映画館で半年ぶりに映画【国宝】を観た。他に面白い映画が皆無だったので国宝にしたが、二度目の鑑賞で面白い事に気付いた。
主人公キクオの「悪魔の取引」が破綻していた事だ。キクオは、かつて自分の愛人の娘。つまり隠し子と共に神社にお参りをして、
「悪魔にお願いをした。日本一の役者にして下さい。他には何も要りません」と願った。本作の重要なシーンである。
その悪魔のメフィストとして田中泯演じるマンギク師匠が登場して、メフィストとしてキクオを教導する。
だが、ラストで隠し子の娘と再会して、キクオが褒められた事で、「悪魔の取引」というエピソードが完全に消滅していた。
初回の時は、情報量の多さと感動に押し流されて、「面白かった」としか思わず気づけなかった。
2回目に観て、気づいて
「二度観ても面白い映画だが、悪魔の取引とは何の意味があったのだ? 単に映画を盛り上げる為の小道具にしかなってない」
という事実に気づいてしまった。
ネットでもこの「悪魔の取引が破綻しているぞ」と批判されていた。
だが、こうしてハッピーエンドで映画が終わらないと、この映画はここまでの大ヒットは無理だっただろう。
映画として、より面白くするなら、隠し子の娘がキクオを憎み、呪い、それでもキクオは微笑を浮かべて、
「ありがとう、お前と母親の犠牲のお陰で望みが叶った」
と言えば完璧だった。
狂った怪物として、マンギク師匠に匹敵した存在となり、本当の悪魔になったキクオを観客は目撃できた。
だが、それだと後味の悪さとバッドエンドで映画が終わる。
観客は主人公と同化して映画を観たいので、これで良かったと思う。私の提案だと映画として面白くはなるが、リピーターが激減する。バッドエンド映画を二度みたいと思う観客は少ない。
ネットで「悪魔の取引が破綻している」という批判は、正論だが、おそらく監督も脚本家も懊悩して迷った挙げ句に、
「悪魔の取引を不完全にしてでも、観客が面白いと感じる様にしよう」
と決断したのだろう。
脚本家が、文春のインタビューで
「原作小説をここまで単純な物語にして良いのかという苦悩がありました」
と語っている。
だが、単純な物語にしないとそもそも映画にならない。
個人的には、単純な物語にして、最高レベルの演出と編集、脚本にした事は英断であり、私は国宝は傑作だと思う。
まだ観ていない人は是非劇場で観て欲しい。
それと、私は映画【国宝】は、おそらくアメリカのアカデミー賞でオスカーを取ると予測している。
エンタテインメント映画として傑作なだけでなく、外国人に受けるテーマだからだ。
非常に楽しみだ。