もとは、長崎のタクシー会社のお嬢さんだったと父は言っていましたが
嘘をつくので信憑性はいまひとつかもしれません。
当時は18歳くらいだったから、幼い兄弟たちを連れ、怖い思いをたくさんしたことでしょう。
満州に残した幼い兄弟もいたかもしれません。
どんないきさつかわかりませんが、
母が入院中、姉にあたる お姉ちゃんが岡山から何度か来てくれましたが
母は、知らない!と一度も認めなかったそうです。
お姉ちゃんはかわいそうだけど、
母は父と私たちの関係を崩したくながったのでしようか。
結婚していたのか、未婚の母だったのか。
苦悩を抱えていたみたいです。
長崎大学病院に入院して、末期の癌だったので
今のように痛みの治療も進んでなくて、子宮癌の痛みをなくすために
下半身の神経を切り下半身不随の状態での闘病となりました。
父が下の世話、洗濯すべて引き受けていました。
母の死後50年経ったころに、叔父から聞いたのですが、叔父がお見舞いに行ったとき母が
「○○さん(父)はとても良くしてくるて、私は幸せなんです‼️」と言ったそうです。
あんなに暴力やひどいことされている父に感謝していたのだ、と衝撃でした。
そして、長崎の暑い夏の8月末に母は39年の人生を終えました。
そのあと驚くことが起きました。
霊安室にいた母が息を吹き返したのです。
うめき声を発しながら、目を見開き、何かを訴えようとしていたのです。
その場にいた、父とカトリックのシスターがマリア像を見せながら
「子どもたちのことは心配しなくていい!安心しなさい‼️」と言うと
目を覆っていた白い濁った膜といっしょに涙を流しながら本当に息を引き取りました。
嘘ばかりの父でしたが、シスターがいらっしゃったので本当のことだと思います。
6歳と4歳の愛しい子どもたちを
あのような父に託す無念さでしょうか。
わたしたちにも愛情深い母でしたので。
