ベラとイバ…
多分、忘れようとしても忘れられない名前の2人です。
シテ時代に お世話になった人たちの中でも ベラは チッチの家に 一番よく遊びにきてくれた女の子でした。
イバはベラのママです。彼女はチェコスロバキアの出身…ご主人はスウェーデンの人でした。2人は 国家の体制の中で離ればなれに暮らさざるを得ない家族でした。年に一回 スウェーデンのパパのところへ ベラを会いに行かせていました。彼女も研究者でした。以前 書いたことのある日本人の子連れ留学生のMさんと同じように子連れ留学生でした。違ったのは イバには離ればなれに暮らさざるを得ないご主人がいて Mさんには妻の子連れ留学を支えてくれるご主人がいた…ということです。Mさんのご主人は たまに日本から あるいは出張先のロンドンから妻子に会いにやって来ました。

  イバは いつも哀しそうな目をしていました。一度 彼女から叱られたことがありました。チッチがベラの家に遊びに行くと おやつをたくさんいただくので 我が家にエバが来ると 私もおやつを たくさん あげてしまいました。それが原因で エバは イバと一緒に食事をする時 お腹が一杯で食べられない事態になってしまったのです。
「私はエバと一緒に食事をする時しか エバに母親らしいことをしてあげられない…せめて 2人で食事ができるように エバにはお腹を空かせておいて欲しいの。だから おやつはあげないでね…」
ここは 日本人とは違うところで はっきりと自分の言いたいことを言えるんだな…と内心 そういうことの出来ない自分がはっきりと見えて ムカッとするより その潔さに むしろ好感が持てるのでした。
   
   彼女の深く悲しい瞳は 1992年まで存在したチェコスロバキアという社会主義共和国の環境下に生きてきたこともあるのかもしれません。じっと見つめられると 何故か 安穏としている自分の姿が浮き彫りになり 申し訳なく思うことさえありました。

   帰国間際に家族をディナーに招待してくれました。チェコスロバキアのお料理は ミートボールを野菜と一緒に煮込んだものでした。とても 美味しくいただいたのを覚えています。
お土産には チェコスロバキアの壁掛け用絵皿でしたが、北海道の家の壁に飾っておいたものが ある日突然 落下して割れてしまいました…その日から時折 イバとエバの夢を見ます…
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   あの頃 出会った人たちをひとりひとり 出来るだけ 丁寧に思い出しながら 綴っていくことは 私にとっての もうひとつの旅なのです。