今日は金曜日。

主に時間との戦いが続く製造業にカテゴライズされる我が社では毎週この曜日になると17時を過ぎたあたりから全体的にソワソワした空気が流れ始める。

今週のこの日、特にそう感じさせた人物はゴリさんだった。


ゴリさんは老若男女の若い娘以外が全て揃い、且つ個性的な人間が目立つ弊社でも特に個性的な人間だ。

年齢は58歳。時期に還暦を迎える彼の特徴をあえて簡潔に言うならば、斜め45度からでも目視できる鼻毛だろう。

本来、見えるハズのない場所の毛だけが視界に入るのだ。たとえ鼻の穴が見えなかったとしても。


今日の彼のせわしなさはとても目に余るものだった。きっと彼の本日のアフターファイブは良くも悪くもすさまじいモノだったのだろう。


そんなゴリさんを自分はただ傍観していた。そう。ただ傍観しているだけだったのだ。

ある信じられない出来事を目の当たりにするまでは…。


終了時刻の1時間程前に仕事を切り上げた彼は早くも掃除を開始した。しかし定年間近の彼の仕事量は必然的に少なく、もちろんそれに比例して彼の仕事上のスペースはそれ程広くは無かった。なので掃除といっても10分、いや5分もあれば十分と言えるキャパシティで業務に励む彼の領域の掃除に1時間は流石に彼も時間を持て余した。実際に掃除に費やしたといえる時間は10分程度だっただろう。しかし彼は1時間掃除をやり遂げた。

ひたすら同じ所を何往復もモップが移動する中、彼は小声で何かを話していた。誰に何を話していたのかは分からないが、彼は確実に誰かと会話していた。

しかしそんな事はどうでもいい。誰に何を話そうがこの後に起こる出来事に比べればそれは大した問題では無いのだ。


彼は右手を顔に近づけ、鼻の穴に指を2本入れ何かを掴みそしてそれを引き抜いたのである。そしてそれをおもむろに投げ捨てた。


俺は自分の目を疑った。


「まさか…嘘だろ。」


俺はゴリさんがトイレに向かった隙を見てそのおもむろに放り投げられたモノを探しに彼の領域に足を踏み入れた。


それを見つけるのは実に簡単だった。


所々に白みを帯びた太く輝く…


そう。それは鼻毛だった。紛れも無く狂おしいほど直毛の鼻毛だった。



しかしこの鼻毛の美しさの衝撃はあまりに強烈だった。


俺は気がつけば俺はそれをつまんでいた。なんだか無償に触れてみたくなったのだ。








そこから数分間の記憶は無い。


俺はゴリさんの鼻毛に触れた事によってトリップしたのだ。



かろうじて覚えてるのは優しさの裏側に見える本当の強さ。男が目指すべきものがゴリさんの鼻毛を通じて俺の中に入ってきた事。






なんとか意識を取り戻し、鼻毛マジックの余韻にひたっていると程なくしてゴリさんが戻ってきた。





「ふぉっふぉ。触れたのかね?」


「はい。触れました。なんかこう優しさと強さと言うか…なんかよく分からないですけど。とにかく言葉では伝えられない何かを感じました。この世のモノとは思えない…。あなたはいったい何者なんですか?」


「ふぉっふぉ。そうかい。この世のモノとは思えないかい。私はゴリじゃよ。君も知っているじゃろう。この世にはな、色んな分からない事がありふれているんじゃよ。それを全て知る事は不可能じゃ。考えてもみぃ。インターネットの普及によってグローバルな環境になってる現在、多種多様な文化を世界中が知り始めてるじゃろう?でもそんなのほんの一握りじゃ。万人の知らない事が知っている事よりもありふれている環境でいったい本当の強さっていうのは何だと言うんじゃ。今、世論から認められている強さは100年後にも変わらず認められているのかい?資本主義を先進国の誰もが正しいと胸を張っていた時代から数年で世界中の投資家達が世界中から元気を奪ったのじゃよ。だったら誰も胸張ってイエスとは言えないハズじゃ。何が本当の強さなのか?絶対的なモノが存在しない限り本当の強さなんて存在しないんじゃ。もちろんそれは通貨や金等流動的なモノでは無いハズじゃ。」


「でも…お金は欲しいです。金も欲しいです。現状、お金があればある程度の生活は約束されますから。・・・絶対的なモノなんて俺には分からないです。それは一体なんだって言うんですか?」


「それはな、わしにも分からん。分かるのは神かなんも考えてないバカだけなんじゃろうな。」


「そうなのか。なんか難しい話ですね。じゃぁ俺はバカでいいです。分からないモノをややこしく考えて余計難しくするより、自分の中で簡単に定義つけて適当にやっときます。」


「ふむ。非常に若者らしい考えじゃが、それが一番答えに近いのかもな。結局のところ君が満足すればそれでいいんじゃよ。」



その後しばらくするとゴリさんは静かにこう続けた



「また君が思い悩む頃合を見て鼻毛をそっと置いておくよ。気が向けばまた触れてみるといい」



そう言い放ち、ゴリさんは静かにタイムカードを切った。


彼はいったい何者なのか?謎に残ったままであるがそれはそれでいいと思えた。



なぜならこの世は分からない事だらけでそれが人生を楽しくさせるのだから。