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『下手は悪くない!!』

つれづれなるままに、つれづれを書きつくりて良しとせば、また、あしとせば。

国防を念頭に置いた兵法、武には何でもある。


なんせが「PT」の方法から、核戦争までである。


情報、心理、生物、化学、教育、遺伝子などなど。


全てを民族生存の為に、平時から、それらを戦場として戦うのが国防である。


総力戦という言葉が歴史上にあるが、いかなる戦闘、局地戦のような限定的な戦いであっても総力戦である。


フォークランド紛争が、地域限定の戦いだったからと言って、果たして、その結果は参加国にとって「軽いもの」であったのか?


GNPやGDPという数値が国の基準を示す指標である事でさえ、国家が常に総力戦である事を示しているものだと察するべきである。


この総力戦を理解しない一般教養という目眩ましは、社会が健全性を保ったまま、将来に続くという計画を理解できないし、宗教は、何をやっても宗教関係者の生活の為に、自分達の妄想上の宗旨を超えた枠では頭を使わない。


その為には、経典だって改竄する。

「宗祖殺し」は「キリスト教」だけではない。


ただ、武だけはー


戦争を経済学の一部として考える事もできれば、自然科学的な見地から見た、人口と国土の回復の問題としても考えられる。


国家的なプロジェクトは政策ではなくー


戦略なのだ。



全部ある。



そこで、五体投地(ごたいとうち)である。


脚、腕、頭の五カ所を地面に投げ出す事によって、自身の執着を離れて、捨身施虎の釈迦や、金烏玉兎の兎の精神を宿す瑜伽行である。


ただ、防衛大学校にいったり、宗教偉いと鼻にかけりょうな、教室で褒められるだけの、自分という概念の机でするだけの「お勉強」が得意なやつ。


こういう「行」の結果を、不惜身命の捨て身から「喝」

を得る「稽古」とは考えないで、自分を飾る為のステップとしか考えないので、必死を究める話しをすると、ピーピー言いやがんのw


役に立たない。


これしたら、兎がやってきて、勝手に食べれるようになるんでしょ。



そういう発想。



まー


官僚体質っていうのかw



「カス」


「待惚け」は、こういう事の比喩でもあるって思うわけだ。


こういう、捨身施虎ー


虎というのは「徳」の象徴でもあり、釈迦が高貴なのを理解して、空腹でも釈迦を襲わなない。


なので、そういう「徳」のあるものに、自分の身を施す。


国の将来の為に自身を犠牲にする、所謂「特攻精神」を寛容する稽古は、武では、五体投地ではなく、相撲のぶちかまし、巻藁鍛錬、立木打ちがある。


五体投地というのが、釈迦が飢えた虎の為に高所より身を投げて、虎(ねこ)マンマのミンチになった様に、自分の非あって義を示す事をする儀礼であり稽古である。



仏教に於いて、慈と勇は同義である。


五体投地の回数を重ねるたびに、死と再生を繰り返し、浄化と慈悲心、つまり勇を育む。


巻藁鍛錬、立木打ちもまた同じ。


国や民族の滅亡の危機に際して、戦場で一心撃滅を持って身を捨てる稽古が本来である。