Full Metal Jacket
元米軍海兵隊の退役軍人にして俳優
(Ronald Lee Ermey, 1944年3月24日 - 2018年4月15日)

アメリカ海兵隊の軍人、俳優。ニックネームは「ガニー(Gunny)」(Gunnery Sergeant:一等軍曹の略称)海兵隊時代には教練指導官も務めた。

渾名:"The Gunny"
ロナルド・リー・アーメイ
Ronald Lee Ermey
生誕:1944年3月24日
アメリカ合衆国カンザス州エンポリア
死没:2018年4月15日(74歳)
所属組織:アメリカ海兵隊
軍歴:1961 - 1972
最終階級:一等軍曹
除隊後:俳優
軍を退役後に映画『フルメタル・ジャケット』でのハートマン軍曹に代表されるような極めて居丈高な軍人・父親役を演じた。 ヒストリーチャンネルの番組Mail Call や、Lock N' Loadの司会を務めた。また、オーストリアの銃器メーカーであるグロック社のオフィシャル・スポークスマンでもあった。

《経歴》
本名:R. Lee Ermey
生年月日:1944年3月24日
没年月日:2018年4月15日(74歳没)
出生地:アメリカ合衆国カンザス州エンポリア
身長:180cm
活動期間:1978年~2018年
配偶者:ニーラ・アーメイ(1975年~2018年)
《主な作品》
『フルメタル・ジャケット』
『ミシシッピー・バーニング』
『セブン』
『デッドマン・ウォーキング』
『トイ・ストーリー』シリーズ
『テキサス・チェーンソー』シリーズ
《受賞》
ボストン映画批評家協会賞
助演男優賞
1987年 『フルメタル・ジャケット』
カンザス州エンポリア生まれ。毎朝の通学中に祖父の散弾銃で狩猟をしていたという。正式のファーストネームは父と同じRonaldで、そこからRonnieという愛称で呼ばれていたが、アーチー・コミックに登場する女子キャラクターと同じ愛称であることを嫌がり、イニシャルのRのみを名乗るようになった。14歳の時にワシントン州に転居。10代の頃は札付きの不良で、1961年の2度目の少年審判で、軍に入隊するか刑務所で服役するかのいずれかの処分を選択させられ、17歳で海兵隊に入隊する。当初希望したのは父親と同じ海軍で、それまで海兵隊については聞いたこともなかったが、海兵隊のポスターを見て制服が格好いいと思い海兵隊を選んだ。後に、彼は「(海兵隊が)俺の型破りな生き方に急ブレーキをかけた」("put a screeching halt to my unconventional manner")と述懐している。
後年に過酷な新兵訓練の場面を演じたアーメイだが、軍人上がりの父親による軍隊式の躾の方が現実の軍隊での訓練より厳しかったため、訓練課程は苦にならなかったという。1965年から1967年までの2年間、カリフォルニア州サンディエゴの海兵隊サンディエゴ新兵訓練所 (MCRD San Diego) で、DI(ドリル・インストラクター、教練指導官)として勤務。
1968年、第17海兵航空支援群の一員としてヴェトナムで戦う。沖縄でも2度ほど勤務する。この間何度も負傷し、1972年に二等軍曹(Staff Sergeant)で名誉除隊。しかし、負傷は戦闘によるものではないという事でパープルハート章は授与されなかった。
退役後もPTSD(心的外傷後ストレス障害)とみられる戦闘経験の悪夢と闘っていた。かつて赴任した沖縄に4年ほど滞在し、いくつかのパブを経営するが、売却してフィリピンに移住する。
彼の映画デビューは除隊後、復員軍人奨学金 (G.I. Bill) を得てフィリピンのマニラ大学で犯罪学と演劇を学んでいたときである。彼は映画『地獄の黙示録』にヘリコプターパイロット役として出演し、またフランシス・コッポラ監督のテクニカルアドバイザーとして参加した。そしていくつかの映画で脇役を務めた後の1987年、スタンリー・キューブリック監督の映画『フルメタル・ジャケット』で教練指導官のハートマン軍曹役で出演。

当初、彼はテクニカルアドバイザーとして参加していたが、演技指導で彼の罵詈雑言の迫力を見たキューブリック監督により、ハートマン軍曹役そのものが与えられた。

この映画出演がきっかけになり、キューブリック監督とは友人となった。キューブリック監督は死の直前に彼との会話で自身の遺作『アイズ ワイド シャット』を駄作と告白していたと彼は語っている。
フルメタル・ジャケットにおける彼の演技は批評家たちの激賞を受け、ゴールデングローブ賞の最優秀助演男優賞にノミネートされた。
その後も、約60本の映画に出演し、またアニメやゲームソフトの声優、テレビ番組の司会などとして活躍していた。
2018年4月15日、肺炎による合併症のため74歳で死去。葬儀の際、棺は海兵隊員によって運ばれ、アーリントン国立墓地に埋葬された。
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Homegrown terrorism ー2ー
【ボストンマラソン爆弾テロ事件】-2-
Boston Marathon bombings
一般からの情報に基づいて、当局は容疑者を、2002年頃に難民としてアメリカに移民したチェチェン人の2人兄弟で、技師を目指しマサチューセッツ州で評価の高い2年制のコミュニティー・カレッジで工学専攻のタメルラン・ツァルナエフ(Tamerlan Tsarnaev、1986年10月21日生まれ、事件時26歳)と、マサチューセッツ・ダートマス大学で口腔学専攻のジョハル・ツァルナエフ(Dzhokhar Tsarnaev、1993年7月22日生まれ、事件時19歳)とした。捜査官は爆弾作成を、アルカイダがイスラム教徒をテロに勧誘する目的で発行したとみられるオンラインマガジン「インスパイア」("Inspire" )から学んだものと確信している。兄のタメルランはボクシングでオリンピック出場を目指しており、2009年と2010年にニューイングランド・ゴールデングローブ・トーナメントに優勝、全国大会となるナショナル・ゴールデン・グローブ・トーナメントに出場を果たしていた。
《探索と逮捕》
写真の公開後、容疑者はマサチューセッツ工科大学の26歳の警備警官ショーン・コリアー(Sean Collier) を複数の銃撃によって射殺したとみられる。その様子は暗殺と表現された。コリアーは4月18日、午後10時48分マサチューセッツ工科大学キャンパスのStata Center (MITビル 32)の横に停車したパトカーに乗っていた。コリアーは近接したボストン市内のマサチューセッツ総合病院に運ばれたが、死亡が確認された。
容疑者はベンツSUVをケンブリッジで乗っ取り、ベンツの所有者にATMの使用を強要して$800(7万円相当)を奪った。容疑者は荷物をベンツに移し、もう1人の容疑者がホンダ・シビックで伴走した。被害者はATM引き出しの上限に達したあと、ガソリンスタンドから警察に連絡した。車に残った携帯電話によって、警察は所在地を特定した。車乗っ取りの犯人は被害者に、彼らがボストン爆発とMIT警官殺害を実行したと明言している。
4月19日午前0時過ぎ、ウォータータウンの警官がホンダのセダンと盗まれたベンツSUVに乗車している兄弟を発見し、ローレルアベニュー(Laurel Ave)で、兄弟と到着した警官のあいだで「猛烈な」銃撃戦が展開された。200-300発の銃弾と、少なくとも一つの爆弾、それに幾つかの"粗雑な手榴弾"が使われた。兄のタメルランが銃弾を使い果たし、警官が兄を押し倒して逮捕するに伴い、弟のジョハルは盗まれたSUVを運転して警官に向けて突進し、そのためSUVはタメルランを轢いて、短距離ながら引きずった。シリアル番号を消されたルガー9mmピストル1丁が現場から検収された。
タメルランは警察によってBeth Israel Deaconess Medical Centerに運ばれ、同病院で死亡した。死因は、多数の銃創、自爆装置付きベストからの爆傷と思われる傷、およびジョハルによって轢かれた際の負傷だとされる。一方、ジョハルはSUVを乗り捨て、徒歩で逃走した。銃撃戦の際、MBTA(マサチューセッツ湾交通局)の警察官、リチャード・H・ドナヒュー・ジュニアが重症を負った。ドナヒューはMount Auburn Hospitalに運ばれ、「重体だが安定」(critical but stable condition)と診断された。
FBIは、ウォータータウンでの銃撃戦の最中、両容疑者の追加写真を公開した。
4月19日早朝、ウォータータウンの住民たちに、リバース911通報による屋内待機が呼びかけられた。同朝、パトリック・マサチューセッツ州知事も、ウォータータウンおよびその周辺地域(Allston-Brighton、ボストン、Belmont、ブルックライン、ケンブリッジ、ニュートン、ウォルサム)の住民たちに屋内退避を指示した。
ウォータータウンの20ブロック区域に非常線が張られ、戦闘装備の警官たちが一帯を捜索する間、住民たちは自宅に待機してドアの呼び鈴などに応じたりしないよう指示された。2機のブラックホーク・ヘリコプターが上空を旋回し、装甲車に乗ったSWATチームが隊列を組んで移動し、警官らが一軒一軒を調べた。
現場には、FBI、アメリカ合衆国国土安全保障省、マサチューセッツ州兵、ボストン市警察、ウォータータウン警察、マサチューセッツ州警察が駆けつけた。アメリカ同時多発テロ事件の発生後に組織された複数機関合同タスクフォースとしては、初の大規模実地行動となった。
MBTA管轄下の全ての交通機関、ボストン地域の大部分のタクシー、ボストン発およびボストン行きのアムトラックが運営を停止した。ローガン国際空港は運営を続行した。大学・学校は閉校、多くの企業・商店や施設も営業を停止した。数千人または数万人(原文: thousands)におよぶ警官らがウォータータウンで各建物を回る一方で他の手がかりも追った。ケンブリッジ市のツァルナエフ宅とウォータータウンの捜索を合わせ、最低7個の即席爆発装置が押収された。
両容疑者の父親が、ダゲスタン共和国マハチカラの自宅から息子に「あきらめろ。あきらめろ。おまえには明るい未来が待っているんだ。ロシアに帰って来なさい」と呼びかけるとともに、アメリカ合衆国に対しては「(ジョハルが)殺されたりしたら、大騒動になるでしょう」と警告した。メリーランド州Montgomery Villageに住む叔父(または伯父)も、ジョハルに自首するよう、テレビを通して懇願した。
4月19日夜、ウォータータウンのある民家の裏庭にあったボートのタープの下に隠れていたジョハルを警官たちが取り囲んだ。屋内退避命令が解除された直後、同宅の住人が外に出たところ、裏庭のボートにかけてあったタープが緩んでいることに気付き、血溜まりに横たわる体をボートの中で見つけたため、即座に警察に通報した。州警察のヘリコプターが前方監視赤外線熱線暗視装置を使用してジョハルの存在と動きを確認した。ジョハルがタープを突付くような動作を始めると、警官たちはボートに向かって大量発砲し、現場指揮官の命令によってようやく中止した。逮捕後、ジョハルが一切の武器を所持していなかったことが判明した。逮捕時刻は、現地時間(アメリカ東部標準時)午後8時42分である。その後、Beth Israel Deaconess Medical Centerに運ばれ、頭部、首、手足に多数の銃創がある重態だと診断された。当初、首の傷は自殺未遂による銃創だと報道されたが、逮捕時に武器を所持していなかったことと、SWAT隊員による描写では切創らしいということから、爆発時の破片によるものである可能性がある。
なお、この容疑者捜索による屋内退避は、18時間近くに及んだ。
《葬儀》
タメルラン・ツァルナエフの遺体は、住民の反対運動などによりマサチューセッツ州内の墓地に埋葬することができなかった。イスラム教徒であり、火葬にすることもできなかったため海外への移送を行うことも難航。最終的にはバージニア州に居住する叔父が遺体を引き取ることとなり、地域からの反発を受けないよう同州内に搬送され速やかに墓地に埋葬されている。
《裁判》
ジョハルの初公判はボストンの連邦裁判所で2013年7月10日に開かれ、4件の殺人を含む30の罪状で起訴された。ジョハルはすべての罪状について無罪を主張した。2015年4月8日に連邦陪審は全罪状に有罪を認定し、同年6月25日に連邦地裁は死刑判決を言い渡した。
この際、ジョハルは「爆弾事件は自分が、兄とともに、行なったものである」とはっきり述べ、「自分が人を殺し、苦しみを引き起こしたことについて申し訳ないと思っている」と、法廷内にいた事件の被害者や遺族らに直接謝罪したが、死刑判決には控訴するものと見られている。
《チェチェン共和国への関心》
容疑者のツァルナエフ兄弟がチェチェン共和国系であることから、イスラーム過激派やアルカーイダの本事件への関与が一時疑われたが、FBIの捜査によればテロ組織との関連は見つからなかった。
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Homegrown terrorism ー1ー
Boston Marathon bombings
2013年のボストン・マラソン競技中に起こった爆発事件
『ボストンマラソン爆弾テロ事件』とは、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストンにて、第117回ボストンマラソンの競技中であった2013年4月15日14時45分頃(現地時間)(日本時間16日3時45分)に発生した爆弾テロ事件である。
場所:アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストン
日付:2013年4月15日
14時45分頃(UTC-4)
概要:マラソン途中、フィニッシュ地点付近で爆弾テロ。
攻撃手段:爆弾テロ
武器:圧力鍋による爆弾
中身は釘や金属片入り
死亡者:5名
4月15日の爆弾により死亡した一般人3人
4月18日にMIT付近で射殺の警官1人
4月19日の銃撃戦による容疑者側死亡1人
負傷者:合計299名
4月15日の爆弾により負傷した一般人282人
4月19日の銃撃戦による警察側負傷16人
4月19日の銃撃戦による容疑者側負傷1人
容疑:タメルラン・ツァルナエフ(死亡)
ジョハル・ツァルナエフ(逮捕)
《概要》
この日、ボストンでは第117回ボストンマラソンが開催されていた。ボストンマラソンはアメリカ3大市民マラソンに数えられる大会で、国内外から多くのランナーが集まっていた。そのレース中、ゴール付近のコプリー広場で2度爆発が発生、その際に3人が死亡、282人が負傷したと報じられている。
1度目の爆発はトリニティ教会などがあるコプリー広場近くのボイルストン通り671番地の「マラソン・スポーツ」前で発生し、それから12秒後にゴールから見て2ブロック、距離にして約100m離れた地点で2度目の爆発が起きた。この爆発で周辺の店舗の窓ガラスは粉々に吹き飛ばされ、ボストン公共図書館3階の窓も破壊された。現場付近には他に2つ、ないしは3つの不発弾が発見され、ボストン市警察の爆発物処理班によって処理されたと報道されたが、後に爆弾は爆発した2つのみと判明した。
事件の発生当時、ゴール付近に設置されていた記録用の時計は「4時間9分43秒」を指しており、これは前回大会で最も多くのランナーがゴールした時間帯であった。今回もトップランナーたちは2時間ほど前に現場を通過しており、後方にも多くのランナーが走行していた。
捜査当局の発表によると、爆発物はいわゆる即席爆発装置で、圧力鍋が使用されており、殺傷能力を高めるためにボールベアリングや釘などの金属片が含まれていた。また、このような攻撃が迫っていることを示す事前の兆候はなかったとしている。
公的機関の発表によると、4月16日現在で8歳男児・29歳女性・ボストン大学院生の中国人女性の3人が死亡し183人が負傷した。地元紙「ボストン・グローブ」(The Boston Globe) によると、100人以上が様々な施設で治療を受けている。22人はマサチューセッツ総合病院に、10人はボストン小児病院(Boston Children's Hospital)に、9人はタフツ・ニューイングランド医療センター(Tufts New England Medical Center)に、20人はブリガム及び婦人病院(Brigham and Women's Hospital)、20人はボストン医療センター(Boston Medical Center)に搬送されたという。少なくとも10人が手足の切断を余儀なくされた。
《アメリカ政府の対処》
事件発生後すぐにマラソンは中止され、ボストン市警察は事前に取り決められていた対処計画に基づいて残っていたランナーをボストンコモン(中心部にある大きな公園)やケンモア・スクエア(ボストン大学近くにある大通り)に避難させた。ゴール近隣にあるラノックス・ホテルからも全員退避させた。警察は爆発現場周辺15区画を立ち入り禁止とした。この事態を受けてバスや地下鉄を運営するマサチューセッツ湾交通局(MBTA)は運行の一部を停止させ、マサチューセッツ州軍(Massachusetts National Guard)と海軍の部隊が地元当局を援助するために加わり、爆発物処理班が付近の捜索を行った。また、連邦航空局(FAA)は念のためボストン上空の飛行を制限し、ボストン・ローガン空港にいる飛行機には地上待機命令を発した。
事件を受けてエリック・ハンプトン・ホルダー司法長官は事件捜査にアメリカ司法省の総力を投じるよう指示。ニューヨーク市警察は対テロ部隊の車両を主要な地点に展開させ、ホテルなどの警戒態勢も引き上げた。ワシントンD.C.でも警戒態勢が引き上げられ、ホワイトハウスで部分的に避難が行われたほか、シークレットサービスによってホワイトハウスに繋がるペンシルベニア通りが封鎖された。また、加害者は特定されていないものの、連邦捜査局(FBI)はテロ事件として捜査を進めた。
マサチューセッツ危機管理庁(Massachusetts Emergency Management Agency)は、電話回線が輻輳していることを受け、近隣の人々に電子メールを使うよう呼びかけた。なお、携帯電話の回線は込み合っているものの正常に作動している。また、赤十字はランナーの情報が得られるよう援助を行っているほか、ボストン市警察は家族の安否を心配している市民のためにホットラインを設置し、情報提供を行っている。このほか、グーグルの安否確認サービス「グーグル・パーソン・ファインダー」が「ボストン・マラソン爆発事件」(Boston Marathon Explosions)に関する災害サービスを始動。情報収集を開始している。
事件の第一報を受けたバラク・オバマアメリカ合衆国大統領は緊急記者会見を行い、「誰がこのようなことを行ったのかを究明し、責任を取らせる」と声明を発した。オバマ大統領は連邦警察当局に対して「必要な支援などを行うよう」指示を発している。また、ジョン・ベイナー下院議長は国会議事堂に被害者のために半旗を掲げるように指示している。
《影響》
同日に予定されていたNHLのボストン・ブルーインズのホームゲームが延期となり、翌日に予定されていたNBAのボストン・セルティックスのホームゲームも中止となった。
また、イギリスの大きなマラソン大会であるロンドンマラソンの主催者は、マラソン自体に差し迫った脅威はないものの、この事件を受けて警備体制を見直すことを発表した。
国際陸上競技連盟(IAAF)会長のラミーヌ・ディアックと、国際オリンピック委員会(IOC)会長のジャック・ロゲは、共にボストンでの事件に際し、テロがスポーツ競技会を標的にしたことを非難する声明を発表した。
事件は捜査当局を過敏にさせた。ガーディアン紙によると、合衆国内の夫婦で、夫が「リュックサック」、妻が「圧力鍋」と検索したところ、自宅に警察が事情聴取にやってきた。
《容疑者》
描写と判別
東海岸時間4月18日午後5時20分に行われた記者会見でFBIが容疑者2人の写真と監視ビデオを開示した。それによれば、容疑者はそれぞれバックパックを担ぎ脇目をふらず行進している。FBIは判別に関連した情報を一般から募集した。両足を切断した被害者のジェフ・バウマン(Jeff Bauman)は爆弾の一つの脇にいて、意識を取り戻した際、FBIに "bag, saw the guy, looked right at me"(カバン、男を見た、私を正面から見た)というメモを渡した。バウマンは後に容疑者の1人が爆発の2分半前にバックパックを下ろしている様子の詳細な記述を当局に提供し、判別写真の速やかな提供に貢献した。当局は後に容疑者写真の公開が「間違いなく捜査のターニングポイントだ」としている。
容疑者はFBIによって証拠の写真とビデオから容疑者1と容疑者2と呼ばれ (またはそれぞれ "black hat"(黒帽)と"white hat"(白帽)) ・ 爆破後に「正常でない反応を示した」犯人は止まって爆発の余波を見守り、逃げるような素振りはなく、落ち着いた様子で現場を歩いて去った。容疑者特定の協力を要請したところ、一般から大量の写真と家庭ビデオが捜査当局に提供され、当局とオンラインソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の一般人が詳細に吟味したが、SNSでは多くのデマが広がり大手メディアにまで掲載されたほか、redditなどによる一般人の捜査によって赤の他人が犯人とされる事態も起こった。
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