2011年 約1ヶ月のパリ滞在を経て帰国を迎えた日のことです。帰国準備、全て完了…
その時 友人とスカイプしていた下の子が「大変!」と叫びました。日本が大変なことになっている…インターネットでは津波に襲われ町ごと消えていく映像が流れています。大地震のニュースを知り パリの友人は日本が壊滅したようなイメージを受けたらしく夫に連絡をしてきました。飛行機もどうなっているかわからないため とにかく空港へ向かいました。親戚とも連絡がつかず無事を確認できたのは空港内…遅れはしたものの成田に到着すると既に各国の救助隊がリュックを背負って並んでいました。空港内は暗くあちらこちらのガラスが割れ商品はほとんど入っていません。空港内のスクリーンには ひたすら津波の映像が流れていて 言葉がでてこないくらいのショックでした。

一年後の渡仏滞在中、サンルイ島でお土産を買いに立ち寄ったお店で福島はどうしたかと心配顔で聞かれ まだまだ難しい状態だと答えると 彼女は日本はとても好きな国だから早く復興して欲しいと言ってくれました。フランスを含め多くの国が義援金を送ってくれたことを忘れてはいけないと改めて思いました。

放射能の影響もあり 辛い思いをされている多くの避難者の方々、家族を亡くされ深い傷を負われた方々、全ての被災者の方々が本当の意味での日常を取り戻されるよう願ってやみません。

3月11日を振り返って…