hiroチャンのブログ -507ページ目

名も無き画家の名画・・・。



ボクの夢・・・。


ボクの夢は画伯です。


誰も描かないような独創的な世界を描いてみたいです・・・。


そして、絵を見た人々が幸せな気持ちになってくれたら・・・。


ボクも幸せです。












『坊ちゃま、水性ですよねぇ?』

『この作品、いやぁこの落書き消えますよねぇ?』

『私には不安しかないのですけど、お坊っちゃま聞こえていますかぁ?』



.

365日?いいえ365年の刑期です・・・。


 1978年

ニューヨークで連続殺人を犯した"Son of Sam"ことデビッド・バーコウィッツに懲役365年の判決が下る。

【デビッド・バーコウィッツ】
David Berkowitz
別名:サムの息子
生誕:1953年6月1日
アメリカ合衆国・ニューヨーク ブルックリン区
有罪判決:殺人罪
判決:懲役365年
犠牲者数:6人
犯行期間:1976年・1977年
逮捕日:1977年8月10日

デヴィッド・リチャード・バーコウィッツ(David Richard Berkowitz, 1953年6月1日 - )はアメリカ合衆国の連続殺人者。1976年から1977年にかけて、ニューヨークを恐怖のどん底に陥れた。
ニューヨーク・ブルックリン区の出身。本名はリチャード・デヴィッド・ファルコ(Richard David Falco)だったが、夫と別居状態にあった実母が不倫の末にもうけた子だったために生まれてまもなく養子に出されてファーストネームとミドルネームを入れ替えた新しい名を与えられた。
学校では問題児で、学習の意欲を無くすと共に非行に走るようになり、窃盗・放火癖を持つようになった。さらに、養母の病死に伴い養父が再婚したことにより、家庭とも疎遠になっていく。1971年にアメリカ陸軍に入隊し、ベトナム戦争への参加を拒否したために代わりとしてアメリカ国内の基地や韓国の米軍基地で勤務。1974年に名誉除隊。その後は1977年に殺人罪で逮捕されるまで郵便局員として勤務。
1976年から1977年にかけて、ニューヨークで若い女性やカップルら13人を44口径の拳銃やショットガンで銃撃(一人は刃物で刺)して6人を殺害し、8人に重軽傷を負わせた。被害者に性的暴行を加えておらず、金品も奪わなかったが「サムの息子(Son of Sam)」 という名でマスコミや警察に支離滅裂な内容の手紙を送りつけ、町を恐怖のどん底に突き落とした。 1977年8月10日、ニューヨーク市に隣接するヨンカーズで逮捕される。その後、殺人とともに2000件の放火を自供、その模様を詳しく記録していた。裁判では、弁護側は精神異常による無罪を主張したが、陪審は有罪を評決し、懲役365年となった(ニューヨーク州に死刑がなかったため)。現在も模範囚として服役している。


===============


2016年
フロリダ銃乱射事件が発生。容疑者1人を含む50人が死亡し、アメリカの銃乱射事件で過去最悪の犠牲者数を出す大惨事となった。

【フロリダ銃乱射事件】
場所:アメリカ合衆国フロリダ州オーランド
標的:同性愛者
日付:2016年6月12日午前2時から午前5時頃
概要:銃乱射事件
武器:SIG SAUER MCX、グロック17
死亡者:50人(容疑者1人を含む)
負傷者:53人
犯人:フロリダ州在住の男

フロリダ銃乱射事件とは、2016年6月12日未明にアメリカ合衆国フロリダ州オーランドにあるゲイナイトクラブで発生した銃乱射事件。

フロリダ州オーランドのゲイナイトクラブで男がAR-15シリーズの自動小銃を乱射した後、店内に立てこもった。約3時間後に特殊部隊が突入し、男は射殺された。これにより容疑者を含む50人が死亡し、53人が負傷した。これは銃乱射事件の被害としては2007年のバージニア工科大銃乱射事件を超えてアメリカの犯罪史上最悪となった。
容疑者はアフガニスタン系の両親を持つ、フロリダ州在住の男で、過激派との接触があったとしてFBIにより事情聴取を受けたこともあった。
男は犯行中の午前2時22分頃に警察に緊急通報をした際、ISILに忠誠を誓う発言や2013年のボストンマラソン爆弾テロ事件への関与をほのめかす発言をしており、ISIL系のサイトも「ISの戦士が実行した」と事実上の犯行声明を出している。更に同ナイトクラブが同性愛者が多数集う場所で、日頃より男に同性愛者を嫌悪する発言が目立っていたためヘイトクライムの可能性を男の両親やCNNが指摘している。

容疑者の男は、アフガニスタン系の両親を持ち、1986年にニューヨークで生まれ、フロリダ州フォート・ピアスで育った。
フロリダのインディアンリバー州立大学で刑事事件の科学鑑定に関する学位を取得した後、警備会社G4Sに勤務し、富裕層が暮らす高級住宅街で警備の仕事をしていた。
2009年にネットで知り合った女性と結婚したが、「洗濯が終わっていない」などの理由で日常的にドメスティック・バイオレンスを繰り返すなどして数ヶ月で離婚した。その前後からサウジアラビアのメッカに巡礼するなど、イスラム教への傾倒が強くなっていったという。また、その後再婚して息子1人をもうけた。
父親によると、マイアミに彼が妻と子供と行ったときに、2人の男がキスしているのを見たことに激怒しており、「宗教とは関係なく、同性愛への嫌悪が背景になったのではないか」と推測している。
容疑者は、襲撃したナイトクラブの常連客であったと報じられている。

バラク・オバマ大統領はセクシャルマイノリティが襲撃のターゲットとなったことについて、この犯行を「テロ(恐怖)とヘイト(憎悪)の行為」であると断罪した。

2016年6月12日時点で民主党の次期大統領候補となる予定のヒラリー・クリントンと、共和党の次期大統領候補となる予定のドナルド・トランプは両者とも犯行を批判する声明を出している。

安倍晋三首相は、「卑劣なテロは断じて許すことができない。強く非難する」「日本は、米国国民と共にある。米国、米国国民に対して強い連帯の意を表明する」との声明を発表し、同様のメッセージをオバマ大統領へ宛てた。

.

秘密結社K


1963年 

ミシシッピ州の公民権運動指導者メドガー・エバースがクー・クラックス・クランメンバーにより殺害される。



(ワテらぁ、そんな物騒なことようしませんわぁ)


【クー・クラックス・クラン】
Ku Klux Klan
略称:KKK
設立年:1865年12月24日
設立者:不明
種類:秘密結社
地位:非合法
目的:白人至上主義
位置:第1のKKK(1865年-1874年)
人種主義、ヴィジランテ、クリスチャン・テロリズム
第2のKKK(1915年-1944年)
白人至上主義、反カトリック、反ユダヤ主義、排他的愛国主義
第3のKKK(1946年-現在)
白人至上主義、反共主義、反ユダヤ主義、反イスラム主義、反同性愛、ネオナチズム
メンバー:5,000名から8,000名(第3のKKK)
重要人物:ネイサン・ベッドフォード・フォレスト
ビル・シモンズ
デビッド・カーチス・スティーブンソン
エドワード・L・ジャクソン
関連組織:国家社会主義運動
クー・クラックス・クラン(Ku Klux Klan、略称:KKK)は、アメリカの秘密結社、白人至上主義団体である。
「白人至上主義団体」とされるが、正確には北方人種を至上とし(ノルディック・イデオロギーという)、主に黒人、アジア人、近年においてはヒスパニックなどの他の人種の市民権に対し異を唱え、同様に、カトリックや、同性愛者の権利運動やフェミニズムなどに対しても反対の立場を取っている。
マニフェスト・デスティニーを掲げ、プロテスタントのアングロ・サクソン人(WASP)などの北方系の白人のみがアダムの子孫であり、唯一魂を持つ、神による選ばれし民として、他の人種から優先され隔離されるべきである、と主張する。
名前の由来はギリシャ語の「kuklos(円環、集まりの意)」の転訛と英語の「clan(氏族、一族)」を変形させたものと言われる。別の説として、ライフル銃の操作音が起源という説もあり、アーサー・コナン・ドイルの短編『オレンジの種五つ』で紹介され世に広まった。団員は「クークラクサー」、もしくは「クランズマン」と呼ばれた。
白装束で頭部全体を覆う三角白頭巾を被りつつデモ活動を行う集団として世間で認知されている。

KKKは、南北戦争終結後の1865年12月24日に南部連合の奴隷商人であり退役軍人であった、ネイサン・ベッドフォード・フォレストによってテネシー州プラスキで設立された組織に端を発すると一般に考えられており、KKKの側もその様に喧伝する傾向にある。しかし実際にはフォレストが参加する以前から存在し、また内容も南軍の退役軍人達で作られた「交遊会」であって最初から政治団体として結成された訳ではなかった。 初期のメンバーはボール紙で補強された顔を覆う三角巾と丈長のガウンを身に着けたが、色や模様は決まっておらず相互確認のためのホイッスルを携帯した。この扮装は、当時流行していた夜道で通行人を驚かせるイタズラ目的に着用されたものだった。
1867年ごろからメンバーが急速に増える。白い布で作った装束を身にまとって黒人の居住区を練り歩くという、一種の嫌がらせ行為を行うようになった。軽いからかいとしての行動に過ぎなかったが、白人の復讐を恐れていた黒人達は白装束の集団に恐れをなして家の中に逃げこんでしまった。これに味を占めたKKKの一部は示威行為を度々繰り返すようになり、評判を聞きつけた南部の人種主義者達がKKKへの加盟を望む動きが生まれ、民主党最右翼の人種差別過激派として保守的な白人の支持を集め始めていく。
この時点でのKKKには後に見られるような「反ユダヤ的」などの民族主義は無く、あくまで人種主義が思想の中核であった。その為、南部陸軍軍医総監だったサイモン・バルークらユダヤ人のメンバーも存在していた。また最初の時点でのKKKは「黒人を懲らしめる」「躾け直す」という理屈で行動しており、必ずしも暴力行為を伴う訳ではないデモ活動などを基本としていた。だが次第に過激化し始めた彼らは白装束で街を巡回し、彼らが独断で決めた時刻以外に外出する黒人を鞭で叩いたり、夜中に「ナイトライダー」と呼ばれる馬に乗った団員が現れ、脅迫、暴行を加えるようになった。更にこれに批判的な白人までもが敵として暴力を振るわれ、投票権を行使しようとした黒人が殺害される事件まで発生する。
1867年夏、KKKはナッシュビルで開催された大会の後に著しい成長を遂げ、この大会で指導者としてフォレストが推薦され、「グランド・ウィザード(Grand Wizard、総司令。直訳では「大魔導士」)」の称号を与えられた。しかし暴力的傾向が強まっていくKKKに嫌気が差したフォレストは「当初の栄誉ある、また愛国的目的から外れ、大衆の安寧に貢献するよりも有害になっている」として、1869年にクランの解散を宣言し、また社会的義務を果たせる人物であればアフリカ系アメリカ人の社会進出にも賛同した。
だがメンバーの大半はその解散宣言に従わず活動を継続。1871年には遂に政府から非合法のテロリスト集団と認定され、摘発が開始された。「第1のKKK」はやがて自然消滅する。
第2のKKK
20世紀初頭、「神のお告げ」を聞いた白人の伝道師ウィリアム・ジョセフ・シモンズ(William Joseph Simmons)により「第2のKKK」が誕生する。第2のKKKは「黒人を躾ける」とした以前のKKK以上に強硬的な過激派として活動し、その思想も従来の黒人差別のみならず有色人種全体の排撃を主張した。人種主義に加えて民族主義や宗教色も強まり、セム人種ユダヤ系やムスリムも攻撃の対象としたKKKは白人貧困層の絶大な支持を集め、幾つかの州では少なからぬ政治的影響力を持つに至った。他にカトリック教徒や共産主義者も攻撃対象とされた。1923年にはオクラホマ州だけで2,500件以上の暴行事件を起しており、放火や殺人が日常的に行われた。暴力行為も凄惨の限りを尽くし、両手を攻撃、縄で縛って列車に轢かせる、焼印を押すなど残虐さを極めた。
この当時(1925年頃)がKKKの絶頂期であり、1928年には構成員数万人を動員してワシントンD.C.でデモ行進を行った。このデモ行進が皮肉にもKKKが行った最後の大規模な行動となる。
やがて一部の構成員がKKKが控えていた過激な活動を再開。離婚した女性に制裁を加えたり、人種の枠を超えて行動していた白人や黒人にリンチを加え、あまつさえ売春宿など「倫理的ではない」建物を襲撃するに及んで、州の保守エリート層から手痛い反撃を食らう。この反撃の結果、アラバマ州におけるKKKの構成員数は1930年には30,000人程度まで低下する。今までKKKを支持、もしくは容認していたアメリカの保守層もこれらの事件を機にKKKに対して距離を置くようになる。そして、当時のKKK指導者が強姦と殺人で有罪判決を受けたことが決定打となり、「第2のKKK」は一気に崩壊した。
1920年 4,000,000
1924年 5,000,000
1930年 30,000
1970年 2,000
2000年 3,000
2006年 8,000
KKKの没落は、1925年3月15日に当時KKKの指導者的な立場にあったデビッド・カーチス・スティーブンソン(D.C.Stephenson)が起こした事件が契機となっている。この事件に対する裁判の結果がKKK崩壊のきっかけとなった。
第3のKKK
KKKの全国的な影響力は大幅に低下したものの、その後も形を変えて細々と生き長らえ、現在もなお幾つかの分派が活動を続けている。
2005年時点での推定では約3,000人のメンバーが100~158あるKKK系の団体に所属していたとされる。
アメリカのメディアでは未だにKKKとして統一団体のように紹介されるが厳密に言えばKKKの全国組織は前述のように1927年の時点で崩壊している。現存するKKK系の団体に横のつながりはほとんどなく、中央組織のようなものも存在しない。しかし一方で、徹底した地下組織化による中央組織・連絡協議会的組織の温存の疑いや、点在する表面上の小組織の細胞組織化(アルカーイダ系各種テロ組織やネオナチ各種団体を例にとれば分かる通り、一部組織の違法活動発覚で組織全体が芋づる式に検挙される危険性の回避に役立つ)工作の疑いも持たれ続けている。
従来のKKKと異なる点は、破壊活動や暴力など違法行為を一応は認めていない。

ウォレン・ハーディングはクー・クラックス・クランに関係していた。ハリー・S・トルーマンは加入したがすぐに辞めた(後に公民権運動を支持する大統領となる)。



.