Akihabara massacre
【秋葉原通り魔事件】
2008年(平成20年)6月8日に東京都千代田区外神田(秋葉原)で発生した通り魔殺傷事件。7人が死亡、10人が負傷(重軽傷)した。
2008年6月8日12時30分過ぎ、東京都千代田区外神田四丁目の神田明神通りと中央通りが交わる交差点で、元自動車工場派遣社員のK(犯行当時25歳)の運転する2トントラックが赤信号を無視して突入、青信号を横断中の歩行者5人をはねとばした。
トラックは交差点を過ぎて対向車線で信号待ちをしていたタクシーと接触して停車。周囲にいた人々は最初は交通事故だと思っていたが、トラックを降りたKは、道路に倒れこむ被害者の救護にかけつけた通行人・警察官ら17人を、所持していた両刃のサバイバルナイフ(ダガーナイフ)で立て続けに殺傷した。
さらに、Kは奇声を上げながら周囲の通行人を次々に刺して逃走。事件発生後まもなくして近くの万世橋警察署秋葉原交番から駆けつけた警察官がKを追跡し警棒で応戦、最後には拳銃の銃口をKに向け、ナイフを捨てるよう警告し、応じなければ発砲することを通告。これに応じナイフを捨てたKを取り押さえ、現行犯逮捕にて身柄を拘束した。
事件当日は日曜日で、中央通りは歩行者天国の区域となっていた。買い物客や観光客でごった返しているなかの凶行であり、事件直後に多くの人々が逃げ惑い、また、負傷者が横たわる周囲が血の海になるなど事件現場はさながら戦場の様相を呈しており、まさに白昼の惨劇であった。Kはナイフを他にも5本所持していた。
一方、これらの犯行に対する救命活動はおおむね迅速に遂行された。犯行現場にいた一般の通行人はKがまだ拘束されていない段階から積極的に被害者たちに対する一次救命処置を開始し、また携帯電話などを活用しての迅速な通報がなされた。
東京消防庁は12時36分に最初の119番通報を受信、通常の交通事故による救急事案として、救急隊1隊と救急隊支援のための消防隊1隊を出動させたが、さらに通報が相次いだことから、指揮隊1隊と救急隊4隊を応援隊として出動させた。12時43分には最初の救急隊(浅草消防署浅草橋出張所)が現場に到着した。現場到着部隊は、通常の態勢で対処できる状況ではないと判断し、現場到着とほぼ同時に、災害派遣医療チーム(DMAT)の出場を要請、東京消防庁は東京DMATに対して出動要請を行った。12時47分には消防の現場指揮本部から応援要請を受け、多数の傷病者に対応するための「救急特別第1出動」を発令、救急隊10隊や、東京DMATの支援のための消防隊(東京DMAT連携隊)等を追加出場させた。12時49分には、先に出場を指令された救急隊5隊が現場での活動を開始している。
殺人事件としては初のDMATチーム複数投入が実施された。最終的には、日本医大、東京医大に加え、白鬚橋病院と都立広尾病院の4チームが現場に展開している。
警視庁は6月10日、Kを東京地検に送検、同地検は7月7日、Kの精神鑑定のため、東京地裁に鑑定留置を請求し認められた。留置期限の10月6日までに、「刑事責任能力がある」という結論が出されている。
10月10日にKを殺人、殺人未遂、公務執行妨害、銃刀法違反での起訴に踏み切った。10月31日には公判前整理手続に入ることが決定され、翌2009年(平成21年)6月22日には第1回公判前整理手続が行なわれて、弁護側は起訴事実を大筋で認めた。
17名がトラックではねられたり刺されたりするなどの被害を受け、その内、7名が死亡した。通り魔事件としては過去30年で最悪の事件とみられている。被害者数は平成時代に起きた無差別殺傷事件としては7年前の同じ日に発生した大阪教育大学附属池田小学校の児童殺傷事件に次ぐ惨劇になった。
掲示板を成りすましで荒らされ、掲示板荒らしが去って孤独を感じ、掲示板に通り魔事件を起こすと投稿するようになった。
更衣室で自分の作業服が見つからないことを理由に無断欠勤し、そのまま職場放棄。その後は、通り魔事件を起こすとの予告を掲示板に投稿を繰り返し、通り魔事件に使用する自動車やナイフを準備をして、6月8日の事件に至る。
トラックで人を跳ね飛ばすのは2005年(平成17年)4月に発生した仙台アーケード街トラック暴走事件(Kは仙台市の事件現場の近くに住んでいたことがある)を参考にし、ナイフで人を襲うのは2008年(平成20年)3月に発生した土浦連続殺傷事件を参考にしたと供述している
6月8日5時21分、「秋葉原で人を殺します」とのタイトルで、「車でつっこんで、車が使えなくなったらナイフを使います みんなさようなら」との犯行予告を行った。その後、沼津市から犯行現場まで移動する間に約30回のメッセージを書き込む。同日12時10分に犯行現場で最後の投稿をし、その20分後の12時30分に事件が発生した。
刑事裁判において、Kは本件犯行の動機も原因も雇用形態が派遣であることとは無関係であると供述し、弁護人も検察官も裁判官も、その供述が事実であると認定した。
Kは全ての就職の雇用形態が登録型派遣労働社員だったわけではなく、青森県の運送会社では正社員、宮城県の警備会社で準社員、直接雇用されている(後に自己都合退職)。Kは、短期間で転職を繰り返した理由は職場や人間関係に対して不満があると、雇用主や同じ職場で働いている人と話し合いをせずに、不満への抗議の表明手段として、無断欠勤してそのまま職場放棄して退職するという、極端な考え方と言動が原因であると裁判で供述している。
Kが掲示板に「負け組は生まれながらにして負け組なのです まずそれに気付きましょう そして受け入れましょう」などと書き込んでいたこともあり、事件後Kを負け組の英雄とし、「神」「教祖」「救世主」とまでみなす共感現象が起きた。これに対し、Kは「本気で自分を「負け組」だと考える人のことは全く理解できません。また、自分の努力不足を棚に上げて「勝ち組」を逆恨みするその腐った根性は不快です。」と切って捨てている。
事件後複数の電子掲示板において、殺人などの犯罪予告が相次ぎ、7月7日までに33人を検挙した。事件前は月に2,3件だったが、事件後1ヶ月で100件以上になっている。ほとんどが10代と20代で悪戯とされているが、実行の意思とは関係なく、このような行為は脅迫罪や威力業務妨害に該当する。また、通り魔事件や犯人に対して言及したものも一定数みうけられる。警察庁は6月24日に、全国の警察本部に電子掲示板への犯罪予告の書き込みを厳正に取り締まり、検挙例を積極的に広報することなどの通達を出した。
2011年(平成23年)1月25日、東京地方裁判所で行われた第28回公判の論告求刑で、検察はKに対して「犯罪史上まれに見る凶悪事件で人間性のかけらもない悪魔の所業。多数の模倣犯を生み悪影響は計り知れない。命をもって罪を償わせることが正義だ」と述べ、死刑を求刑。同年3月24日、Kに対して求刑通り死刑が言い渡された。判決では完全責任能力、比較的軽傷だった被害者への殺意、制服警察官に対する公務執行妨害罪について検察の主張通りに認定した
第二審・東京高等裁判所
2012年(平成24年)6月、Kの控訴により東京高等裁判所で第一回控訴審が開かれ、減刑を主張。
2012年9月12日、東京高等裁判所(飯田喜信裁判長)は「犯行当時、完全責任能力を有していた。」としてKの控訴を棄却した。Kは控訴審に一度も出廷しないまま結審することとなった。
同年9月25日、Kには精神障害の疑いがあるとして、最高裁判所へ上告した。
第三審・最高裁判所
2014年(平成26年)12月18日、Kの上告により最高裁判所で上告審が開かれた。弁護側は「被告は事件当時、心神喪失もしくは心神耗弱だった疑いがある。死刑判決は破棄されるべきだ」と主張、検察側は上告棄却を求めて結審。
2015年(平成27年)2月2日、最高裁判所は「動機に酌量の余地は見いだせず、死刑を認めざるをえない。」として被告側の上告を棄却した。
2月13日に判決訂正申し立てをしたが、17日付で棄却。これにより死刑が確定判決となった。
不倶戴天
【附属池田小事件】
2001年(平成13年)6月8日に大阪府池田市の大阪教育大学附属池田小学校で発生した小学生無差別殺傷事件。
本事件の犯人・元死刑囚は、文章で“甲”と呼称する。
甲は1963年11月23日に生まれた。幼少時代の甲は3歳の時、三輪車で国道の中央を走って渋滞させたり、小学校では自分より強い児童にはいじめられていたが、自分より弱い児童に対しては徹底的にいじめた。いじめられっ子であると同時にいじめっ子であった。
また、猫等の動物を新聞紙に包んで火をつけて殺害した事もあった。中学入学後も弱いものいじめは継続して行っており、本人が事件後鑑定医に語ったところによれば、「好意を抱いていた女子生徒の弁当に精液をかけた」こともあるという。小学生の頃から自衛隊に強い関心を持っており、「将来は自衛隊入る」と大声で叫んだり、一人で軍歌を大声で歌っていたこともあり、高校生になっても周囲の同級生に「俺は自衛隊入るからお前等とは後少しの付き合いや」と発言していたという。また、高校時代に停学処分を受けた際、反省文にも「自衛隊は内申書一切関係無しの一発勝負」等と綴っていたこともあった。甲は幼い頃から「高学歴・高収入のエリート」に対する屈折した羨望、嫉妬を抱いていた。
尼崎市内の工業高校を2年で中退した後、定時制高校に編入学するもすぐ退学し、数ヶ月間ガソリンスタンドでのアルバイトを経て1981年末、18歳の時航空自衛隊に入隊したが1983年1月に1年強で除隊させられている。
除隊の理由について、鑑定書は「家出した少女を下宿させ、性交渉した」ために懲罰を受けたと記述している。
除隊後、甲は運送会社やトラック運転手、引越し業者等十数社転職を繰り返していたが何れも数週間から半年以内で辞職しており、精神的に荒れ、家族に暴力をふるったり、傷害、暴行などに走り、また高速道路を逆走するなど非行を行うようになっていった。
1984年、マンション管理会社に勤務していた時には家賃の集金と称して女性の部屋に上がり込んで強姦事件を起こしている。
事件後、甲は母親を伴い精神科を受診、入院するが、入院中に5階から飛び降りて重傷を負う。この出来事の後、統合失調症の診断を下されている。また、のちに母親に宛てた手紙によれば、入院したのは警察から強姦事件で追及されるのを回避するためで、5階から飛び降りたのは「親に嫌がらせをするため」であったという。初犯の強姦事件では1985年に懲役3年の実刑判決が確定し、翌1986年春から1989年春迄奈良少年刑務所に服役し、1989年の出所後父親が甲の私物を下取りに出しその金を本人に手渡しして父親から勘当されている。
1993年、30歳の時非常勤の地方公務員になり市営バスの運転手やゴミ収集、小学校の用務員等を勤めていたが、この間も市バスの運転を務めている最中に乗客の女性に「香水の匂いがきつい」ことを理由に言いがかりをつけてトラブルを起こし懲戒処分を受けている。
1999年4月に小学校教諭等が飲む茶に精神安定剤を混入させる行為をしたとして分限免職されたものの、刑事処分は「責任能力なし」として受けなかった。その後再度職を転々とするが、その度に暴行事件等を起こした為長続きしておらず、2000年末頃から最終的に池田小の通り魔殺人事件で逮捕された当時は無職であった。
初犯の強姦事件を除き全て自身の精神障害の偽装を楯にして15犯にわたる前科や不起訴処分を経験している。
父親は甲のことを「物事が上手くいかないとすべて人のせいにする人間」と評している。
甲には実兄が一人居たが、破綻した実弟の存在に心を病み、起業の失敗と偽って小刀で首を斬って40代前半の時自殺している。甲の母親も長期に渡って心を病み、長らく病院で暮らした。
2001年6月8日10時20分頃、大阪教育大学附属池田小学校に凶器を持った甲が侵入し、次々と同校の児童を襲撃した。結果、児童8名(1年生1名、2年生7名)が殺害され、児童13名・教諭2名が傷害を負った。甲は、校長や別の教諭にその場で取り押さえられ、現行犯逮捕された。甲は最後の一人を刺し終えた瞬間、凶器である出刃包丁を自ら落として、「あーしんど!」と呟いたという。その後、甲は殺人罪などで起訴された。
逮捕当初、甲は精神障害者を装った言動を取っていた。しかし、被疑者に対して起訴前と公判中に2度行われた精神鑑定の結果で、2度とも「情性欠陥者で妄想性などのパーソナリティ障害は認められるが、統合失調症ではなく、責任能力を減免するような精神障害はない」とされ、責任能力を認める結果が出た。甲は逮捕直後に「薬を十回分飲んだ。しんどい」と供述して医師の診察を受けたが、甲が飲んだとされる薬は通院先の病院などを調べた結果、抗精神病薬「セロクエル」と抗うつ薬「パキシル」、睡眠剤「エバミール」の三種類と判明した。仮にこれら全部を甲の供述通り10回分服用しても眠くなるだけで、奇怪な行動を起こしたりすることはないとされる。また、甲の自宅を調べると睡眠薬や抗精神病薬など10数種類、約200錠の薬物を押収したが、これは甲が複数の病院に通院しては、医師に「眠れない」などと睡眠障害・不眠症を偽って(いわゆる詐病の一種)薬を処方してもらい、飲まずにため込んでいたものだった。さらに、逮捕後に甲の血液や尿を採取して仮鑑定した結果、精神安定剤の成分は検出されなかった。
捜査員がこの事実を甲へ突きつけると、「すみません。薬は飲んでいません。作り話でした」と偽証していたことを認めた。
「下関事件の模倣犯になりたかった」「命を持って償います」と初公判でのみ反省・謝罪の弁を口にしている。
2003年8月28日、大阪地方裁判所は被告人の甲に対して死刑判決を言い渡した。死刑判決を言い渡す場合には主文を最後に述べる慣例があるが、今回はそれを破って主文を先に言い渡した。また、すでに甲は開廷時に騒いだことで退廷命令を受け、拘置所職員によって連れ出されており、死刑判決を読み上げる裁判長の声を自ら聞くことは無かった。また、この判決公判では傍聴希望者が多かったことから、特別措置として法廷にテレビカメラを設置し、別室に設けたテレビモニターで傍聴できた。
控訴期限の同年9月10日に弁護団は控訴したが、9月26日に甲自ら控訴を取り下げ、死刑判決を確定させた。甲は主任弁護人に送った文書で、刑事訴訟法第475条第2項で規定された「死刑確定後の6か月以内の死刑執行」を訴えていた。
甲は、死刑が6ヶ月以内に執行されないと精神的苦痛を理由とする国家賠償請求訴訟、および法務大臣に対する特別公務員暴行陵虐致傷罪での刑事告訴を起こす準備をしていた。告訴した場合には、たとえ受理されなかったとしても手続きが滞って死刑の執行が遅れる可能性があったが、告訴の依頼を受けた弁護士によれば、実際に告訴の手続きを行うつもりはなかったという。また担当弁護士に届いた2004年の年賀状には「ケジメをつけるためにご協力お願いします」としたためており、甲は一刻も早い処刑を望んでいた。
この事件の判決確定後、甲は死刑廃止運動家の女性と出会い、文通を経て獄中結婚をした。晩年は甲自身の姓を女性の姓に改名している。
死刑確定から約1年後の2004年9月14日8時16分、甲は大阪拘置所で死刑が執行された。結果的には甲の望んだ通りの早期執行となった。執行当日の朝食は摂取することが許されなかったが、甲は執行直前に刑務官から受け取った煙草とリンゴジュースをゆっくり味わってから、拘置所の奥へ消えていったという。享年40。甲が最期に残し、妻が死刑執行後に刑務官から伝えられた言葉は「『ありがとう、と僕が言っていた』と、妻に伝えてください」とされている。妻に対しては感謝の気持ちを表すまでには至ったものの、事件によって犠牲になった被害者の児童やその遺族への謝罪は最期まで一切無かったとされる。
この事件で死亡した2年生7名は、2006年に同級生と共に特別に卒業証書を授与され、「小学校を卒業」という形になった。さらに、2007年にはこれと同様に、死亡した1年生1名に卒業証書が授与された。また小学校を管理する文部科学省は、被害者遺族らに総額4億円の慰謝料や賠償金を支給した。
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子供が通う学校の安全は誰が守る・・・。
国が違えば、学校に警察官が常駐したり教師が武装せざるおえない事態もある・・・。
とは言え、本来なら一般市民が銃器を所持する事自体が歪な社会ともいえる。
どんなに警備を厳重にしようとも、目的のためなら手段も己の命さえも厭わない不審者を防ぐ事は難しいのだろう。
『許可無く立ち入る不審者に対しては、それ相応の実力行使にて排除するぞぉ!』
(σ≧∀≦)σ・・・我々の学校はぁ生徒の手で死守するのじゃぁ
・・・・弾・弾・弾・弾・弾・・・・弾
蜂の巣にしちゃる!
外道どもぉ!

An eye for an eye, and a tooth for tooth.
ハムラビ法典の同害報復の原則を表す言葉。
旧約聖書の出エジプト記に記載されている『目には目を、歯には歯を』。
害を加えられたら、やられたのと同等の報復をする例え。自分の目をやられたら相手の目をつぶし、歯をやられたら相手の歯をへし折って仕返しをするの意であるが、イエスはこれを禁じた。
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=======6月8日の記念日=======
大阪府教育委員会が2002年に制定。
2001年のこの日、池田市の小学校で児童殺傷事件が起きた。
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国連が2009年から実施する国際デー。
1992年6月8日にリオデジャネイロで開かれた地球サミットにおいてカナダ代表が提案し、以来「世界海洋デー」として非公式に実施されていたが、2009年から国連の記念日となった。
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【大鳴門橋開通記念日】
1985年のこの日、鳴門海峡を跨いで四国と淡路島を繋ぐ大鳴門橋が開通した。
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793年のこの日、北欧の海賊ヴァイキングの活動が最初に記録に現れた。イングランド・リンディスファーン島の修道院を襲撃。ヴァイキングによるイングランド侵略の始まり。

これが俺らの生きる道・・・。
=======毎月8日の記念日======
8日・18日・28日
「米」の字を分解すると「八十八」になることから。
日本人なら米を食え・・・。
私には魚をくれ!
【歯の日】
歯磨きメーカーのサンスターが1997(平成9)年秋から実施。
「歯(8)」の語呂合わせ。
【歯ブラシの交換日】
全日本ブラシ工業協同組合。
「歯(8)」の語呂合わせ。
歯!磨いたかぁニャ!

【果物の日】
【カレーパンの日】
【おみやげ感謝デー】
【薬師如来の縁日】
【鬼子母神の縁日】
=======5月11日~6月10日======
全国暴力団総合対策特別強化月間
=======6月1日~6月10日======
育児休暇制度促進旬間
=======6月4日~6月10日======
=======6月5日~6月11日======
(旧)環境週間
=======5月15日~6月15日======
=======6月1日~6月15日======
=======6月1日~6月19日======
建築文化週間
=======4月1日~6月30日======
春季における都市緑化推進運動
=======5月1日~6月30日======
不正大麻・けし撲滅運動
=======5月31日~6月30日======
あやめ月間
=======6月1日~6月30日======
環境月間
海洋環境保全推進月間
リウマチ月間
男女雇用機会均等月間
就職差別解消促進月間 [東京都]
就職差別撤廃月間 [大阪府]
外国人労働者問題啓発月間
来日外国人犯罪対策及び不法滞在・不法就労防止のための活動強化月間
暴走族追放強化月間
二輪車交通事故防止強化月間
不正改造車排除運動
全国設備管理強調月間
全国安全週間準備期間
土砂災害防止月間
砂利災害防止月間
鉄道妨害防止月間
農薬危害防止運動月間
国際演劇月間
食育月間
水道ふれあい月間 [東京都]
東北の海クリーン作戦
大阪湾クリーン作戦
瀬戸内海・宇和海クリーン作戦
ねずみ・衛生害虫駆除推進月間(ムシナシ月間)
=======6月1日~7月31日======
=======6月8日の出来事=======
ヴァイキングがイングランド・リンディスファーン島の修道院を襲撃。ヴァイキングによるイングランド侵略の始り。
806年(大同元年5月18日)
第51代天皇・平城天皇が即位。
1571年(元亀2年5月16日)
織田信長が長島一向一揆の拠点・願証寺を攻撃するが、氏家卜全ら多くの戦死者を出し敗退。
1588年(天正16年5月15日)
豊臣秀吉建立の方広寺大仏殿が完成。
1648年(慶安元年4月17日)
日光杉並木の20万本の植樹が完了。
1776年
アメリカ独立戦争・カナダ侵攻作戦: トロワリヴィエールの戦い
1783年
アイスランドのラキ火山が噴火。火山灰などの影響により数年にわたりヨーロッパが異常気象に見舞われ、フランス革命の原因ともなる。
1856年
ピトケアン島のバウンティ号の反乱者の子孫194人がノーフォーク島に移住。
1862年
長崎で処刑された「日本二十六聖人」が列聖される。1597年2月5日、豊臣秀吉の命令によって長崎で磔の刑に処された26人のカトリック信者。日本でキリスト教の信仰を理由に最高権力者の指令による処刑が行われたのはこれが初めてであった。
1887年
ハーマン・ホレリスがパンチカード式計算機の特許を取得。
1902年
フランスの気象学者レオン・ティスラン・ド・ボールにより成層圏が発見される。
1905年
日露戦争で、セオドア・ルーズヴェルト米大統領が日露講和を勧告。
1924年
エベレスト登頂中のジョージ・マロリーとアンドリュー・アーヴィンが、この日を最後に消息を絶つ。75年後に遺体発見。
1928年
蒋介石が率いる中国国民党の北伐軍が北京に入城。国民政府が中国全土をほぼ統一。
1929年
バチカンの国旗が制定される。
1929年
福島競馬場で、史上唯一の全頭落馬による不成立レースが発生する。
1934年
南京総領事館勤務の蔵本書記生が失踪。中国人による拉致・殺害を疑い国民政府に対して抗議を行ったのみならず、軍艦が揚子江から南京近くまで遡上する事態に発展する(蔵本書記生失踪事件)。なお蔵本本人は5日後に保護された。
1943年
呉港沖に碇泊中の戦艦「陸奥」が突然爆発を起こし沈没。乗員の大半の約1100人が爆発によるショックで死亡。
1949年
ジョージ・オーウェルの小説『1984年』発刊。
1959年
アメリカ郵政公社が米海軍の潜水艦バーベロを用いて、ロケットで手紙を届けるミサイル・メールの最初で最後の実験を行う。
1967年
第三次中東戦争: イスラエル空軍機がアメリカの諜報艦「リバティー」を攻撃。(リバティー号事件)
1968年
キング牧師を暗殺したジェームズ・アール・レイが、偽造パスポートでイギリスに入国しようとしたところを逮捕される。
1976年
日本政府が核拡散防止条約を批准。
1982年
フォークランド紛争: アルゼンチン空軍の攻撃により英海軍の補給揚陸艦「サー・ガラハッド」が沈没。死者45人。他、多数の英海軍の艦船が撃沈または大破。
2001年
附属池田小事件。大阪府池田市の大阪教育大学附属池田小学校に凶器を持った男が侵入し児童を次々に襲撃。8人死亡。15人が負傷。
2003年8月28日、被告人に対して死刑判決が言い渡される。控訴期限の同年9月10日に弁護団は控訴するも9月26日被告人が取り下げる。
被告人は死刑廃止運動家の女性と獄中結婚。
2004年9月14日死刑執行されるも最後まで被害者遺族への謝罪は一切無かった。
2007年
追手門学院大学いじめ自殺事件が起きる。
2008年
秋葉原通り魔事件が発生。秋葉原で25歳の男性が歩行者天国にトラックで突っ込んだ後、ナイフで通行人らを立て続けに殺傷。7人死亡、10人が重軽傷を負う、戦後最悪の通り魔事件。
2011年3月24日死刑を求刑。
2015年2月13日最高裁判所の判決通り死刑が確定した。
2010年
菅内閣が発足。第94代首相に菅直人(民主党)。閣僚17人中11人が鳩山内閣から引き続き再任。
2011年
地上デジタル放送への完全移行を岩手・宮城・福島の3県に限り最大で1年間(2012年7月24日まで)延期することを柱とした、東日本大震災に伴う地上デジタル放送に係る電波法の特例に関する法律が参議院において可決、成立。
2013年
スウェーデンのマデレーン王女とオニール王子との結婚式が執り行われる。
2021年
オランダ・ハーグの『国際刑事法廷メカニズム』が、1990年代のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争をめぐる上訴審で、セルビア人勢力の元司令官ラドコ・ムラジッチ被告に対し、ジェノサイド(集団殺害)などの罪で終身刑を言い渡す。