こんにちは!ma-kun-ma-kunです!

最近暑くなってきましたね!みんな熱中症に気をつけてくださいね!

さて今回は近鉄の事故に振り返ってみました!頑張ったので暖かく見てくれたら嬉しいです!

今回は、近鉄青山線列車衝突事故」について解説していきたいと思います!

さて、事故が起こった日は、1971年(昭和46年)10月25日に事故は起こりました。

ちなみに、使われた車両は、12000系(通称乙特急)が2両&2両が連結されて、運行されました。結構古い列車ですよね。(当たり前)

それでは、本編に戻りましょう。

西青山〜東青山間の途中にある旧青山トンネル(今は新青山トンネルがある)手前の200mの間で自動列車停止装置(ATS)が故障のため、乙特急は停車しました。

事故以前も、他の列車も、誤動作で青山トンネル内で上り5本と、下り一本が同様にこの現象が起こりました。運転士は、ATSを手動で解除しようと思ったが、緩解が全然できませんでした。だめだったので各車両のコックをカットして、ブレーキシリンダーのエアを全部抜くという非常措置を行った。そして無事解除できたのだが、駆けつけた同駅助役がやり取りのあとに手歯止めを外してしまった。そのあと、運転士は運転席に座り、供給コックをカットしたままブレーキを緩解してしまったのだ。その結果、114列車は、走り出したが、エアの再充填ができず、114列車はブレーキが効かないまま、そして、停車地点は、33%の急勾配でしたので、114列車は、坂道で暴走を始めました。乗客さんたちは、1番後ろの4両に避難するよう指示されました。

そしてついに、15時58分ごろ、東青山〜榊原温泉口の間ににある垣内東信号場の安全側線専用の分岐点を、144キロで通過、通過直後に脱線。そのまま、総谷トンネルに突入。3両目以降は総谷トンネルの壁に激突して停車したが、先頭の2両は横転したまま、トンネル内に突入、そのあと無事に止まったが、直後に対向の賢島発京都、近鉄難波(昔は名前が変わっていた)行きの10100系、18200系が連結されてやってきた、運転士は異常を認識し、非常ブレーキを使ったが、間に合わなく、トンネル内で正面衝突事故になった。

この事故で、死亡者が25人、負傷者288人が出た。町役場職員、地元消防団、地元住民などの救援が凄くきた。現在の旧総谷トンネルは廃止され、新しく新青山トンネルができた。実際の写真がこちら↓

 

これが新青山トンネルです。

ここで話は終わりです。どうでしたか?今回は近鉄大阪線列車衝突事故について解説しました。

それではまた会いましょう、それではまた!