『下手は悪くない!!』 -2ページ目

『下手は悪くない!!』

つれづれなるままに、つれづれを書きつくりて良しとせば、また、あしとせば。

「うっりゃつ!」


気合一発。


かくてのツバサの拳は、ゾンビの顔面を叩き伏す。

学校帰り何時もの角を回った先で、途端にZONEに入った。



巧妙なのか、なんなのかー


最近はゾワゾワとした感じで迫って来る方法と、いきなり入りこませるような方法と、2種類の方法で敵の陣が用意されている。



今日は、後者だった。


角を曲がって、変な圧を感じて、前を見るとー


人間ミサイルを発射する寸前と思われる、腐った女がいた。


相変わらずゾンビの腐臭には慣れないが、呆然として、その上に自失でもしていればー


どういう事になるか?


というのは予測も実地も、何もかも慣れている。


小さい時、ミット打ちの稽古をグズっていた時。


相手は、潤だった。


普段、温和でー

柔和な顔でいる潤に、甘えていたのかもしれない。


何となく、翔に対する様な年の近さから来る緊張感から解放される感じが、ツバサが潤に感じている「居心地の良さ」であった。


とにかく、この日はー

その居心地の良さが裏目に出て、かなり悪いコンディションで稽古に臨んでいた。


お手伝いさんの「なだめすかし」で、仕方なく道場で、ミットを下腿部にぶら下げて立っている感じである。


目も死んでいるしー

顔も不細工に歪んでいる。


何時も「にゃんこビーム」同様に、世界にツバサが放射している「美少女波」の検出も停止していた。



「ほら、頑張って下さい。」


お手伝いさんの人が、少し励ます。


すると、ツバサは口を尖らせたまま、ゴニョゴニョと口を動かして「押忍」と言ったもののー


中身なし。


であった。


ローキックのトレ。


ミット越しに相手の蹴りに当たる事で、打たれ強さも錬成する。


この時、さっきまで努めて柔和な顔でツバサに臨んでいた潤の顔が、鬼神の如くの表情を一瞬見せた。


それを、傍らで別のお手伝いさんとミット打ちをしていた翔が認めて、顔を引き攣らせた。


それがボンヤリとツバサの視界に入る。


その頃には、潤の顔が元の柔和な顔に戻っていたがー


それに遅れて「ハッシ」とばかりの、何時も潤がツバサとミット打ちをする時の様な、手加減のある音ではない音が道場に響いた。


かなり強烈な一撃。



グズって踏ん張りをなくしていたツバサは、足元を掬われる形となった。



今まで真っ直ぐだった世界が、急に痛みというか、衝撃とともに、斜めになってゆく。


傾斜30度!


と思った時には50度を超えていた。


ばちーん。


と畳にツバサの柔らかい身体が打ちつけられる音がして、傾斜90度。


船なら横転、航行不能。

ツバサは受身はおろか、手を着くことはさえずに地面と平行になって、顔をぶつけた。


痛い!


身体もだが「優しい=ぬるい」と思っていた潤からの、想定外の一撃はー


かなり痛かった。


「ぶぅうううへーんん!」


ツバサは大声を挙げて泣いてしまった。


道場で泣いてはならないという中島家局中法度はないが「押忍の精神」を培う場所である。


であれば、この涙はどうなのか。


しかしー


こればかりは、翔が偶になる空腹による行動不能と同じで、生理現象というかー


三鎮同様に、意密、口密、身密の「三密一致」で発生する「こころ」の形である。



当然、空念仏同様のウソ泣きというのあるが。


どうにもならない思いが爆発する時に、子供は、時には大人だって泣くのである。


そうなるかもなと思っていた、道場の大人達。


しかしー


そうなってしまえば、騒然となるものをー


それを、我慢してはー


取り敢えず、潤の言い分が出るのを待っていた。


慌てて止めに入れば稽古の範疇を越えた、暴力を振るった、振るってないの応酬で終わる。


知恵も、事態を目の前にして待つ勇気も必要な局面である。



蹴り飛ばした潤はー


ぐっとツバサを見下す。



「弱いとそうなるんだよ。弱いと一方的にやられて、文句も言えないで、地面に倒れて泣くしかなくなるんだよ。」


地面に倒れ込んで泣いていたツバサが、顔を涙と鼻水でグジャグジャにしながら身体を起こして、潤を仰ぐ。


手に持ったままだったキックミットを、道場あらぬ方向に投げつけてから怒鳴った。


「何で、私、私達、こんな事毎日しなきゃなんないの。」


道場全体が、顔を曇らせた。


するとー



潤は、一度目を閉じてからツバサの側に座る。


「私達、弱いからだよ。強くないと生きていけないの。」


それから泣きじゃくるツバサを、そっと抱き寄せて。


普段通りの声で言う。


「死にたくない。嫌だからそれ。だからー強くなろ。ね。」