正月元旦から地震だ飛行機事故だ北九州火災だと心を痛めていた中、ホットする話に救われた思いです。
「よかった。通訳さんに申し訳なくて食事が楽しめないから、食べていただいた方が気持ちが楽になります」
この気持ちってごくごく普通の感覚。
ご家族・親族の方の気持ちよくわかります。
仮に「食事を」と勧めてくださったお気持ちが「儀礼」から出たとしても、ハレの日に当事者・ご家族のお気持ちに沿うのは良いことだと思います。
「通訳者」としてというより、ハレの日を祝いたいというお気持ち、それをぶち壊さない配慮ができる「人間性」こそ大事で、ベテラン通訳者であれば「通訳をする」と「料理を楽しむ」はいとも簡単に切り替えられているご様子が伺い知れます。
それが
「あっちゃん、厚子は、こういう親戚が集まる場所だとね、いつも一人ぼっちなんです」とのことで
「厚子、とても楽しそうで・・・本当にありがとうございます」
につながっているのだと思いました。
また「いつも一人ぼっち」この感覚も自分自身経験しているのでよくわかります。
大勢で集っていてもどこか疎外感を感じている。
まるで言葉の知らない外国に混じれ混んでいるかのような・・・。
ついついいつもの顔なじみの中しか行けない。
「配慮」とか「支援」とか文字で書けば簡単ですが、
日常生活の中で配慮も支援もする側の労力を思う時、
嘘笑いとうなづきと曖昧な返事でその場を逃げてしまう。
通訳者のあるべき姿とは、確かに現場での飲食は控えるべきであるとの決まりは僕も知っているが、
飲食云々ではなく、人と人との間をつなぐことが通訳の本分で、それを果たし通訳者が真っ当に職責に従事した結果、
「本当にありがとうございます」に繋がった。