ずいぶん、手につかなくて、
放りっぱなしだったこのブログ。

ホントは、書きたいこといっぱいあったはず。
でも画面を前にすると、書けなくて。
知らないうちに、言語化するのが、怖くなってた。

でも、久しぶりにモチベーションがよみがえってきた。
自分の欠点を真摯に見つめられた。
また頑張れる気がする。

とりあえず、
どんな業界に行っても、やりたいことはひとつ。
「国際社会の平和に貢献する」。

やらなきゃいけないことは山積み。
でもやらなきゃいけないことが明確なのって、
すごくありがたいこと。

ここまで来るのに3ヵ月かかってしまったけれど、
まだ遅くないはず。

これからこれから。
短気は損気。
最近、すっごくよく思いますひらめき電球
や、短気というか、感情に任せて怒ること、かな??

例えば、勉強しない子どもに対して「やる気がないからだめなんだお前は!」と言ってみたり、
動きの遅い同僚に対して「のろのろしてんな!」って言ってみたり、
口先だけいいことかましてる人に対して影で「自分で行動しろ!!」って言ってみたりしょぼん

どのケースも、言いたいことは、ものすごーーーーく、わかる。
し、論理的に考えて、その言い分が正しいこともたくさんある。
でもさ、結局そんな口調で言ったって根本的な解決にはならないんだよね。
お互い印象悪くなるか、相手が極度に落ち込むか、逆ギレするか。
たいていこのどれかになるだけで、この中でプラスにつながるような怒り方ってないと思う。

相手を頭ごなしに批判する前に、ちょっと視点を変えてみて、
どうしてやる気がでないのか、そもそもやる気がないのが原因なのか、とか
動きが遅いのはなぜか、実務的に困ることはあるのか、他でカバーできないか、とか、
相手に動いてもらうためにはどういう助言をしたらいいか、とか、いろいろ分析できると思う。
それでそこから相手を変えるために自分がどう動くかが、実は一番重要だったりする。
そういう自分の変化を見て、相手も変わってくれることってままあると思う。

教員で言えば子どもに対して、店員で言えば顧客に対して、親で言えばよその子どもに対しては、
結構突き放してみれてるんじゃないかな。
問題は、それ以外のところ。
同僚、友達(知り合い)、上司、子ども、親…。
自分と共有するものが多い人にほど、人って期待するものだと思う。
自分のやりたいことや価値観を全てわかってくれてるはず、
そして、相手も自分と同等のことくらいはできるはず、って。

でも、それは結局個人の中のイメージであって、
本当に相手が自分のことを理解しているかというと、
20年以上付き合ってきた親でさえ、わかってないことは多々あるわけです。
ましてや他人なんて…っていうのが筋だよね。

まず、自分の中の「相手像」を取り払うこと。
相手を本当に客観的に見つめること。
その中で効果的なアプローチを見つけていくこと。
それが、良好な人間関係を保っていくキーだと気づきました。

せっかくの出会いだもん、無駄にしたくないっニコニコ
たまには外(=相手)だけじゃなく、内(=自分)と外の関係も見てみると、
考え方や行動の仕方が変わるかもね音譜
やーやってくれましたサッカー日本代表ラブラブ
途中ヒヤヒヤする場面もいくつかあったけど、前半に取った1点をよく守り抜いてくれましたー音譜
久々にスポーツ真剣に見た気がする~♪
やっぱ見ると体育会系の血がよみがえるねキラキラ
明後日のオランダ戦もばっちりチェックする予定です★


さて、更新がかなり滞ってしまいましたが、
前回は言語習得において目標とされるものを、英語に焦点を当てて解説しましたチューリップ赤
今回は、言語習得に「センス」は必要なのか、つまり、
英語が得意な人にはセンスがあって、苦手な人にはないのか?
また、もし「センス」という概念が存在しないなら、どうして言語習得が得意な人と苦手な人がいるのか?
何が二者を分けているのか?という、よくある問いについて考えていきたいと思います。

まず、「センス」とは何かについて考えていきます。
大抵、普段の会話の中で用いられる「センス」(例えば、「言語習得には『センス』が必要だ」)は、
「言語習得に特化した生得的な才能の一部」と言い換えられます。
しかしながら、科学的にはそういったシステムはまだ見つかっておらず、
もっとさまざまな要因が絡み合って、言語習得の得手不得手を決定しています。

ではどんな要因があるのか。

一つ、重要になるのは言語習得者の年齢です。
よく知られている臨界期仮説(一定の年齢を過ぎてからだと言語習得が困難になるという仮説)でも提唱されているように、人間の言語習得能力は生涯を通して一定ではなく、だいたい4~5歳を過ぎると、対象言語の習得が極めて困難になると言われています。
じゃあ小学校から英語始めたって到底遅いじゃん!!!と思っているみなさん、ちょっと待った。
ここで誤解してほしくないのは、この時期を過ぎたからといって言語が全く身につかなくなる、というわけではないということです。
この仮説の本質は、4~5歳よりも前に対象言語に十分触れていると、その言語のネイティブになれる(=第一言語と同等に扱えるようになる)というところにあります。
したがって、それ以降の時期の言語習得の可能性を全く打ち消してしまうものではありません。

確かに、どういう理由かはまだ解明されていませんが、
年齢が上昇するにつれてネイティブのようになれる可能性は非常に少なくなっていきます。
特にこの影響を強く受けるのが発音だと言われています。
人間は幼児のうちに聞いた音声を自分の言語の音だと認識し、獲得していきます。
したがって、その際耳に入ることのなかった音声は言語の音声として認識されないということになります。
つまり、英語のth, r, lが持つ音に対して日本人は耳慣れしていないため、
聞き分けることも、また自分で使い分けることも難しくなります。
日本人が英語の発音に苦労する理由の一つはここにあります。
逆に、帰国子女、特に幼少期に英語圏の国に滞在していた人の発音がきれいなのは、
まだ言語獲得機能が十分に働いているうちにその音を「音声」として獲得できたからだと言われています。

では、国内で育って国内で英語を学ぶ人は、どうやったらネイティブのような発音を獲得できるのでしょうか?

残念ながら、たとえ英語圏の国に10年、20年と住んでいても、
渡航した年齢が遅ければ遅いほど、ネイティブと全く同じような発音を獲得できる可能性はどんどん低くなっていきます。
これは私のいたトロントでも移民の英語の研究の中で証明されていたのですが、
母語の第二言語への干渉が少なからずあり、年齢が高くなればなるほど第一言語にある音を第二言語にある音で耳慣れしないものと置き換える傾向があるからです。

ですが、たとえ年齢が高くとも、意識的な練習を繰り返すことで発音を少しずつ改善していくことができます。
中学生・高校生の時によく「発音意識して」とか「thの時は舌を前歯の間に挟んで」とか言われたと思いますが、まさにあれです。
子音一つの発音でも舌の位置、呼気の量、唇の形、舌の位置などしっかり意識することで大分発音が変わってきます。
これを、英語を使う機会のあるたびに繰り返す。
具体的な注意ポイントについて述べることはスペース的にできないので後日またポイントを絞って書きたいと思います。
が、このように有効だと言われているストラテジーが学校で実践されているにも関わらず、なぜ発音がよくならないかというと、やはり母語の干渉が大きいこと、指導者自身が正確な発音をすることができないこと、発音練習に費やせる時間がないこと、関心がほとんど子音に向いており母音の正確な発音が意識されていないことなどが原因になっていると思います。
私自身、発音で苦労したことは何度もあり、実は帰国した今でも練習中です。
この年齢であれば、発音を向上できる可能性はゼロではないので、"将来教壇に立ちたいと考えている者"として、どの場面でもきちんとした標準英語の発音を使えるようになりたいと思います。
(クオテーションマーク使ったのには一応意味があるんだけど、理由についてはまた機会があったら書きます。)

結構衝撃的なことを書いたかもしれませんが、要は言語の習得って、そんなに簡単にできるものではないんです。逆に言うと、毎日コツコツ努力すれば、きっと道が開けてくるということです^^

これを見て刺激を受けたみなさん、片手にレコーダーを持って、まずは自分の発音をチェックすることから始めてみましょう★誰も聞いてないもん、恥ずかしくないない^^
自分で自分の弱点を知ってそれを改善していくことが、言語習得のみならず、全てにおいて「上達」の近道だと私は信じています^^

さぁ、Let's try~ :)
こんにちはラブラブ
英語学習について書くと言いつつ、一つのエントリーも書いてないことに気づいたので、
今日のテーマはこれにしたいと思いますにひひ

とはいえ、英語学習って言ったってホントにいろんな切り口があるので、
一つのエントリーで全てまとめることはできないですあせる
なので、毎回テーマを具体化させつつ日々の英語学習に役立たせてもらえるような記事を書いていけたらって思ってますチョキ

初回の今日は、「英語を学ぶにあたって」。
うん、ざっくり。笑

今日はまず、言語を学ぶとはどういうことか、どんなことを学んだら言語が身につくのか、
特に英語に焦点を当てて、概略を説明していきたいと思いますキラキラ
ちょっと堅い話になるかもだけど、なるべくわかりやすい言葉で書いていくつもりです。



では、「言語を学ぶ」「英語を学ぶ」とはどういうことか。

簡単に言うと、習得を目的とする言語の構造(音声、語彙、文法、語用論など)を勉強することです。
そしてこれらを体系的に使えるようになった状態が、「言語を習得した」状態になります。

例を挙げます。

音声に関しては、文字通り、対象言語内に存在する音を知り学習することが求められます。
英語には9個の母音と22個の子音があり(学説によってはもっと多く分類するものもあります)、
その組み合わせから語彙を判別できるようになることが目標です。

語彙に関しては、文字情報や音声情報からその言葉の意味を読み取れるようになることが求められます。
固有の意味を持たない文字の羅列が持つ特定の意味を理解できるようになることが目標です。
例えば、英語の"dog"はd,o,gというそれぞれには何の意味も持たない文字の組み合わせからできています。
これはd,o,gという3文字を、d,o,gという順に並べることによって、
初めて「人が飼うことのできる嗅覚の鋭い中型の動物」という、文字とは全く無関係の「意味」を表すようになります。
英語は多くのアルファベット言語と同じで、文字列とその意味に全く関係性がありません。
これが、日本人を含む非アルファベット言語の母語話者が英単語暗記に苦労している理由です。
かなり長くなってしまうので、第二言語習得についての議論はここでは深入りしませんが、
言語学の理論を知っておくことで習得に役立つことはたくさんあると思うので、また後日書きます。

気を取り直して。

文法に関しては、特定の構造がどの意味とつながっているか解釈できるようになることが求められます。
直後につく助詞の種類が文の意味を左右する日本語と異なり、
英語では、構造のキーとなるのは語順です。
例えば、Mary likes Tom. と Tom likes Mary. では、使われている単語は全く同じですが、
意味は変わってきます。
前者は「メアリーがトムを」好きだという意味を示すのに対し、後者は「トムがメアリーを」好きだという意味を示しています。
ここからわかるように、英語では、語順によって文の中の対象の関係性が変わります。
よって、英語習得のためには、順序づけのある単語の羅列を意図されたように解釈できるようになることが必要です。

実用論については、ある会話の中で発せられた文や単語が直接表さない言外の意味を理解できるようになることが求められます。
例えば、Can you come to my house after school? に対して、
I have tons of homework today. という返答がある場合、
2番目の文は「今日たくさん宿題がある」という事実を示しているだけでなく、
「その状況下ではあなたの家に行くのは不可能である」という意味を含んでいます。
よって、文脈によって各文の意味がどのように変化するか理解できるようになることも、
英語を習得する上で重要な要素になってきます。

ここまで、言語を学ぶ際にマスターすることを目標とされているものを、
特に英語に焦点を当てて解説してきました音譜
これらの目標は学習者の言語的バックグラウンドが何であるかにかかわらず一定です。

では、なぜ言語を学ぶことを「やさしい」と感じる人と、そうでない人がいるのでしょうか。

それには、言語習得時の年齢、その時点での獲得言語数、モチベーションなどが関わってきます。
次回は、日本人英語学習者が英語を学ぶ際に特に難しいと言われている要素について、
その克服方法とともに解説していきたいと思っていますラブラブ

それでは☆
書きたいこといっぱいあるんだけど、
とりあえずフェスタの話の続きいっちゃいますね。

2.自分の無力さが露呈された。

英語教育の話をしてる時に、私の将来のことについてみんなに相談した。
今の自分のやりたい語学教育+異文化理解教育は、本当に公教育の中で実現可能なものなのか。
もっと違うフィールドに出た方が自分の夢を達成しやすいんじゃないか。

そういう話の中で、ある社会人の方が、私の考えの甘さについて指摘してくれた。

「君は志望動機の前に夢をもっとはっきりさせるべき」
「お金のことをもっと考えなさい」
「君は矛盾に満ちた人生を歩んでいくよ」

確かに、私は何も教育現場のことわかってないし、社会のことも知らない。
だから、私は普通に納得してた。自分に対しての貴重な客観的意見だと思ってホントに普通に受け止めてた。
でも、その指摘の仕方が万人受けするものじゃなかったんだよね。

私を指差して、威圧的にしゃべる。とにかくしゃべる。

それを見かねた一人の友達が、その姿勢について指摘した。
でも、この指摘の仕方も、またこの場で有効なものじゃなかった。

「私は人を指差して話をする人が嫌いです。」

この後、社会人の方は、「ここに好かれるために来たわけではない」といい、自論展開を続け、
友達の方はぱったりしゃべるのをやめてしまった。

私は自分のこと聞いてもらってる場だし、いやな空気を変えたいと思って、
できるだけプラスな言葉を並べつつ、他の人にとってはもっと聞きやすい言葉があるかも知れませんね的な会話から、話題を少し発展させた内容へとすり替えたりしてみたけれど、
結局その社会人の方と友達(を始めその場にいる人たち)は、イベント終了まで一言も話さずに終わっちゃった。って話。



率直に言って、もったいなかったし、幻滅した部分もあったし、何より自分の無力さにがっかりした。

まず、話し方については、確かに指をさす行為自体は好まれない行為だってことはわかってる。
そこは、本当に自分の話をいろんな人に聞いてもらいたいなら直した方がいいところだと思う。
だから、指摘されたら素直に受け止めるべきだったんじゃないか。

逆に、指摘する側としては、相手が受け入れやすいように、言葉を選ぶ必要があったんじゃないか。
聞くところによると、社会人の方とその友達は前からの知り合いだったらしく、
社会人の方がそういう話し方をするってことを前々から知っていたそう。
それだったら、きっとその人の心的状況や育ってきた環境も含めて、
どんな言葉遣いでどういう話し方をしたら受け入れてもらいやすいか、より工夫ができたんじゃないかと思う。

そして、そういう両者の立場に気づきながら、いやな流れを変えられなかった自分はものすごく無力だと思った。
自分に幻滅した。
自分のこと聞いてもらってて、そこで生まれた不和だったのに、自分が解決のかじ取りできないなんて。



今振り返ってみると、この議論の直後の私の行動は間違ってなかったと思う。
下手に出つつ、話題を変えつつっていう部分では、とりあえずのその場の空気をまとめることはできたんだと思う。
でも、問題はそのあとだったんじゃないか。
結局その場を何とかしのいで、そのあとの2人の関係まで気が回ってなかった。
そのせいで、2人の関係は決裂しちゃった。
もっとフォローができたはずだし、何かしら他の話題で2人を結び付けることができたはず。


せっかくいろんな人が集まるイベントなんだから、「議論」でなく「言いあい」で関係をダメにするのはもったいない。
たとえ意見を飛ばしあっても、最後に「よく議論した」って言ってお互いがいい気持ちで帰れる、
それがこのイベントの本来あるべき姿だと思う。
だから、そういう場にできなくてごめんなさいって感じだったし、
これからそういう空気を打破できるような話術を身につけていきたいなって思った。


以上、ちょっと暗いけどイベントレポでした。
でも自分のしなきゃいけないことを見つけられたという意味ではとっても価値あるイベントだったと思います。


そして、
自分のしなきゃいけないことといえば、もうひとつ。
昨日、ひっどいことに出くわしました。
その件についてはまた後日。