やっと時間に余裕のできた家人とともに 少し散策してみようかと 千駄木駅まで地下鉄を使って行ってみました。2、3回 この辺りを歩いてみて庶民的な しかも 昔懐かしいご近所さん的な雰囲気が気に入っていて 夏には子供神輿を目の前で見ることができたし…などと思い出しながら歩いていると 町内会の子供会ででもあるのでしょうか?小さな公園に住民の皆さんが集まっていました。
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餅つきをしているところですが…お鍋からはいい匂いがしてきて きっと 皆さんで飲んだり食べたりするのでしょう…
いいな、こんな風な集いって…
と思いながら、谷中銀座のほうへ細い道を進んで行くと岡倉天心の記念公園が住宅街にひっそりとあったりして…こんな所に!と思わずにはいられません。
途中に日蓮宗の立派なお寺があったのだけれど、墓石やお塔婆の背景に、質屋「おぢさん」という看板が目に入り なんとも言えない、と言うか笑ってはいけない!と思う一瞬でした。
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笑ってはいけません。
   谷中銀座はいつものように 多分 観光客が多いのでしょうが 人が沢山…老舗のかりんとうや老舗のお煎餅を少しだけ買って そのまま 根岸の子規庵へ向かいました。
パリもそうですが 東京も 本当に詳しい家人は 私の知らない所を案内してくれるので 楽しみではあります。
   子規庵は ラブホテルの林立した地域にあり そこだけ異次元の世界のようです。小さくて古くて今にも壊れそうな家屋ですが、正岡子規が34歳11カ月で亡くなるまでの8年間を病いと闘いながらも思いっきり生きた家です。亡くなった部屋から見える沢山の糸瓜(へちま)が実をつけているのが印象的でした。絶筆となった三句は このへちまの句でした。寝ている姿勢では この糸瓜しか目に入らなかったのだそうです。
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   子規庵には有名な俳人、歌人の他にも 夏目漱石、森鴎外、与謝野鉄幹なども訪れたということです。明治の文学を偲びながら あまり訪れる人もいなさそうな この子規庵を訪れて良かった…と思うひとときでした。

   出口から出ると 正面にラブホテルが…なんだか余韻に浸る間も無く現実に引き戻された一瞬でした。