hiroチャンのブログ -120ページ目

ガラス越しの恋・・・。

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ガラス越しの恋・・・。


可愛いから食べちゃいたい・・・。









ライオンキングって言うなぁ!









ライオンのオスってなぁ、ホンマ怠け者なんやでぇ・・・。

キミのお父ちゃんは働き者かぁ?










初めてぇのチュ~♪









入浴中やから見ちゃイヤぁ~♪








キリンは首が長い。思った以上に長い。


アフリカにいらっしゃ~ィ









未知との遭遇・・・。誰やねん?









イルカさん・・・、イルカさん・・・。

あなたのこと『海豚』って書くの知ってる・・・?

ウ・ミ・の・ブ・タだって!









愛猫の私を忘れてまっせぇ~!!

外出するなら連れていけニャ~♪









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コーンフレークに出会えたのはアナタがいたから・・・。


【ジョン・ハーヴェイ・ケロッグ】
(John Harvey Kellogg, 1852年2月26日 - 1943年12月14日)
アメリカの菜食主義のセブンスデー・アドベンチスト教会信者の医学博士。
ケロッグ社の共同創始者。ケロッグ社初代社長ウィル・キース・ケロッグ(Will Keith Kellogg)の兄。





《概要》
ジョン・ハーヴェイ・ケロッグ博士はミシガン州バトルクリークのサナトリウムでホリスティック療法などの実践や健康食や健康器具などの開発販売を行い商業的に大成功を収めた。
当時の健康ブームの火付け役ともなり、喫煙と肺癌の関係が一般的に取り沙汰される何年も前から喫煙の健康被害を警告していた。

日本では現在でもシリアル食品のケロッグとして名が知られ、博士はその生みの親である。
シリアル食は自慰の禁止及び去勢を目的に作っていた病人食のパン生地を誤って乾燥させてしまい、それを患者に与えたところ患者たちの好評を得たことからコーンフレークとして販売するようになった。

実践されていた様々な健康器具や健康療法は書物などとして残されており、その珍妙な健康法やそれらに興じる人々の様子は実話を元にしたブラック・コメディ映画として、1994年に『ケロッグ博士(原題:The Road to Wellville)』、監督・脚本アラン・パーカー、主演アンソニー・ホプキンスにより映画化がされた。

1922年に社名をケロッグ社とし「ケロッグ」はシリアル健康食品として爆発的に普及した。シリアルは健康食品としてアメリカの朝食の定番となり、更には世界各国にも広まっていった。
1962年には日本法人も設立され、高度経済成長時代に健康朝食として大流行した。

《略歴》
1852年にミシガン州リビングストーン郡のタイロンで生まれた。
1860年に家族とともにバトルクリークに引っ越し、父親は箒の製造工場を設立した。ジョンは町の出版社で印刷工の見習いになり、のちに地元の公立校(のちの東ミシガン大学)に進学、その後ニューヨークのベルヴュー病院内にあるニューヨーク大学と提携している医学校で学ぶ。
1875年に医学学位を取得し、1876年に、セブンスデー・アドベンチスト教会のサナトリウムの館長として就任し、呼吸法、食事法(ベジタリアン)、浣腸といった独特の健康法を提唱し、実践した。
また禁欲主義からマスターベーションを禁忌し、性欲を抑えるさまざまな方法を説いた。菜食主義もそのひとつで、コーンフレークを健康食として開発・喧伝した。一緒に仕事をしていた弟のウィルはコーンフレークの製法の独占を主張したが、ジョンは自由に工場を見学させた(現在アメリカ有数の食品会社であるゼネラル・フーズの創業者もこの見学をきっかけにシリアル会社を興したと言われている)。
1897年に弟とともにコーンフレーク会社を設立したが、砂糖の添加を巡って兄弟が対立し、1906年にウィルは独立する(のちのケロッグ社)。
植物が持つ自然の力に感銘し、そこに神を見いだしたジョンの考え方は、次第に教会から汎神論的であると見なされるようになり、1907年には除名された。
1879年に結婚したが、妻との間に子はなく、1920年に妻が亡くなるまで、42人の孤児を育てた。晩年はフロリダで別のサナトリウムを設立し、健康アドバイザーとして執筆活動などをして過ごした。1943年に91歳で死亡。

《ホリスティック療法》
主な療法は電気コイル治療、高圧電気風呂、乗馬療法、喫煙の禁止、飲酒の禁止、セックスの禁止、子宮マッサージ治療、腸内洗浄、アークライトを利用した頭皮脱毛治療、アークライトを利用した光線耳治療、フットマッサージ器、マッサージベルト、博士考案器具による運動、紫外線ランプ歯科治療、熱気風呂、腰痛振動器具、などがある。これらのほとんどは医学的根拠はないものの、現在でも名を変え多くの健康サービス機関や医療機関などでも使用されている。


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無責任な男の無責任な行動の末路


【ルネサンス佐世保散弾銃乱射事件】
2007年12月14日に長崎県佐世保市名切町のスポーツクラブ「ルネサンス佐世保」で発生した銃乱射事件である。スポーツクラブ会員の男がクラブの施設内で散弾銃を11発発砲し、男女計2人を殺害、6人に重軽傷を負わせた。この事件の後、犯人は自殺。この事件では銃規制の不備が指摘され、翌年、銃刀法が改正された。

場所:長崎県佐世保市名切町
日付:2007年(平成19年)12月14日
概要:銃乱射事件
武器:散弾銃
死亡者:2名
負傷者:6名
動機:犠牲者との恋愛感情のもつれと思われるが、犯人自殺のため不明
対処:犯人自殺により不起訴

事件概要
2007年12月14日午後7時10分頃、スポーツクラブ「ルネサンス佐世保」に散弾銃を持った男Xが入店した。Xはプールに直行すると、無言で散弾銃を発砲し始めた。プールで小中学生を指導中だった女性インストラクターA(当時26歳)は、生徒を誘導して事務室に逃げ込もうとしたが、先回りしたXは水着姿のAに向けて至近距離から発砲し、左脇腹に致命傷を負わせた。さらに、ロビー近くで犯行を制止しようとした男性B(当時36歳)にも数発発砲した。AとBは、運ばれた病院で死亡が確認された。また、大人4人と女子小学生2人が被弾し、重軽傷を負った。
Xは発砲後裏口から逃走した。迷彩服姿、身長180cm超という目撃証言から、犯人はアメリカ兵ではないかという憶測もあったが、警察が目撃者や関係者から情報を収集した結果、佐世保市内に住む当時37歳の無職の男が被疑者として浮上してきた。
連続発砲事件であったことから、長崎県警察銃器対策部隊と福岡県警察SATが出動。警察がXの行方を追っていたところ、15日午前1時頃、Xが所有する乗用車が発砲現場から約4km離れたカトリック船越教会の前の道路上に停まっているのを発見。車内には誰もいなかったが、散弾銃2丁と空気銃1丁と迷彩服が見つかった。警察の記録によるとXは散弾銃を3丁所持していることから、警察はXがもう1丁の散弾銃を携え付近に潜んでいるものと見て、周辺の警戒と捜索に当たっていた。15日午前5時44分、教会から発砲音が聞こえたことから、警察が教会の敷地内を捜索したところ、午前7時35分頃、行方を追っていたXが散弾銃を持ったまま首から血を流して倒れているのが発見された。Xは既に死亡しており、警察は自殺と判断した。
周辺住民の証言から、Xの車は発砲事件発生から50分後の14日午後8時には同じ場所に停まっていたことが明らかとなった。Xはスポーツクラブで乱射した後、寄り道することなく教会に来たものと見られている。Xはこの教会の信徒であった。

Xが犯行と自殺に使用した銃は、3連射可能な単身自動式の散弾銃ベレッタAL391であった。Xの車内には、事件で使用されなかった銃3丁の他、サバイバルナイフとガスマスクと実包約2500発が残されていた。見つかった実包のうち100発は、通常の散弾より殺傷能力が高いスラッグ弾であった。実包はこの他にも、Xの服のポケットから180発、自宅から22発見つかっている。火薬類取締法が自宅保管を認める実包の最大数は800発であるが、Xはこれを大きく上回る約2700発の実包を違法に所持していたことになる。
2008年2月2日、Xは殺人等の容疑で書類送検された。3月5日、長崎地方検察庁佐世保支部は被疑者死亡を理由にXを不起訴とした。

Xは2002年夏、初めて佐賀県鳥栖市の銃専門店で銃を購入している。この際に購入したベレッタAL391を犯行時に使用している。Xは2007年9月までに散弾銃3丁と空気銃1丁を購入しており、警察には射撃競技と狩猟に用いると届け出ていた。事実、Xは一時クレー射撃クラブに所属していた。同じクラブのメンバーでXに銃を売った鉄砲店主は、Xの印象を「気が利き礼儀正しかった」と話している。一方で、Xには奇行も見られた。ある近隣住民はXが深夜突然トイレを貸してほしいと訪ねてきたと語る。この近隣住民はXの銃所持許可取り消しを警察に求めていたが、警察はXに(銃の主要な構成部品である)先台の自主的な提出を要請しただけであった。先台の提出要請には法的拘束力がなく、Xはこれに応じることはなかった。
Xは安定した収入がないのにもかかわらず、父親の退職金を頼って浪費を続けていた。犯行の数月前には、300万円の新車と40万円の漁船を購入していた。犯行直前には金融機関から570万円の借金を抱えていたが、母親が生活費の援助を打ち切ったことから、返済の目処が立たなくなっていた。


《動機》
被疑者であるXが自殺したため、動機の解明は難航した。当初は無差別殺人かと思われていたが、事件時たまたま客としてプールにいた、女性インストラクターAの交際男性を押しのけ、他の人に目もくれずAを狙撃していることから、警察は最初からAを計画的に狙った犯行と断定した。Xは数年前からルネサンス佐世保でウェイトトレーニングをしており、殺害されたAに一方的な恋愛感情を抱いていたと見られている。
殺害された男性Bは、Xとは中学時代からの親友であり、Xにスポーツクラブに呼び出されて被害に遭った。Xはこの男性の他にも複数の旧友をスポーツクラブに誘っており、2階のプールを見下ろせる3階のギャラリーに行くよう携帯メールで指示していた。しかし、呼び出された男性たちは会員でないことから、3階のギャラリーに行くことができず2階のロビーでXを待っている間に発砲事件が起き、事件に巻き込まれた。
B射殺の動機について、警察はBが犯行を制止しようと試みたことに犯人が激昂したものと断定した。後にBの制止行為は警察官の職務に協力援助した者の災害給付に関する法律第2条が定める協力援助行為と認定され、遺族に給付金が支払われた。
警察は、Xが仕事に就けず借金返済もできなくなったことなどから、「自暴自棄となり犯行に至った」と結論付けている。しかし、好意を寄せていたAに対し殺意を抱くに至った理由や旧友たちをスポーツクラブに呼び出した理由については、明確な答えを出せていない。
動機について学者から様々な説が出ている。犯罪精神医学者の影山任佐氏は「まず自殺を考え、最後に『人生の見せ場』を作ろうとしたとみるのが自然」と指摘した。犯罪心理学者の福島章氏も自殺願望に言及し、「社会や周囲への被害妄想を抱くようになり、多くの人を道連れに死のうとしたのではないか」と語った。


《銃規制》
この事件では、生活が破綻していたXが銃を合法的に所持していたこと、その奇行から近隣住民が警察に銃所持許可の取り消しを再三求めていたにもかかわらず特に対策が採られていなかったことから、法体制や所持審査のあり方が問われた。佐世保市の市長と市議会は、銃の許可に際しチェックを強化するよう政府に意見書を提出している。町村信孝内閣官房長官は、「日本は銃器規制が世界一厳しい国であるといわれているが、現実にこういう事件が起きた」と述べ、事件を検証した上で反省点や改善点を探っていく考えを明らかにした。
警察庁は全ての銃保持者に自主的な委託保管を呼び掛けた。また、関係機関の連絡会議で自主的な規制や指導を強化する方針が確認されたが、害獣駆除や射撃競技などの必要性から画一的な銃規制に慎重な意見も出された。
銃規制強化の動きは野党にも見られ、当時の民主党は12月26日、銃の保管場所を原則自宅から警察署等に変更する方向で法改正を検討していることを明らかにした。2008年4月25日、銃刀法の改正案が民主党から参議院に提出された。その後秋葉原でダガーナイフを用いた通り魔事件が起きたことを受けて、ナイフ規制拡大を盛り込んだ改正案が政府から提出された。与野党の協議の末、2008年11月28日改正銃刀法が成立し、2009年1月5日施行された。改正銃刀法では銃所持資格が28年ぶりに見直され、ストーカー行為、家庭内暴力、自殺の危険性がある者などが欠格事由に加えられた。銃と実包の保管場所については従来通り自宅を原則としている。

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