自分らしく輝きたい女性のための

 

美メイクアップ×肌質改善の専門家

 

Keicoです

 

 

私の想いと、起業してから現在に至るまでを

お話しようと思います

 

 

 

私は現在、独立した子供達と離れ2023年

1月から52年住み慣れた故郷を離れ、住み

たかった憧れの土地で、悠々自適な一人暮

らしをしています

 

 

 

32歳の時から2年間の厳しいメイク学校で

ひたすらメイクだけを学び、現在20年が経ち

気が付けば3,000人とゆう方へのメイクと

指導をし、現在に至ります

 

 

 

今でこそ、生徒さまや大勢の人の前でメイ

ク講義で話をする仕事をしていますが、過

去の私は全然違いました

 

 

 

何をするにも、他人の意見が正しくて、自分

の考える事は間違っている…自分に自信が

全くなかった

 

 

 

「どうせ私なんて…」

「できない…どうしたらいい?」

 

 

 

なかなか、最後までやり通すことができな

い諦めクセもあり、途中で投げ出すことも

多くありました

 

 

 

そんな私が何故、好きな仕事をして、現在

に至るのかをお話させて下さいね

 

 

 

 

好きを仕事にするきっかけ

 

 

 

先にも書いたように、私は自信が無く、人

の意見にばかり左右され、人に頼ることで

安心して生きてきました

 

 

 

特に、結婚してからは私の人生の舵取り

は主人がしてくれるものだと疑わず、守ら

れた専業主婦をしていました

 

 

 

 

幼い頃は、厳格な母親の躾に監視されな

がら母親の顔色ばかりを伺う幼少期でし

 

 

 

監視が厳しすぎて反抗すらできず中学に

なり、自由に遊ぶ友人を隣に親を恨んで

いた時期も長かったのです

 

 

 

成人するまでも、両親のレールに敷かれ

た人生を歩み、美容師になりたかった夢

はあるものの、親の考えに逆らってまで

は進むこともできず…

 

 

 

親が進める大企業へ就職し、プログラマ

ーとしての仕事へ就きました

 

 

 

就職した先で出会った「ビビビッ」ときた

上司が主人となる人なのですが

 

 

 

結婚願望が強かった私は、23歳で結婚

25歳で娘を出産しました

 

 

 

まさに理想の旦那様と結婚し、子供にも

恵まれ、人生で感じたことが無い幸

せな毎日を過ごしていました

 

 

 

しかし、この上ない幸せな結婚生活も

そうそう長くは続かず…思ってもいない

事が、人生を大きく変えていく事になります

 

 

 

 

まだ、娘が生まれて半年経ったころ

主人の身体に異変が見つかり

手術をすることに…

 

 

 

1回の手術は成功し、その後は幸せな

生活を送りながら、年子で生まれた

息子が生まれた翌日、主人の病気の

再発が告げられました

 

 

 

まだ上の娘も1歳半、下の息子も生ま

れたばかりの時に、2回目の手術と

なりました

 

 

 

恵まれたことに、両家の両親も元気

で居てくれたことがなにより有難か

ったのですが

 

 

乳飲み子だった息子を抱えながらの

看病と、病気の再発がいつ襲ってく

るのか先の見えない恐怖に…

 

 

 

神様はこの世に存在しないんだ

 

 

 

本当に幸せから地獄に転落したのも

つかの間3回目、4回目の手術と抗が

ん剤治療にどんどん弱って行く主人と

 

 

 

まだ小さなわが子を育てながら…この

先の見えない恐ろしさにどうやって過

ごしていたのか…

 

 

 

今でも感情にフタをしたまま思い出す事

も辛い20代後半でした

 

 

 

子育ても、人生の舵取りも全部主人の

意見が正しくてその通りに生きていた

のですが

 

 

弱って行く主人を見ながら、そうもいか

ない覚悟が段々できるようになって

いきます

 

 

 

余命宣告を受け止めた時、私の覚悟

がきまりました29歳の時でした

 

 

私が一人で子供を育てて行く!!

 

 

結婚生活のほとんどを、闘病生活で

過ごす事になりましたが

 

 

 

主人からは沢山の経験と、愛情を感

謝しきれない程いただきました

 

 

 

最期まで家族の為に諦めず生きようと

した懸命な姿は今でも胸に焼き付いて

います

 

 

 

娘のランドセル姿を見る事無く、主人

は永眠しました

 

 

 

覚悟はできていたものの、子供の前で

は悲しむ姿を見せない様に

夜になると、不安と切なさで毎晩泣いて

過ごしていました

 

 

 

しかし、周りの家族、友人、ママ友には

今でも感謝しきれない程助けられ、

段々元気になっていきます

 

 

 

亡くなって1年が過ぎた頃、主人の

パソコンから「遺言」が見つかります

 

 

 

いつ書いてくれたのか…それを思うだけで

震えと涙が止まりませんでした

 

 

 

そこに書かれていた内容の中に

子育てのロードマップの様なものが

書かれていました…

 

 

 

「敬子が本当に好きな仕事を見付

けて欲しい。何年掛かってもいい!

それを仕事にして、楽しむ姿を子供

達にみせてあげて欲しい…」

 

 

 

主人の全ての愛がこの文章にまとめ

られていました

 

 

ここから、私の人生は大きく変わっ

て行くことになります

 

 

自分の好きな事って何だろう

 

 

独身時代から会社員としていか働い

た事がなかった私にとって、好きな事

で仕事をしていく事が、想像もつきま

せんでした

 

 

 

丁度何を仕事にするのか?探して

いる頃、IKOOさんが世に出始め

メイクで大ブレイクした時でした

 

 

 

一般人がメイクで激変した姿を見る事

で、毎回ワクワクが止まらなくなって

いました

 

 

 

これが職業になるのなら、自分も綺麗に

なれて、人も綺麗にできるって凄い!!

 

 

 

夢は膨らむばかり!そこから色んなメイク

スクールの資料集めが始まりました

 

 

 

どうせ習うなら!骨格からしっかり学べ

プロ養成カリキュラムが整った、多くの

メイクアップアーティストを排出する

本格的に学べる学校に入学しよう!!

と決意しました

 

 

 

人生で初めて、誰の意見も聞かず

人生の舵取りをした第一歩です

 

 

 

ワクワク目を煌めかせていたのも

つかの間…待っていたのは、自分との

闘いの日々でした…

 

 

 

師匠との出会い

 

 

生れてはじめて、技術の厳しさと仕事

とは…人として…全てが今まで

経験したことのない自分と向き合う

世界

 

 

 

技術なんて、直ぐに身に付くものだと

簡単に考えていた入学前

 

 

 

技術は、量をこなして行くことでしか

質は上がらず…愛はあるけれど、

厳しいメイクの師匠から何度厳しく

導かれたことか…

 

 

 

なかなか上達しない自分の不甲斐

無さに悔し涙を何度流して来たか

分かりません…

 

 

 

時間があれば、生徒同士の顔を

貸し借りしての自習、知り合いに

お願いしての自習…

 

 

 

叩き込まれた2年間…本当に怖かった

けど一番よろこんでくれたのも師匠

でした

 

 

この師匠や学校に出逢っていなけれ

ば仕事に対しての意識、お客様に

対しての心の尽くし方は

育ってはいなかったと思います

 

 

 

学校に通いながら、ブライダルメイク

ショーや舞台、撮影メイク、外資系

化粧品のポップアップ…本当に沢山

の現場での経験をさせて頂きました

 

 

 

厳しい審査の元、念願のIKKOさんと

のショーに出る夢も叶うことができました

 

 

 

ブライダルやショーのメイクお声を

どんどん頂くようになり、仕事も軌道に

乗り出したころ「高校のメイクの講師」

のお仕事が舞い込んできます