速報
ブルーインパルス2日連続で見ました。
7/12
家族は仕事で1人休日でしたので、
映画→万博記念公園【ブルーインパルス】→働く娘の店に行き、娘と帰宅デート。
7/13
伊丹空港で仕事。
休憩中にブルーインパルス
転職しました。
今回は私【トミチン】の近況アレコレです。
初めて、娘ネタでなく私のネタです。
〔久しぶりなので、長文になり申し訳ありません。〕
3月31日で、34年勤めていた会社を嘱託定年退職し、4/1より伊丹空港で仕事をしてます。
また、記念にと万博のバイトにも週1程度に行くという、新しい働き方改革にチャレンジしております。
伊丹空港or万博にお越しの際は、お声かけください。
🟦4月1日から働く
娘との会話から
👧3月にお仕事辞めて、次なにしますか?
と、娘から素朴な質問に対して、
→よーし!働く娘に親父も頑張って働くゾ!
との思いで、転職活動で
ハローワーク訪問やネット検索しまくりで、
履歴書作成、面接等チャレンジチャレンジしました。
65歳という高齢者の転職は、かなり厳しい活動でしたが、
自閉症のハンデに負けないで、毎日毎日しっかり
お仕事する娘には負けないぞ!
で、なんとか4/1から伊丹空港で働くことが
できました。
で、
娘に
👨4月1日から、伊丹空港で働くことになりました。
と、娘に報告しました。
娘からは
👩お昼ご飯食べれますか?
でした。
娘としては、空港は飛行機に乗るところで
お仕事する場所ではない。と思ったみたいです。
ということで、
サラリーマン人生【43年2ヶ月】
空白日なしで業務しょう!継続中です。
1982年4/1〜1993年3/15 ⚪︎⚪︎百貨店
1993年3/16〜2025年3/31 携帯通信会社
2025年4/1〜伊丹空港
🟦伊丹空港&万博バイト
伊丹空港では、目の前でJAL機見ながら、ウロウロ業務。自宅から徒歩で45分と近く、毎日飛行機見ながら仕事してます。
18歳迄は池田市に在住し、伊丹空港近くの小中学校に通っており、日々飛び立つ飛行機みながら
うるさいな!と学んでました。
まもなく66歳になりますが、生まれ育った地元の伊丹空港で働くとは、なんか縁がありました。
今の自宅から伊丹空港空港迄、徒歩45分と近く、
健康第一で過ごしております。
【今月の平均歩数は18000歩】
また、記念にと週1程度、万博で手荷物検査のバイトをしてます。
バイトは7回くらい行きましたので、会場内はだいたい詳しくなりました。
個人的には、人気パビリオンよりも
海外パビリオンの個性的な外観や海外の方々との交流にワクワクしております。
また、夜の万博はお勧めです。
万博の写真何枚か添付いたします。
🟦娘
娘もお仕事始めて、いよいよ13年目に突入しております。担当業務ではベテランさんです。
そんな、お仕事頑張る現在の娘の悩みは、
私だけ〇〇です。と何かにつけて、
私だけ〇〇になります、します、です。
他の人は〇〇になりません。しません、
と顔を合わせたらお話ししてきます。
【娘から自発的にお話することは、今も少なくて、
会話を始めるタイミングは、話かけて初めてコミュニケーションができる娘です。
娘から、〇〇です。とお話できることは、娘なりに成長かな?と理解している親父です。】
👧私だけ、お昼ご飯食べるの15分かかります。
【職場の皆さんは10分程度】
👨15分は普通ですよ。遅くないです。
👧私だけ、風邪ひきます。
風邪ひかない人いますか?
👨風邪はみーんなひきますよ。
と、こんな会話を日々しております。
昔は、私だけ、私だけ!と
困った顔でしたが、
彩だけではないよ。と話すと
笑顔笑顔の娘。
親父との会話で、
ゆっくりゆっくり成長してるかな?
です。
で、最後に
本日5/20は
私の66歳の誕生日です。
娘からのメッセージは
お誕生日おめでとう。
年とっても病気しないでください。
長生きしてください。
ゆっくりゆっくり成長して、
お仕事頑張る娘の為にも
健康第一でチャレンジチャレンジだ!
と、誕生日に誓う親父でし
お待たせいたしました。
2/21の投稿の続きです。
🟢娘の気持ちを相手に、話すことが、できるか
どうか?です。
それが、いつ言えるか?
今日か、明日か、来週か、1ヶ月後か???
で、なんと翌日に
娘は〇〇さんに気持ちを伝えたようです。
👩静かにしてください。と言ったこと
すいませんでした。
机叩いたこと。すいませんでした。
私、ペラペラ喋れないから、イライラしました。
すいませんでした。
と、謝ることができたようです。
〇〇さん
気にしなくていいよ。
怒ってないからね。
👨お話ししてどんな気持ちですか?
👩スッキリしました。
イライラしないです。
自分がイライラした事を
〔自閉症特有のパニック〕
相手に謝ることが、できるとは!
ゆっくりゆっくりゆっくりと成長してました。
お話しできない娘。
おうむ返しの言葉しか言えない娘。
ゆっくりゆっくりと、いや!いいよ!わからない!
を言い出した娘。
〇〇した。とできなかったことを話しだし、
高等部あたりから、単語を使って短くお話しが
出来始めました。
仕事しだしても、やっと、
自分の気持ちをを言葉で
しっかりと、謝る話が、出来たようです。
お話ししましょう!
でやっと言えた娘。
自然にお話しするには、
まだまだですが、
ゆっくりゆっくりゆっくりとお話の種類が増えてきているようです。
コミュニケーション苦手娘が、
ゆっくりゆっくりゆっくりと成長してる娘に、
ワクワクする親父です。
⭐️以下2/21の投稿の抜粋です。
🟩昼の休憩室で娘が食事していた時の出来事。
👩ペラペラ喋っている〇〇さんに、
静かにしてください。
と言いました。
机をたたいたり、何回も言ったので、
〇〇さんに怒られました。
👨ただ、静かにしてください。だけでは、彩の気持ち〇〇さんには、伝わらないかな?
👩私は、ペラペラ喋れないから、大きな声でペラペラ喋る人は、羨ましいです。
私は、ペラペラ喋れないからイライラします。
👨〇〇さんに、彩の気持ちをお話ししましょう。
と提案。
自分の気持ちを伝えて、まずは、謝ることが、
できるかどうか??チャレンジです。
それが、いつ言えるか?
今日か、明日か、来週か、1ヶ月後か、
わかりませんが。
久しぶりに娘のアレコレとトピックス【2/21】
娘32歳、自閉症ですが障害者雇用で
勤続14年目。毎日毎日、スーパー農産部門で、
品出しやカットフルーツを作っております。
ゆっくりゆっくりゆっくり成長する娘の
アレコレです。
今朝、娘と久しぶりに会話しました。
2人とも出勤前のバタバタしている時に。
(いつも出勤前の忙しい時に、何か言ってくる娘。今日はたくさん会話しました。)
娘とは、5分も会話が続くことは、少ないんですが。
〔忘れないようにと、記録で書いてます。
少し長いけど、読んでください。
ゆっくりゆっくり少し成長です。〕
🟩昼の休憩室で娘が食事していた時の出来事。
よく、娘から大きな声で皆んなペラペラ喋ってます。私は、ペラペラ喋れないから、イライラします。と、日記に書く娘です。
ペラペラ喋っている〇〇さんに、
静かにしてください。
と言いました。
机をたたいたり、何回も言ったので、
〇〇さんに怒られました。
〔当然、一度にこんなには喋れないので、
一言一言を確認するとこんな感じです。〕
で、娘への回答。
👨そっか、静かにしてください。
と、言えたんだ。
と、イライラした気持ちを言葉で言えたことに
びっくりです。
👨そっか、怒られたんだ。
休憩室でお喋りすることは、悪いことでないからな。仕方ないな。
👨ただ、静かにしてください。だけでは、彩の気持ち〇〇さんには、伝わらないかな?
👩私は、ペラペラ喋れないから、大きな声でペラペラ喋る人は、羨ましいです。
私は、ペラペラ喋れないからイライラします。
(当然、こんなに一気に喋れませんが、
まとめると、こんな感じです。)
で、とっさに、
👨〇〇さんに、彩の気持ちをお話ししましょう。
と提案。
👨〇〇さんに、静かにしてください。と何回も言ったことを謝りましょう。
お話し練習しましょう。
昼休みに、何回も静かにしてください。と言ってしまいすいませんでした。
私は、ペラペラ喋れないので、ペラペラ喋る人いるとイライラします。
イライラしてすいません。
私は、喋りたいけど喋れない私にイライラします。
と、彩の気持ちを〇〇さんにお話ししましょう。
何回も静かにしてください。や机を叩いたことは、誤りましょう。
👩はい、わかりました。
何回も言ったり、机たたいたりしたこと
あやまります。
〔こんな娘にとって、こんな難しい会話、
果たしてどこまで、娘の言葉で
〇〇さんに言えるか?チャレンジです。〕
〇〇さんは、普段は娘のことを理解して頂き、
よくしていただいてる方で、娘も大好きな方の
ようです。が、よほどお話しに夢中になり
盛り上がっていたんでしょう。
そんな時に、娘がイライラしたようです。
娘に、どんなお話ししてたのかな?
と、聞くと、会話の内容は
わかりません。とのことでした。
出勤前のバタバタしてた時に、
娘とこんな会話をしました。
久しぶりに娘とたくさん会話ができました。
静かにしてください。
と言えた娘にびっくりです。
が、
ここからが、チャレンジです。
自分の気持ちを伝えて、まずは、謝ることが、
できるかどうか??です。
娘の気持ちを相手に、話すことが、できるか
どうか?です。
それが、いつ言えるか?
今日か、明日か、来週か、1ヶ月後か、
わかりませんが、
また、娘にどうだったか、
聞いてみようと思います。
ではでは、長文にお付き合い頂きありがとうございます。
久しぶりに、たくさん娘と会話でき、
ゆっくりゆっくり成長する娘に、
ワクワクする親父でございます。
で、
娘から、ボールペンの替芯を、買ってください!と頼まれる親父です。
お気に入りボールペンをずーっと利用しており、
しっかり書いて、コツコツとボールペンインクを減らす娘です。
書いている内容は、天気や仕事のことが多いです。
お話しは!、まだまだ苦手ですが、
コツコツと日記を書き続けてます。
🟢娘目線でAIが書いた、娘と親父の成長小説
四つ目です。
『ゆっくりと咲く花』
1992年小さな命が誕生した。両親は喜びに包まれながら、その子を彩と名付けた。しかし、私の成長とともに、両親は何かが違うことに気づき始めた。
私は言葉を発することができず、周りの人々とコミュニケーションを取ることが難しかった。私が自閉症であることが分かった。両親は戸惑いながらも、私を全力で支えることを決意した。
幼少期:特別な支援の始まり
私が幼稚園に入園する頃、両親は支援施設を探し始めた。そこで、私は同じような困難を抱える子どもたちと過ごすことになった。施設のスタッフは、私の特性を理解し、私のペースに合わせた支援を提供した。
両親は、こだわり??による泣き虫な娘で、夜は大声で泣き叫ぶので、誰もいない夜の公園で私が泣き止むのを待つ日々もありました。
一方、私の父は仕事に追われる日々を送っ
ていた。家計を支えるため、毎日仕事仕事で、私の養育は主に母に任せきりだった。しかし、父の心の中には常に私のことがあり、できる限りの支援をしたいという思いが芽生えていた。
小学校時代:新たな環境への適応
私が小学校に入学すると、両親は特別支援学級のある学校を選んだ。1年生から3年生まで、私は特別支援学級で学んだ。教師たちは、私の個性を尊重しながら、基本的な生活スキルや学習能力の向上に力を入れた。
ただし、個々のこだわりによるパニックは継続中でした。
4年生になると、両親は私のためにより適切な環境を求めて引っ越しを決意した。新しい地域には、自閉症児に対する理解と支援体制が整っている支援学校があった。この決断は、家族全員にとって大きな変化をもたらしたが、私の成長のためには必要不可欠だった。
ゆっくりゆっくりとこだわりによるパニックは減ってきたかな??でした。
高等部:才能の開花
支援学校の高等部に進学した私は、徐々に自分の興味や才能を見出し始めた。学校で初めてドラムに触れたとき、私は目が輝いた。リズムを刻むことで、言葉では表現できない感情を表現できることを発見したのだ。
ある日、学校の発表会でソロ演奏の機会が訪れた。私は緊張しながらも、一曲をしっかりと演奏し切った。観客の拍手が鳴り響く中、私の顔に小さな笑みが浮かんだ。
水泳では、最初はぎこちない動きだったが、父の根気強い指導により、少しずつ泳ぎ方を習得していった。25メートルを完泳したときの達成感は、自信につながった。
運動会では、思いがけない役割が与えられた。司会進行役だ。たどたどしい言葉ではあったが、私は懸命に役目を果たした。この経験は、私のコミュニケーション能力を大きく向上させる契機となった。
日記との出会い
高等部の時期、父は私とのコミュニケーションを深めるため、日記を書くことを提案した。最初は「何時に起きた」「何時に寝た」という簡単な一行から始まったが、徐々に内容が豊かになっていった。
私は文字を書くことには抵抗がなかったが、読むことは苦手だった。それでも、日記を通じて自分の思いを表現する喜びを見出していった。毎日欠かさず日記を書き続ける私の姿に、父は感動と感謝の気持ちで胸が一杯になった。
就職と社会への一歩
2010年、私は支援学校を卒業し、地元のスーパーマーケットで障害者雇用枠での勤務を始めた。職場での理解者は少なく、上司からの厳しい言葉に涙することも多かった。しかし、私は「店内では泣かない」という自分なりのルールを作り、懸命に仕事に取り組んだ。
年月が経つにつれ、私の真面目さと努力が認められるようになった。棚の整理や商品の陳列など、私にしかできない仕事が増えていった。2025年には、店舗になくてはならない存在として認められるまでに成長した。
家族の絆
2006年、おじいちゃんが認知症を、おばあちゃんが脳出血で倒れるという出来事があった。この出来事をきっかけに、父は仕事を減らし、家族との時間を増やすことを決意した。私の養育にも積極的に関わるようになり、笑顔の大切さを教えながら、コミュニケーション能力の向上に努めた。
おばあちゃんが亡くなったとき、私はおばあちゃんで「ありがとう」とはっきりと言葉を発した。自閉症の私を心配し続けてきたおばあちゃんに、最後にしっかりと感謝の言葉を伝えることができたのだ。この瞬間、みなさん涙を流しながら、私の成長を実感した。
32歳の私:自己表現の芽生え
32歳になった私は、ゆっくりではあるが確実に自分の思いを言葉で表現できるようになっていた。「私だけ失敗します」「私だけ怒られます」「私だけ食べるのが遅いです」「私だけペラペラ喋れません」と、自分の不安や悩みを父に打ち明けるようになった。
父は優しく諭した。「みんな一緒だよ。みんな失敗するし、怒られることもある。食べるのが遅い人も、たくさん喋れない人もいるんだ」と。私は「失敗0の人はいますか?怒られない人はいますか?」と質問し、父は「0の人はいないよ。みんな同じなんだ」と答えた。
この会話は、2日に1回のペースで繰り返された。幼い頃には想像もできなかった言葉のキャッチボールが、今では日常的に行われるようになっていた。
未来への希望
私の成長は、ゆっくりではあるが着実だった。漢字検定トリルでは準1級までチャレンジし、数字と漢字への興味は尽きることがなかった。日記は1ページびっしりと書けるようになり、365日欠かさず続けている。
父は、私との会話の中で「嫌なお話より、良かったお話をしましょう」と提案するようになった。まだ、良かったお話を見つけるのは難しいが、それでも少しずつ前向きな話題が増えてきている。
私の人生は、ゆっくりと咲く花のようだ。周りの人々の愛情と支えを受けながら、一歩一歩成長を続けている。父は、私の笑顔が絶えることなく、楽しい会話ができる日が来ることを願いながら、毎日を過ごしている。
ゆっくりと、でも確実に。私の人生は、まだまだ続いていく。そして、その歩みは周りの人々に希望と勇気を与え続けている。私の未来は、きっと美しい花を咲かせるだろう。