シュタイナーのバイオグフィーワークを学び始めてまる4年たち「合宿しましょうよー」と折に触れていい続けた結果、先生が合宿の計画をしてくれたのだ。

泊まったのは、小田急線沿線のとある修道院(!)
私は妄想でいっぱいだった。
朝は鐘の音で起床するのか?
賛美歌の声が聴こえるのか?
お祈りに遅れる修道女がいるのか?
(完全にサウンドオブミュージックの影響)

山の中腹にある施設でマリアさま像と80代のシスターがが迎えてくれた。(シスターは9人とのこと)
タクシーから降りたとたんに包まれる清涼感。
新茶やフレッシュハーブティーを口に含んだときに感じる清清しさ。
館内も質素ながらもチリひとつなく整えられ、それでいて温かみを感じる。
食事は「昭和のおしゃれな家庭料理」といったところか。(意外にボリュームもあり)
愛情を持ってお料理してくださっていることが伝わって来た。
朝食のパンがケースに入っているのも素敵だった。
食後は自分たちで洗い物をする。

さて、バイオグラフィーワークとは…
シュタイナーは人生を七年周期でとらえているのだが(第1七年期は0から7歳、第2七年期は7歳から14歳、というように)
それぞれの年代の成長段階の中で何が自分に必要なのか、何が課題なのか、またその頃あった出来事から何が見えてくるのか、自分がどのように生きたら良いのか模索する学びである。
そして、芸術活動(クレヨン画、水彩画、粘土など)を通してより鮮明に記憶がよみがえったり、グループで気づいたことをシェアすることでお互いの人生に対して愛情や敬意を持つこともできるのだ。

①まず、第1七年期のワークは、
「4、5歳の頃、好きだった遊び、あるいは場所の絵をクレヨンで描くこと」

私は、近所のゆきこちゃんと一緒にお人形遊び(リカちゃん)をしているところを描いた。

②第2七年期は
「家族と一緒に過ごしたことを粘土で造形する」

私は、家族4人で中華料理店に行って食事をしているところを創った。
ところが、この粘土は油粘土と違ってたいへん堅く、ただでさえ疲れていた私から力を奪って行くのだった。結果、重要人物の父と私しか作れず。

③第3七年期は
「17から19歳頃、真理を見つけたり、気づいたこと。あるいは、大人の嘘に傷ついたことを水彩で描く」

私は、18歳のとき、初めての幼稚園実習で汗だくになりながら砂場の砂起こしをしている姿(体力がないので重労働)を描いた。

この絵を描いていて、この実習を昨日のことのようにを思い出した。
できないことばかりで怒られていたこと、朝暗いうちに家を出たこと、指導してくれた先生方のようす、子どもたちとの楽しい出会いと別れ、私は良い先生になれるのか?という不安…

18歳の自分がとても愛おしかった。

そうか!
私は良い先生になりたかったんだな。

今、いろいろあって保育士の仕事を辞めてしまったけれど。

この夢を思い出すことができて、良かった。

みんなから
「今は身体を休めるときなんだよ」
「仕事を辞めたからってすぐ元気になるものじゃないんだよ」
といたわってもらった。

ありがとう。

夜はシングルベッドでジュンスを聴きながら眠った。
途中にトイレに起き、なかなか寝付けなかったのでジュンスの顔つきタオル(サンクスギビングの)を枕カバーの上からかけて「ジュンスぅ…」とつぶやき眠った。
いつだってジュンスと共に…修道院でもね。

あっ、そうそう、妄想は妄想でしかなかったのだった。
チーン…