もしかしたらこの子がペリの可能性が大。

 

毛色的に、また私の年齢的に・・・お迎えしに行った時かも。

 

この頃は外飼いが当たり前のような時代。

 

フィラリアになりお空に。

 

この時初めてフィラリアという蚊が原因の病気を知る。

 

ペロ、ペリが身体をはって教えてくれたこと。

 

初めて母がブリーダーさんの所からマルチーズを迎える。

 

名前は麻雀にちなんでロン。母が名付けて・・・

 

もちろん、この時から我が家では室内飼いとなる。

 

 

トリミングにも行ったね。

 

その時はリボンもつけてもらって可愛らしい男の子

 

でも母親べったりで家族は大丈夫だけど

 

他の人は寄せ付けない。

 

この当時は白文、桜文鳥、インコ、ジュウシマツと

 

鳥もいたね。賑やかなうちだった。

 

母親が病気となり命取りとなる状況に・・・

 

母親以外誰も寄せ付けない

 

色々里親をあたったが・・・ロンの性格を知るものはみんなNG。

 

だよね・・・歯を剥いちゃうから。

 

私もロンを引き取る余裕などはなく・・・

 

母親の決断で安楽死させることになった。

 

今なら違った選択も出来たはず・・・

 

思い出すと胸が苦しい。ロン、ごめんね。

 

 

私がシングルとなり実家に戻り

 

当時付き合っていた彼からプレゼントされた

 

シェルティのクーマ

 

 

 

なぜか2枚貼りついちゃった・・・気にしない・・・

 

職場のバイトの子の家で猫が産まれ

 

貰い手がいないと保健所行きと話を聞き

 

 

初めて猫 トトロが家族となる。

 

 

クーマとトトロは仲良し。

 

仕事をバリバリこなしてた私。

 

父親がクーマのお世話をしていた。

 

ところが年齢による衰えかと当時は思ってたが

 

病院に連れて行くと腎臓機能の低下があると。

 

しばらく家で看ていたが容態が良くなく

 

病院に再度受診。

 

そのまま入院となる。

 

数日後朝病院から電話・・・朝起きたら息を引き取ってたと。

 

病院の先生からは昨夜お家に帰すべきだった。

 

すみませんと・・・

 

父親と次男と私で迎えにいった帰り

 

私は信号無視してしまい・・・危うくバスと衝突するところだった。

 

頭が働かず・・・涙で信号が見えてなかった。

 

幸い事故にならず良かった。

 

1995年 夏 クーマ虹の橋を渡る

 

1人冷たい病院のゲージ内で逝かせてしまったことに

 

しばらく立ち直ることは出来なかったのだが

 

それより、1人でずっと家に居る父親

 

話し相手もいないし・・・

 

何もしない父親、このままだと惚けちゃうことが心配。

 

そこで里親募集の子を迎えようと探す。

 

そこでハスキー犬の里親募集が目にとまる。

 

何度か保護団体の方と連絡取り合うも

 

いつ譲渡とか言うわりに延期・・・と何度も何度も繰り返される。

 

本当に里親募集かけているのか疑問がわいた。

 

もうお断りの電話を入れた所

 

違う子なんですがハスキー犬の子がいます。

 

どうですか?と言われ、ならばその子の里親になると決める。

 

茶色に大きな成犬のハスキーの子。

 

お迎えに行き名前はチャーリ―

 

何でも夢の島で保護されたとかで・・・

 

昔は保護団体も今のようにしっかりした感じではないよね。

 

避妊手術代と譲渡にかかる費用をお支払いし

 

うちの子となったのだが・・・

 

1週間後下痢に嘔吐

 

その日のうちに急いで救急病院に連れて行った。

 

結果、パラボウィルスに感染してますと・・・

 

そのまま連れて帰るも翌日には息を引き取る。

 

早々保護団体に電話したら

 

遺体は家で引き取ります、火葬代3万円はご負担くださいと。

 

不信感でしかない・・・

 

それでも遺体は迎えに来た方に引き渡す。

 

1997年 春 チャーリ―は虹の橋を渡る。

 

パルボウィルス感染なので家の中ハイターで雑巾がけ。

 

そして最低でも3ヶ月は犬等は飼うことは出来ませんと

 

病院で言われてた。

 

もういいか・・・と思ったが父親の落胆ぶりは凄かった。

 

クーマがいなくなり、淋しかったところにチャリ―が来たものの

 

たった1週間でいなくなり・・・

 

ますます覇気がない感じに。

 

チャーリ―が虹の橋を渡った年の瀬

 

父親にもし犬を飼うとしたらどんな子がいい?と聞いてみたら

 

チャーリ―と同じ子がいいという。

 

しかし大型犬、さすがに父親の散歩は無理だ。

 

私がやるようになるのか・・・

 

そんなタイミングで年明けにペットショップのチラシが入る。

 

見れば生後半年のハスキー犬が格安で載っている。

 

この子にしよう~とお店に行くも、すでに違うご家庭に・・・

 

そしたら産まれたばかりのハスキー子がいますので

 

宜しければその子達どうでしょうと・・・

 

春に見に行くとお店のサークルの中に小さなハスキー犬が5匹

 

当初1頭の予定が

 

父親が2頭飼うと言い出し・・・

 

男の子と女の子を迎え入れることになった。

 

 

ジャック

 

 

ラブ

 

 

ジャックとラブです

 

 

ま~元気、元気。

 

家が壊れていく~。

 

障子なんて骨組みはかじり無くなり・・・

 

この子達の為に家を建て替える決断をしたと言っても過言ではない。

 

でもこの子達のお陰で

 

沈みがちだった父親にも笑顔が戻り

 

おトイレが室内だったためそのための新聞折りなど

 

出来ることを一生懸命やってた。

 

今日はここまで。