セクシャリティのことで悩みに悩んだ中学生から大学生までの時期は暗黒時代。ストレートの友達には本当のことを言えないし、でもゲイの世界に飛びこむと後戻りができない気がして、どこにも居場所を見つけられずに苦しみながら生きていた。何よりも大好きだったお母さんに本当のことが言えないことが辛くて、消えてしまいたいと思うことも度々あった。

 

でも今考えるとセクシャリティのことを受け入れられていなかったのは自分自身だった。ゲイであることを否定しようとしていた。

 

大学生の頃にサンフランシスコに交換留学をした。当時の自分はさっぱり知らなかったけれどサンフランシスコはゲイのメッカ。世界で一番リベラルな街の一つと言えるかも知れない。同性同士が手を繋いでいるのを見るのなんて日常だった。自分のセクシャリティを偽らずに過ごせる街で過ごす毎日はもちろん最高で、たくさんの友達ができた。いるだけで幸せを感じられた。帰りたくないと思った。

 

交換留学が終わって帰国した後も、日本でセクシャリティに悩みながら息苦しい社会人生活をすることなんてとても想像ができず、就活もせずに大学を卒業してすぐにスーツケース片手にサンフランシスコに移住。逃げるように日本を去った。

 

ビザの関係で4年間で日本に帰ることになったけど、大学卒業後サンフランシスコに移住したお陰で自分と向き合えた。ゲイであることに悩む必要がない街で仕事をして毎日を過ごし、初めての恋人もできた。今までゲイであることをどこかで否定しようとしていたけれど、やっと自分のセクシャリティを自分自身が受け入れることができた。そしてお母さんにもカミングアウトもして、「なんとなくわかっとったし、あんたが幸せならそれでええよ」と言ってもらえた。

 

日本に帰国した後はゲイの友達をたくさん作った。社会のどこにも属している感覚がなかった大学生までの頃とは違ってコミュニティーにきちんと属している感が持てて、東京の生活がとても楽しくなった。

 

そして今回およそ6年ぶりにサンフランシスコに行って昨日帰ってきた。行くことに決めた目的は色々あったけど、行って本当によかったと思う。なぜなら自分にとって今の東京での生活がとても大切なものになっていることに気づけたから。

 

サンフランシスコは相変わらず綺麗な街だった。でも以前のような「いるだけで幸せ」という気持ちにはなれなかった。6年の歳月は僕の知っているサンフランシスコを少しだけ違う場所に変えていた。

 

でも変わったのはサンフランシスコだけじゃない。自分自身も大きく変わった。サンフランシスコの生活のお陰で自分のセクシャリティを受け入れられるようになったため、東京の友達もたくさん増えた。どこにも居場所を見つけられなかった昔と比べて、きちんと今は居場所がある。毎日が楽しい。気づかない内に大切な人や心地いい場所が増えていた。

 

だから今回サンフランシスコを発つ時、「サンフランシスコは大好きだけど、日本に帰るのが楽しみ」という気持ちだった。東京での生活がこんなに特別なものになっていたことに気づけただけでも今回サンフランシスコに行ってよかったと本当に思う。

 

東京での生活をもっと楽しくするにはどうすればいいか、ワクワクしながら思案中。

サンフランシスコに来て1週間以上が経ったわ。でもなんだか心から楽しめない自分がいたの。

原因がわかったわ。アイツよ、アタシを事あるごとに苦しめるアイツ。

 

 

それは『罪悪感』

 

 

「みんながせっせと勤労してる中、アナタそもそもなんでサンフランシスコにいるの?」

「サンフランシスコにはどれくらいいるの?え、1ヶ月?そんなにたくさんいる必要あるのかしら?」

「あらあら。一応仕事もしてるみたいなのね。でも1日にたったそれだけしか働かないのね。一般的な会社員の方々はどのくらい1日に働いているか知ってらっしゃる?」

「今日は何するの?週末だから友達と会う?良いご身分ですこと。」

「新しい生徒さんを見つけなければ、アナタ月収ゼロよね?そのこときちんとわかってらっしゃる?」

 

サンフランシスコに着いてからそんな声がずっと頭の中を支配していた気がする。

そりゃそんな事を考えながらで滞在を楽しめないのは当たり前よねぇ。

そのことに気づけてよかったわ。

 

 

来たいと思ったらサンフランシスコに来た。

1日1日を思いっきり楽しむ。

心が望むことを毎日する。

 

 

それでいいじゃない。

 

そうやって毎日過ごすことが、きちんと自分の人生に責任を持つっていう事な気がするわ。

 

今日はどう過ごそうかしら🌟

まるで不安になることが趣味かのように、いつも不安を抱えていた過去のアタシ。


その中には実際に実現した不安もあった。でもほとんどの不安は杞憂に終わった。


どうせ生きるならワクワクしながら生きたいわ。そんな生き方、したことない。でもとっても素敵だし、してみたい。


不安とは今までの人生でもう十分付き合ってきた。その感情は自分の一部だから完全にサヨナラができないのはわかってる。でもこれからのアタシはワクワクする気持ちともたくさん仲良くしながら生きていくわ。だってその方が楽しそうだから。


楽しみだわ💞

自分の機嫌の取り方。前までは落ち込んだ時にも気分を無理矢理「良い状態」に持っていくのが機嫌の取り方だと思っていた。いわゆる空元気。


それでなんとか気分を上げることができる時もあった。でもいつもは通用しない。落ち込みきってる時に無理やり気分を上げようとすると、気分は落ちるばかり。


なんでかなと思ってたけど、「落ち込んでいる」という感情を否定しているからだと思った。でもどんな感情だって自分の感情。大切に感じなきゃダメよね。落ち込んでいる自分だって自分なんだから。


『感じたくないことも感じなきゃ何も感じられなくなるから』


と、宇多田ヒカルの歌詞にもあったわ。


落ち込んだ時にはまず落ち込んでいることに気づく。そしてその感情をきちんと味わうようにしてみるわ。そしたらそれだけで落ち込んだ気分が少しマシになる気がする。今まで蔑ろにされていた感情が喜んでくれる気がする。自分の感情に素直な人に、アタシはなりたい。

サンフランシスコに住んでいた頃、仲の良い女友達が遊びに来てくれることになった。当時スピリチュアルなことに興味があった彼女は、大自然を感じるためにヨセミテ国立公園に行きたいとのことだった。僕はスピリチュアルなことはよくわからなかったけど、自然は大好きだったので一緒にそこに行くことに決めた。

 

到着したヨセミテ国立公園の雄大な自然にとにかく圧倒された。周りに自然しかない。遠くに見える切り立った山。お互い言葉も交わさずに、ただその瞬間を感じていた。聴こえてくるのは鳥の鳴き声と沢の音だけ。ふと沢の近くまで降りて水に手を浸してみる。指先に感じる冷たさが心地良い。しばらくそのままでいると、急に「びびっ」と来て、あることに気づいた。

 

 

この川の水が岩を砕きながら下流まで流れていって、やがて海にたどり着いて、そこで蒸発して雲になる。そしてどこかでまた雨を降らせて、また川になって、同じことを繰り返す。そんなことが何十億年?も続いていて、その水が地球上の生き物の命をずっと繋いできている。

 

 

それって、すごすぎない?

 

 

とんでもないことを知ってしまった気分でどきどきしながら、ふと目をつぶって深呼吸をした。しばらくしたらまた「びびっ」と来て、あることに気づいた。

 

 

自分が吐いた二酸化炭素を周りの木や草が酸素に変えて、他の動物のための酸素にする。そのサイクルが何十億年もずっと続いてきている。

 

 

あら、やだ。やっぱりすごすぎない?

 

 

何か絶対的な存在(人によってはそれを神と呼ぶのかも知れないけど)が「計画」をして、この地球もしくは宇宙を作り上げたとした思えない。そのことを感覚で理解した。そして自分はその「計画」の中のほんの一部。ただの小さな点。そう気づいた時に、今まで色んなことに抗って生きようとしていたけど、あれこれ抗っても仕方ないと思えた。

 

ずっと忘れていた大事なことを思い出したような気分になって、高揚感に近い至福を感じた。

 

初めて抱いた感情を持て余しそわそわしている自分に対して、女友達が「何か感じた?」と笑顔で声をかけてくれた。

 

それまでにスピリチュアルな話を聞いたことは一切なかった。彼女からもスピリチュアルな話は聞いたことがなかった。でもその場で彼女と僕が感じていたものはきっと似たようなものだった気がする。

 

アメリカのゲイの間で有名な出会い系サイト、Adam4Adam。その絶妙なネーミングセンスはさておき、そのサイトでは自分の宗教を書く欄がある。もしも自分が何かを書くとしたらSpiritualと書くだろう。

 

日々何かスピリチュアルなことを実践しているわけでもなんでもない。でも大自然の中に行って自然と繋がれた時、ヨセミテで感じたような高揚感に包まれたことが今までに4回くらいある。その至福を感じるために自分は生きているんじゃないかと思う時がある。

泳ぐのが気持ち良いから最近はよく近所の区民プールへ行く。

小学生の頃にスイミングクラブのためにここに通っていた。

区民プールに行くまでの川沿いの道を自転車で走る。

この道を今までに数えきれないくらい通った。

夏休みに友達と一緒に自転車でプールに行ったことがあった。

プールで涼めることにひたすらワクワクしながら真夏の炎天下の下自転車を漕いでいた。

ふとした時にこみ上げる懐かしさに胸がきゅーっとなる。

 

幼少期から大学生までを過ごした街で今も過ごしている。

だからこんな気持ちに出会う場面がよくある。

その感覚が大好き。

子供の頃からずっと生活している場所で過ごすなんてつまらないと思う人もいる。

でも僕はいろんな場所に懐かしさが隠れているこの街で暮らすのが大好き。

 

 

実家暮らし35歳独身男性。

婚活中の女性が聞いたら悲鳴を発して逃げるかも知れない。

(でもそもそもアタシはオカマよ、安心して★)

20代後半頃までは自分は社会人かつ男だし実家を早く出なきゃいけないと思っていた。

そう思うようになったきっかけは、アルバイト先が一緒だった10歳上の元先輩かつ友達が

「社会人にもなって実家にいるの?甘えてちゃダメよ!早く出なさい」

と度々言っていたからな気がする。

そうなんだ、社会人になったら実家を出る「べき」なんだ...

そう思った僕は、

職場でどこに住んでいるかを聞かれ、流れ的に実家にまだ住んでいることを言わなくてはいけない時、

「あ、でももうすぐ出ようと思ってるんですけど...」と付け加えるようになった。

 

 

 

35歳になり、色々な事情や理由で実家暮らしをしている人を見てきた。

実家暮らしに対する自分の考え方も変わってきた。

「べき」思考を取り払い、自分の考えを持つことができるようになった。

 

 

 

「敷金と礼金もわからないの?そんなんでどうやって生きていくつもり?」

一人暮らしをすることが本当に必要になった時にネットで調べれば、

敷金と礼金が何かはすぐにわかります。わからなくても全然生きていけますよ。

 

「自炊も洗濯もできないんでしょ?」

アメリカでは4年間ひとりで生活してたし、

なんなら料理は子供の頃から母の手伝いをしていたので人並み以上にできます。

 

「両親に対する甘えじゃない?」

夫婦二人と要介護の娘三人のピリピリした生活よりも、

自分がいた方が助かるって言われています。家事も分担できるし。

 

「35歳になったらやっぱり実家は出た方がいいよ」

あなたはそういう風に思うんですね。

でも、どう生きるかは僕の自由だし、正直...余計なお世話ですよね。

 

 

 

社会人になったら実家を出るべきと言ってくれた友達は、

僕のことを想って言ってくれたんだということはよくわかる。

でも彼女は「べき」思考に捉われていたんだろうと思う。

彼女曰く、彼女の両親はキャリア官僚のお父さんと専業主婦のお母さん。

経済的主導権を握っていて非常に頑固なお父さんに

お母さんは何の意見も言えない様子を見ていたため

専業主婦のお母さんはとても頼りなく見え、

自分はもっと自立しなければと思ったとのこと。

そのことから自立する「べき」思考を持ち、

社会人の時は実家から職場まで通える距離ではあったものの一人暮らしをし、

自分で自分の生活を支えるために今日に至るまで仕事第一で生きている。

 

でも本当に彼女はそうして生きたかったのかな?と思う。

だって本当に自分がしたいように生きている人は、

自分の生き方を他人に押し付けたりしない。

 

彼女が僕に20代半ばなんだから実家を出ろと言った時、

「私だってそうしなくちゃいけなかったんだから、あなたもそうしなさい」

という気持ちが心の裏にあったんじゃないかという気がしてしまう。

 

 

 

自分もたくさんの「べき」思考に捉われている。

そしてその思考に基づいて周りの人に生き方を押し付けたことがきっとある。

でも第一に、人の生き方はそれぞれ。だから周りの人の生き方を尊重しよう。

そしてそもそも人に自分の生き方を周りに押し付けたりせずにいられるよう、

「べき」に捉われた生き方をやめて、心から望む生き方をしていこう。

 

 

 

実家で暮らせて本当に感謝。

いつか出ていくと思っているからこそ

家族と一緒に過ごせる今の時間を大切にしようと思う。

目標を決めてそれに向かって人生を生きるのと、その場その場で心が望むことをして今を大切に人生を生きるのと。どっちが正解なんだろう。

 

 

大学4年生の頃に単身バックパック旅行をした。東南アジア6カ国を6週間。成田→シンガポール→マレーシア→タイ→ラオス→ベトナム→カンボジア→タイ→成田、というルート。

 

シンガポールから入国をしてタイで出国をするということと、どの国をどの順番で訪れるかも事前に決めていた。結構な駆け足旅行で、相当疲れて帰国した。

 

今でも人生で一番楽しかった思い出のひとつ。でも時々思うのは、成田からシンガポールに着いた後の行き先を決めずに旅をしてたらどうなっていたかということ。

 

成田からシンガポールに到着し安宿でチェックインを済ませた後に、一人でふらっと近所のレストランに入る。そこで隣のテーブルのバックパッカーと話す。「これからどこに行くの?」と聞かれ、「何も決めてないんだ」と答える。「それだったらマレーシアのランカウイ島に行ってみなよ!海がすごく綺麗だよ。」と彼が言う。海なんてそこまで興味がなかったけどそこまで言うのなら行ってみようかなと思い、電車やバスを乗り着いでランカウイ島に。そこであまりの海の綺麗さに心を奪われ、3週間も滞在することに。

毎日島の自然を満喫して次はどこに行こうかと思った頃に、カンボジアのアンコールワットがふと頭に浮かぶ。小学生の頃にやっていたゲームに出てきたアンコールワット。そこに出てくるボスが強すぎて結局先に進むことができなかった。アンコールワットに、行こう。そしてバスを乗り継いで数日間かけて到着したアンコールワットのあまりの壮大さに驚く。遺跡が巨大すぎて3日間かけてやっと観光を終えた。小学生の頃のゲームではクリアできなかったアンコールワット。それをやっとクリアしたようなちょっとした達成感。

しかしとんでもなく強い日差しの降り注ぐ中遺跡観光をしていたため、ちょっと疲れた。また海に行きたい。タイのピピ島が綺麗だと同じゲストハウスのバックパッカーに聞いたから、今度はピピ島に向かうことに。そして海の綺麗さに再び感動し、結局残りの期間は全部のんびりピピ島で過ごしてタイから成田に帰国。

日焼け止めも塗らずに旅行をして真っ黒に焼けた肌とちょっとのお土産。それと一緒に持ち帰ったのは、心の赴くままに旅をしたという思い出。

 

そんな旅になっていたかも知れない。

 

 

典型的なサラリーマンの父の背中を見て育ち、20代半ばまでは何かを目標に生きるのが当たり前だと思っていた。目標を達成するために若いうちは多少の苦労も仕方ない。そんな風に思ってがむしゃらに働きしっかり体調を崩して、当時勤めていたブラック企業を退職。その時の僕の生き方は目的地やルートを決めて旅をしていたのに近かった。

退職後バリ島で3週間過ごし、貧しいながらも心から幸せそうに生活をする現地の人たちの様子を見て、「もっと肩の力を抜いて生きよう」「今の幸せを感じられる生き方をしよう」そう決めて正社員でない生き方を選択。収入は下がったものの、時間と心のゆとりを持てた生活は幸せを感じられる日々だった。その時の僕の生き方はその場その場で心が望むことをしながら旅をするのに近かった。

しかし30代半ばになり、果たして自分の人生このままでいいのかと思い始めた。だから起業コンサルの人にお願いし、目標をしっかり設定して日々行動。また20代半ばの頃の生き方に戻った。そして案の定燃え尽きた。

 

目標を決めて生きたり、目的地を決めて旅行をする。今その瞬間に自分がしたいことをして生きたり、目的地を決めずに心が赴くままに旅行をする。どちらが正しいとかはきっとない。でも自分に合っているのはどちらか、自分にはもうわかっている気がする。

去年の後半から起業コンサルの先生にみてもらって、事業を軌道に乗せるために馬車馬のように働いてきた。”理想の生活をありありと描いて、そこから逆算して目標月収を設定。その月収を稼ぐために月に何人成約をし、その為に何人に成約のためのプレゼンをし、そのために何人に告知するかを計算して...” なんて感じで教わって、日々がむしゃらに過ごしてきた。

 

結構な金額の成約が取れるようになっても心から喜べない。なんでだろう。銀行の口座の数字は増えていってもなぜかそこまで嬉しくはなれない。でもとりあえず行動し続けた。

 

そして事業が軌道に乗ってきたかなと思えたころに発症した、燃え尽き症候群。今いる生徒さんのレッスンはきちんとできるけど、新しく生徒さんを見つけるための行動ができない。そうしなきゃ収入がないのに、動けない。なぜ?一体自分は何をしているんだろう?世の中の人々はきちんとお勤めをしているのに。

 

何かしなきゃいけないと思ってとりあえず行動をする。でも気持ちがついていかない。とりあえず行動をしているだけ。不安と焦りでみぞおちのあたりがずーんと締め付けられる。

 

そんな時に言われた「休みましょう」「自分が本当にしたいことをしてみましょう」という言葉。最初は「休むなんて、そんな...」という感じだったけれど、思い切って今の生徒さんのレッスン以外の仕事は休むようにしたら心が楽に。そしてやりたいと思うことをするように意識すると、ワクワクしながら行動ができるようになってきた。

 

今僕が担当しているある生徒さんは超ネガティブ思考。英語力はきちんと伸びているのにそこに目を決して向けようとしないので、ずっと悩んでいた。でも昨日その生徒さんとレッスンをしたら、一気に前向きになってくれた。驚き。他人は鏡と言うけれど、本当にそうだと思った。今まであの生徒さんは僕の中の負の感情を映してくれていたんだなと。

 

自分が本当にしたいことをする。そういうことは意識せずにずっと生きてきたからまだなかなか慣れず、本当にしたいのかどうかよくわからなかった散歩から今さっき帰ってきたところ。でも自分がしたいことをして過ごす毎日はとても楽しそう。だから、そうやって過ごすようにしてみよう。

「ポッドキャストに出ない?」

 

あら、アタシの聞き間違いかしら。もう一回言って?

 

「○○くん、ポッドキャストに出ない?」

 

やだどうしよう、聞き間違いじゃなかったわ。

 

 

 

ラジオMCを目指す仲の良い友人は最近ポッドキャストを始めた。彼の友人をゲストに迎え、いつも仲良くしている友達の知らない一面を深堀りしていくというコンセプトの対談番組。仲間内では非常に評判が良く、自分もよく聴いている。いつか自分も出れたら楽しそうと内心思っていた。でもみんなおしゃべり好きでおしゃべり上手。自分から番組に出たいと立候補した人たちばかり。そこに「アタシも出たい」と言う勇気はなかった。

 

まさかお声がかかるとは。

 

前までの自分だったら世に恥を晒すみたいで(本当は出たいのに)お断りしていたかも知れないけど、彼のお声がけに対して意を決して「出る!」と返事。

 

収録中に聞かれる質問一覧を事前に渡される。質問は例えば「自分を表す3つのキーワード」など。収録日に備えて何を話そうか悩みに悩む。でも次第に自分を良く見せるために喋ろうとしていることに気づいた。

 

でも大好きな友達が数回前のポッドキャストで言ってたの。こちらが本心で語らなければ、相手も心を開いてくれない。そう。そうよね。今まで自分の壁を取り払えず生きてきた自分。きっとこれが良い機会だわ。アタシ、覚悟を決めた。

 

そして迎えた当日。「自分を表す3つのキーワード」に対する1つ目の答えは「下ネタ!」だった。だってそれは外せない。爆笑するMCの彼。

テレビの中の人のように流暢に喋ることは決してできなかったけど、アタシをよく知るMCの彼は収録後には「○○君らしかったよ!」と言ってくれた。

 

このポッドキャストが世に出るにあたり、今までいつも人の目を気にしていたのが少しどうでも良くなってきた。取り繕った自分と仲良くしてもらっても仕方ないわよね。それよりも本音で話す自分と仲良くしてもらいたい。本音の自分を良いと思ってもらいたい。自分の周りの素敵だと思う人は、いつも本音で生きている。こんな風に思える機会を与えてくれた彼に感謝。

 

これからはもっと本音で生きていこうと決めた35歳のアタシ。でもオネエ言葉はブログ上だけよ。

おうち時間が増え、癒しも求めてか、観葉植物にハマった。植物好きのおじいちゃんの影響で花やハーブは中学生の頃からずっと育てきた。でも観葉植物をこんなにたくさん買ったのは初めて。コロナでリモートになり世の中の観葉植物の需要は急増してるそう。

 

大きな観葉植物に憧れ、よく育つと人の背丈くらいになりそうな観葉植物を7つくらい買ってしまった。植物を育てた経験がない人は多分大きいのを買うんだろうけど(大きいのは1万円とかするのもある)、一応自分は育てられるからまだ小さい300円くらいのもを手塩にかけて育てていく。

 

よく考えずに買っちゃったけど、今はまだ20cmくらいで可愛らしいけれど、これがどれも大きく成長したら、どうしよう?

 

大きな観葉植物は部屋に一つあるくらいできっとちょうどいいのだろうけど、もしも7つの人の背丈ほどの観葉植物があったら。ジャングルみたいになっちゃう。

 

まー、その時に考えよう。

 

 

 

春〜秋は何かしらの花が庭に咲いているから、それを切花にして部屋に飾っている。でももうすぐ冬が来て飾れるような花がなくなるから花のサブスクを申し込んでみた。月に2回届く2本の花と1本のグリーン。送料込みで一回800円くらい。毎回新しい花が届く。それを目にするたびに心がほっとするとしたら全然安いと思う。冬の間だけ、試してみる。