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裏窓 / Rear Window





大物監督には珍しく、生涯で一度も離婚歴がなく、妻・アルマと過ごした。

ヒッチコックの初期作品はフィルムの劣化が進んでおり、上映に耐えられない状態となっていたため、2010年には英国映画協会がフィルムが残存している初期サイレント映画9作品を修復しデジタル化するプロジェクトを発足させ、2012年に快楽の園、下宿人、ダウンヒル、リング、ふしだらな女、農夫の妻、シャンパーニュ、マンクスマン、恐喝の9本を無事修復して事業を完了させた。修復されたこのフィルムは「The Hitchcock 9」として各地で上映され、日本でも東京劇場において2017年3月18日から3月24日まで上映された。

主な作品
※:製作国に於いてパブリックドメイン(保護期間は公開から70年、ただし英国政府製作の映画は公開後50年)
《イギリス時代》
1925
快楽の園/The Pleasure Garden ※ 監督デビュー作

1926
山鷲/The Mountain Eagle ※ 6枚のスチール写真を除いては現存せず。

(不明)/(不明) ※ 企画のみ作られた政治映画。BBFCによる検閲、不許可により未制作。

1927
下宿人/The Lodger: A Story of the London Fog ※

ダウンヒル/Downhill ※

リング/The Ring ※

1928
ふしだらな女/Easy Virtue ※

農夫の妻/The Farmer's Wife ※

シャンパーニュ/Champagne ※

1929
マンクスマン/The Manxman ※

恐喝/Blackmail ※ 最初のトーキー作品。サイレント版もあり。

1930
ジュノーと孔雀/Juno and the Paycock ※ トーキー作品。原作はショーン・オケーシーによる。

殺人!/Murder! ※ トーキー作品

エルストリー・コーリング/Elstree Calling ※

1931
スキン・ゲーム/The Skin Game ※

メアリー/Mary ※(殺人! のドイツ版)

1932
第十七番/Number Seventeen ※

リッチ・アンド・ストレンジ/Rich and Strange ※

1933
ウィンナー・ワルツ/Waltzes from Vienna ※

1934
暗殺者の家/The Man Who Knew Too Much ※

1935
三十九夜/The 39 Steps ※

1936
間諜最後の日/The Secret Agent ※

サボタージュ/Sabotage ※

1937
第3逃亡者/Young and Innocent ※

1938
バルカン超特急/The Lady Vanishes

1939
巌窟の野獣/Jamaica Inn ※

《アメリカ時代》
『海外特派員』の一場面
『北北西に進路を取れ』予告編の一場面

1940

レベッカ/Rebecca アカデミー作品賞 



海外特派員/Foreign Correspondent ※

1941
スミス夫妻/Mr. & Mrs. Smith 日本未公開作品 のちにビデオ化

断崖/Suspicion

1942
逃走迷路/Saboteur

1943
疑惑の影/Shadow of a Doubt ※

救命艇/Lifeboat

1944
闇の逃避行/Bon Voyage ※ 英国政府製作のフランス向け国策映画 26分

マダガスカルの冒険/Aventure Malgache ※ 上記同様 30分

1945
白い恐怖/Spellbound ※
1946
汚名/Notorious ※

1947
パラダイン夫人の恋/The Paradine Case

1948
ロープ/Rope ※

1949
山羊座のもとに/Under Capricorn ※

1950
舞台恐怖症/Stage Fright

1951
見知らぬ乗客/Strangers on a Train ※

1953
私は告白する/I Confess

1954
ダイヤルMを廻せ!/Dial M for Murder

裏窓/Rear Window ※ 



1955
泥棒成金/To Catch a Thief ※

ハリーの災難/The Trouble with Harry ※

1956
知りすぎていた男/The Man Who Knew Too Much

間違えられた男/The Wrong Man

1958

めまい/Vertigo ※ 



1959

北北西に進路を取れ/North by Northwest ※ 



1960

サイコ/Psycho ※ 



1963

鳥/The Birds 






(~\(¬_¬)この様な鳥のお話ではございません・・・。)

1964
マーニー/Marnie

1966
引き裂かれたカーテン/Torn Curtain

1969
トパーズ/Topaz

1972
フレンジー/Frenzy

1976
ファミリー・プロット/Family Plot

《受賞歴》
アカデミー賞
受賞
1968年 アービング・G・タルバーグ賞
ノミネート
1941年 アカデミー監督賞:『レベッカ』
1945年 アカデミー監督賞:『救命艇』
1946年 アカデミー監督賞:『白い恐怖』
1955年 アカデミー監督賞:『裏窓』
1961年 アカデミー監督賞:『サイコ』
ニューヨーク批評家協会賞
受賞
1938年 監督賞:『バルカン超特急』
ゴールデングローブ賞
受賞
1970年 セシル・B・デミル賞(功労賞)
ノミネート
1973年 監督賞:『フレンジー』
アメリカン・フィルム・インスティチュート
受賞
1979年 生涯功労賞(ライフ・アチーブメント賞)

《テレビ番組》
1955年から1962年にアメリカでテレビサスペンス番組『ヒッチコック劇場』(原題:Alfred Hitchcock Presents)を総監修。ヒッチコック自身も数エピソードを監督している。なお本作品を放送した際、自ら進行役を買って出て、番組内の冒頭と終わりにユーモアを交えて解説を行った(ヒッチコックの日本語吹き替えは熊倉一雄が担当)。このシリーズは30分番組だったが、好評につき1962年から1965年まで放送された後続番組『The Alfred Hitchcock Hour』は放送枠が1時間に拡大された(日本での邦題は『ヒッチコック・アワー』『ヒッチコック・サスペンス』『新ヒッチコック・シリーズ』など)。1985年には、オリジナル番組を新スタッフが忠実にリメイクした『Alfred Hitchcock Presents』(日本での邦題は『ヒッチコック劇場’86』『新・ヒッチコック劇場』)が制作されたが、この解説部分はオリジナル版の映像をカラーグラフィック処理したものが放送された(日本では1985年-1987年にテレビ東京で放映。ヒッチコックの吹き替えをオリジナル同様に熊倉一雄が行った)。
監督賞ノミネート5回
アカデミーに再三ノミネートされたが、当時のハリウッドではサスペンス物は格下に見られ、また、自身がアメリカ人でなかったことや、ハリウッドに住まずサンフランシスコに居を構え、ハリウッドの映画人との交流が少なかったことなどの理由から、監督賞を逃し続けたという説もある。



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サスペンスの神様?


【アルフレッド・ヒッチコック】
Alfred Hitchcock



サー・アルフレッド・ジョゼフ・ヒッチコック
Sir Alfred Joseph Hitchcock
イギリスの映画監督、映画プロデューサー。1939年からはおもにアメリカで活躍した。スリラー映画で成功し、製作・脚本も手がけた。サスペンス映画の神様とも称される。



本名:アルフレッド・ジョゼフ・ヒッチコック
別名義:サスペンスの神様
生年月日:1899年8月13日
没年月日:1980年4月29日(満80歳没)
出生地:イングランド・ロンドン
死没地:アメリカ合衆国ロサンゼルス市
国籍:イギリス、アメリカ合衆国
職業:映画監督、映画プロデューサー
ジャンル:映画
活動期間:1921年 - 1976年
配偶者:アルマ・レヴィル(1926年 - 1980年)※死別
著名な家族 パトリシア・ヒッチコック(長女、女優)
《主な作品》
『バルカン超特急』
『裏窓』
『知りすぎていた男』
『めまい』
『北北西に進路を取れ』
『鳥』
『サイコ』
《受賞》
アカデミー賞
アービング・G・タルバーグ賞
1967年 映画業界に顕著な証跡を挙げた功績に対して
ニューヨーク映画批評家協会賞
監督賞
1938年『バルカン超特急』
AFI賞
生涯功労賞
1979年 長年の映画界への貢献に対して
ミステリー映画トップ10(第1位)
2008年『めまい』
英国アカデミー賞
 特別賞
1971年 アカデミー友愛賞
ゴールデングローブ賞
作品賞(テレビ部門)
1958年『ヒッチコック劇場』
セシル・B・デミル賞
1970年 生涯功労賞
その他の賞
全米監督協会賞
生涯功労賞
1968年

《備考》
大英帝国勲章
ハリウッド名声の歩道

1899年8月13日ロンドンのレイトンストーン生まれ。鶏肉店を経営するかたわら果物の卸売商も営んでいたウィリアム・ヒッチコックと妻のエマ・ジェーン・ヒッチコック(旧姓ウェーラン)の三人の子供の二番目であった。一家はアイルランドのカトリック教徒であった(イギリスでは少数派)。ヒッチコックはロンドンでカトリックの寄宿学校に入学し、後にヒッチコックは幼年期は孤独であったと語っている(幼年期に父親に「ちょっとのあいだ」だけ留置場に入れられたという話はヒッチコック自身の証言でしか確認できない)。
ヒッチコックが14歳の時に父親が死去し、ヒッチコックは工学を学ぶためセント・イグナチウス・カレッジを去った。学校を卒業した後はケーブル会社(W.T.ヘンリー電信会社)の技術部門(海底電線の電力測定)で働きながらロンドン大学の美術学科で絵の勉強をし、同社の広告宣伝部に異動する。
その後ヒッチコックはアメリカの映画会社フェイマス・プレイヤーズ・ラスキーのロンドン支社に映画のタイトル用イラストを売り込み、採用される。1920年にはイズリントン・スタジオで、サイレント映画のタイトルデザイン(セリフや解説を書いた字幕)を担当した。その後、グレアム・カッツ監督の下で脚本・助監督などを手がけた。2011年には彼がアシスタントを務めた『ザ・ホワイト・シャドー』(1923年)の一部のリールがニュージーランドで発見され、ヒッチコックの携わった現存最古のフィルムとして貴重な資料となった。1925年にはゲインズボロー・ピクチャーズのマイケル・バルコンが、ヒッチコックに処女作の『快楽の園』を監督するチャンスを与えた。
イギリスでヒッチコックは急速に台頭した。ヒッチコックの三作目『下宿人』は1927年に公開された。同作は「切り裂きジャック」をモデルにした作品で、アパートにやってきた新しい下宿人(アイヴァー・ノヴェロ)が殺人犯の嫌疑をかけられる。これが最初の「間違われる男」をテーマとした「ヒッチカニアン」フィルムであった。
1926年にヒッチコックは、アシスタント・ディレクターのアルマ・レヴィルと結婚した。二人の間には1928年に娘のパトリシアが生まれる。アルマはヒッチコックの最も親密な協力者であった。アルマは何本かの脚本を執筆し、ヒッチコックの全ての作品の擁護者であった。
1929年にヒッチコックは十作目の『ゆすり』の制作を始める。撮影中に製作会社は同作を、イギリス最初のトーキー映画にすることを決定した。
1933年には再び、ゴーモン=ブリティッシュ・ピクチャーに移籍していたマイケル・バルコンと共に働く。同社でのバルコンの初の作品は『暗殺者の家』であり、続いて『三十九夜』を制作する。同作は初期の代表作と見なされた。
ヒッチコックの次の成功作は1938年の『バルカン超特急』である。軽快なテンポで展開する同作は、ナチス・ドイツを模した架空の国家ヴァンドリカでのスパイ騒動に巻き込まれた人々を描き、列車内で姿を消した老婦人の行方を捜すという内容のサスペンスでもあった。
ヒッチコックの活躍はハリウッドから注目され、1939年にはデヴィッド・O・セルズニックと組んで、ヒッチコックはアメリカ合衆国で映画製作を行うこととなった。

1940年にヒッチコックはアメリカでの初作品『レベッカ』を制作する。同作の企画はイギリスで行われ、原作もイギリスの作家ダフネ・デュ・モーリアによるものであった。作品はジョーン・フォンテイン演じるヒロインが後妻として入ったイギリスの屋敷での出来事を描くサスペンスで、1940年のアカデミー最優秀作品賞を受賞した。
ヒッチコックのユーモアはアメリカでの作品群でも発揮され、作風はサスペンスをトレードマークとしていた。セルズニックは長年金銭問題に悩まされており、より大きな映画会社にしばしばヒッチコックを貸し出した。
ヒッチコックの1940年代の作品は非常に多様であった。それはロマンティック・コメディの『スミス夫妻』(1941年)から暗いサスペンス(フィルム・ノワール)の『疑惑の影』(1943年)まで多種に及んだ。
1950年代は、ヒッチコックの黄金時代と言える。さまざまな円熟期の作品が量産された。ヒッチコックは1956年にアメリカの市民権を取得した。
『鳥』(1963年)までは精彩を放っていたが、『マーニー』(1964年)以降は凡庸な作品が目立つようになった。これは『マーニー』の撮影中にティッピ・ヘドレンに関係を迫ったものの断られたことが原因ではないかという説もある。あるいは、『ハリーの災難』以来バーナード・ハーマンが音楽を担当してきたが、『引き裂かれたカーテン』の音楽を巡って対立し、結果ハーマンをこの作品から降板させ、以後は袂を分かっていたことも影響しているのではないかともいわれる。高齢による衰えとの説もあるが、イギリスを舞台に撮影した最後から2番目の作品『フレンジー』(1972年)ではキレのあるサスペンス演出を見せ、ヒッチコック復活を印象付けた。

1976年の『ファミリー・プロット』がヒッチコックの遺作となった。
監督業への意欲は一向に衰えず、記者会見で「引退はいつですか?」と聞かれると「上映終了後」と答えたと言う。
ヒッチコックは1980年1月3日にエリザベス2世よりナイトの称号を授けられたものの、ちょうどその4カ月後に腎不全を起こし、ロサンゼルスで息を引き取った。満80歳。遺体は火葬に付された。

自分の作品のどこかにほんの一瞬だけ必ず姿を出すことで知られる(後姿やシルエットだけのこともある)。もともとこれは、初期の頃予算不足のためエキストラを満足に雇えず、やむなく出演していたという単純な理由だった。しかし恰幅の良い容貌で目立つためファンが探すようになってしまい、いつの間にか恒例になったものだという。理由はともかく、そのおかげでファンは作品がどんなにスリリングで手に汗握るものであれ、監督がいつ画面に登場するかを心待ちにするという稀有な楽しみを与えられた。しかし後年はこの「お遊び」があまりに有名になってしまったため、観客が映画に集中できるよう、ヒッチコックはなるべく映画の冒頭に近いところで顔を見せるように心がけていた。


つづく・・・。

ペットだって、熱いアスファルトを歩けば肉球もやけどする・・・。



『夏は日向を行け、冬は日陰を行け』

暑い夏にあえて暑い日向を行き、寒い冬にはあえて寒い日陰を行くように、自分を鍛えるためには進んで厳しさ、辛さを求め、それに耐えてみよということ。




暑いものは暑い!
日向なんて歩いたら肉球が焼けるッス!







根性だけでは、世の中生き残れないッスぅ!







暑い時には・・・。
僕にもアイスをくれッス!







我慢だ!忍耐だ!試練だ!
などと言っていると
この様になります・・・ぅ。







熱中症かぁ?
オイラもなるのかぁ?







皆様もお気をつけ下さいませ。

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8月13日はグレゴリオ暦で年始から225日目(閏年では226日目)にあたり、年末まであと140日ある。

====8月13日の記念日===
【左利きの日】
イギリスのLeft-Handers Clubが制定。
提唱者の誕生日、だとのこと。
この日とは別に、2月10日が日本独自の「左利きの日」となっていたが、現在は「左利きグッズの日」となっている。
左利きの日 2月10日

【函館夜景の日】
函館出身の大学生の投書がきっかけで、函館夜景の日実行委員会(函館青年会議所・函館観光協会等)が1991年から実施。
「や(8)けい(K=トランプの13)」の語呂合せ。

【月遅れ盆迎え火】
本来は旧暦7月13日であるが、明治の改暦後は、多くの地域で月遅れの8月13日に行われる。
お盆に先祖の霊を迎え入れるため野火をたく。
盆迎え火 7月13日

【水巴忌】
俳人・渡邊水巴の1946年の忌日。

====毎月13日の記念日===
虚空蔵の縁日

====8月10日~8月16日===
健康ハート週間

====7月21日~8月20日===
「自然に親しむ運動」月間
雑誌愛読月間

====7月23日~8月23日===
ドッグ・デイズ(Dog days)

====8月1日~8月31日===
道路ふれあい月間
電気使用安全月間
食品衛生月間
北方領土返還要求運動強調月間
地球市民月間
パイン消費拡大月間

====8月13日の出来事===
1536年(天文5年7月27日)
天文法華の乱。比叡山延暦寺の僧兵と六角氏の軍勢が京に侵入、市中の21の法華宗寺院に火をつけ炎上させる。

1690年(元禄3年7月9日)
上野忍岡の忍岡聖堂を湯島に移転(湯島聖堂)。

1868年

チリ北部沖でマグニチュード8.9のアリカ地震発生。 


1899年
アルフレッド・ヒッチコック
(米:映画監督『鳥』『サイコ』等)1899年8月13日-1980年4月29日(満80歳没) 


1916年
鄭家屯事件。中国・奉天省鄭家屯で日中両軍が衝突。日本側に死者11人。

1937年
第二次上海事変勃発。日本海軍特別陸戦隊と中国軍が交戦。

1942年
ウォルト・ディズニー・カンパニーがアニメーション作品『バンビ』を発表(日本で公開されたのは、1951年5月18日)。

1945年
小山克事件。満州国吉林省小山克で、日本人避難民を乗せた列車を武装した暴民が襲撃し金品を奪い、赤ん坊は窓から放り投げ殺害、日本人女性を強姦し、抵抗する者は射殺するなど虐殺され、100名以上が崖から谷底へ飛び降り自決した。谷底で唯一助かった少女が負傷しながらも次の駅へ助けを求めて事件が判明。

1946年
尾道鉄道・石畦駅で列者転覆事故。138人死傷。

1952年
日本が国際復興開発銀行(世界銀行)と国際通貨基金 (IMF) に加盟。

1961年
東ドイツ政府が東西ベルリン間の全ての道を閉鎖し、有刺鉄線による最初のベルリンの壁の建設を開始。

いつの間に、壁が出来たニャ? 


1985年
三光汽船が倒産。負債総額約5200億円で過去最大規模。

1985年
前日に発生した日本航空123便墜落事故の乗員・乗客の捜索開始。4名の生存者が発見される。

1991年
任天堂が北米でSuper Nintendo Entertainment System(海外版スーパーファミコン)を発売。

1999年
日本で国旗国歌法公布・施行。

2001年
小泉純一郎が現職首相では5年ぶりに靖国神社に参拝。中国・韓国の反発があったため8月15日の参拝を避ける。

2004年
アテネオリンピック開幕。8月29日まで。

2004年
沖国大米軍ヘリ墜落事件。在日米軍の大型輸送ヘリが沖縄国際大学(沖縄県宜野湾市)へ墜落。

2007年
ロシア北西部のノブゴロド州で線路に仕掛けられた爆弾が爆発し、モスクワ発サンクトペテルブルク行の列車が脱線、約60人が負傷する。

2008年
太田雄貴が北京五輪フェンシング男子フルーレ個人で日本フェンシング史上初の五輪メダルである銀メダルを獲得。

2017年
ロンドン世界陸上男子50km競歩で荒井広宙が銀、小林快が銅メダルを獲得。同種目での日本人史上初の複数メダル獲得。


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