これが最後です。GW以降の話を書いていきます。

 

GW明けに初めての面接。インターンも説明会も行ったSIer。正直受かるやろと舐めてしました。面接練習もろくにしないで挑んだところ思ったよりうまく答えられました。通ったかな?と思いましたが、3日後祈られました。この時、志望度も高くない企業だったこともあり、落ち込むより初めてお祈りメールを貰えた喜びの方が勝りました(笑)祈られた~、やばっ就活してるわ~みたいな感じで。

 

数日後、面接はそんな甘くないという事実が身に染みてきます。それが恐怖という感情になって襲ってきます。5月13日の深夜1時。次の日はあるメーカーの面談がありました。”やばい、面談で何言えばいいんだろ。会社のことあんまり調べていない。でもどういう情報を調べればいいんだ。情報にまみれているコーポレートページのどこに注目すればいいんだ。分からない。” こうした感情からパニック状態に陥りました。パソコンで企業情報を調べたいのに吐き気が止まらない。実際吐きました。緊張で吐くってこういうことなのだと知りました。あの夜は相当きつかった...。面談が怖すぎました。誰かに気持ちを吐くべきでした。一人で抱え込んでしまい、苦しかったです。

結局その面談はほぼ雑談でした。他の人は普通に面接で聞かれるような質問を受けていたらしく、僕の運が良かったらしいです。

 

持ち駒がとにかく少なかったので、そこからは説明会の予定を増やしました。それもSIerに絞って。コツコツ努力するのが自分には合っているのかなと思い、SIer一本で勝負すると決めました。←この決断が大きな間違いでした...。

その後4回SIerの説明会に行きました。その過程でSI業界の良くない点や勘違いしていた点に気づきました。良くない点が客先常駐についてです。客先常駐のことは知っていたのですが、配属によってはスキルも身に付かないような単純テスト作業を1年も2年もやらされるとのこと。ただ時間を消費するだけの地獄ですね。しかも、常駐先からの扱いも酷く、長時間労働でもある。ん~、給料も低めなんだよなー。また、勘違いしていた点が文系SEはコミュニケーション能力が求められること。プログラミングをコツコツやるのに自分の長所を活かせると思ったのに...。迷いが生じました。”SIerも合ってないのか?こんなに説明会にも行って。じゃあどこが合ってるんだ?” また業界選びの段階まで戻りました。この葛藤の起きた日が5月26日です。他の人は就活が終わらせようとしています。それなのに自分はいつまでもこんな低レベルな問題につまずいている。”あああああ俺は何をやりたいんだ。どんな仕事が合ってるんだ。なりたくもないSEのために時間もたくさん使ったよ。もう6月だよ。俺はこのまま就活失敗するのか。就活2年目でこの時期に内定持ってない人、そんなの絶対採用されないじゃん。終わりだ。このまま採用されず派遣社員にでもなるのか?将来生きるためだけに働く生活を送るかも。” そんなぐちゃぐちゃな負の思いが頭を埋め尽くし、かき混ざって思考停止に陥りました。

 

その日、家族(母、父、妹)に何になりたいか分からないという話を真剣に話しました。流石に不安な気持ちを吐き出さないと潰れてしまうと思いました。このまま貯めこんでは精神が崩壊する。そんな予感がしたのです。みんな真剣に聞いてくれました。真剣に答えてくれました。このとき、実家暮らしで本当に良かったなと心の底から思いましたね...。一人暮らしだったら取り返しがつかないこともあり得たと思います。

僕は就活が全然順調にいっていないことを家族にばれるのを恐れていたので、家では就活の話を殆どしませんでした。結果としてこの行為が自分の首を絞めることになってしまったのです。

 

この日を境に気持ちがすーっと軽くなって不安で押しつぶされそうってことは無くなりました。相談した次の日、両親が心配してくれたのでしょう。”この企業はまだ採用やってるぞ”とか”週休二日制だったらいいね~”といったメールを送ってくれて、感謝の気持ちと駄目な息子で申し訳ない気持ちが押し寄せましたね。でもこのとき、本当に良い親に恵まれたなとも思いました。

 

6月初旬から中旬にかけては面接ラッシュでした。中堅SIer4社にとメーカー1社。面接ってとても遠い存在に感じていました。何枚もの壁を突破しないと受けられないもの。でもエントリー企業を増やして全然そんなことないのだと分かりました。もっと気軽にいろんな業界の企業にエントリーしておけばよかった...。

6月初旬から中旬にかけての面接は集団3回と個人2回でした。まあ全然通りませんでした。多分面接官は、就活2年目のこの時期にこの面接力は地雷人材なんじゃないかと思っていたでしょう。正解ですよ^^。面接が上手くいかず5月13日には、もの凄い不安感に襲われました。その日は個人面接があったのですが落ちた雰囲気がありました。それまでに集団面接にも2回落ち、自信をすっかり無くしていました。家に帰って両親の姿を見ると涙が止まらなくなりました。応援してくれる親への申し訳なさと情けなさ、将来の不安などいろんな感情があります。トイレで枯れるまで泣きましたあの日は。

 

6月18日。メーカーの最終面接です。前日に社員さんに連絡を取ると最終面接はほぼ通るとのこと。それを聞いて当日は謎の自信に満ち溢れていました。正直内容はボロボロでした。まあ落ちたら落ちたで就活をまだまだ続けようって感じだったので気にしていませんでした。

6月25日。新たにエントリーした大手物流会社の説明会が終わってスマホを見たらメーカーの最終選考結果のメールが届いていました。鼓動が一気に早くなったのを覚えています。一瞬、すぐ見るかorカフェで落ち着いて見るで迷いましたが、手が勝手に動いてマイページにログインしていました(笑)メッセージボックスを開き、画面を下にスライドさせていくと赤字で”内々定”の文字が。よっっっっしゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!

自分が内定取れた!社会に必要とされた!もー嬉しすぎました(笑)家族にすぐに連絡しようと思ったのですが、夜にサプライズで言うことに決めました。いつも通りの雰囲気で家に帰り、スーツを着替える。親がご飯食べている前で、内定出ましたと伝える。喜んでくれるというより、安心したように見えました。そりゃそうですよね。この2年間ろくに就活をしない息子を見て心配しきっていたと思います。ご心配おかけしました<m(__)m>

 

それから1週間は就活を続けていたのですが、正直内定を貰ってからやる気の意図がぷつんと切れてしまいました。なので、まだ緩く続けるつもりで、アクティブな就活は終わらせようと決めました。7月2日の話です。長い長い戦いがやっと終わりました。2年間就活というワードが常に心のどこかにあり、焦らされている感じがありました。それが終わるのか~。本当に疲れたよ。

 

僕は今までの人生の中で、就活がダントツで辛く苦しい経験でした。自分で何か行動しないと何も起こらない。待っていても誰も助けてくれない。思ってもいない長所を言わなくちゃいけない。自分を売り込まないといけない。とにかく能動的に行動しないと何も始まらないのです。僕は受動的に生きた+自己肯定感がめちゃくちゃ低いので、就活は本当に大変でした。

また、就活を通して本当に多くの人に助けられました。家族、友達、就活支援センターの人、社会人の方。僕一人では到底乗り越えられない壁でした。人に頼るってあまりしてこなかったのですが、就活を通してそれが必ずしも良いこととは限らないと痛感しました。よく就活は一人でやるなと言っている人がいますが、本当にその通りだと思います。特に、実家住まいの方は家族に頼るべきだとも思います。親は自分が思っている以上に人生経験豊富です。身近過ぎて気づかないかもしれないですが、一番頼りになるかもしれません。僕は家族に一番助けられました。

 

以上が僕の就職活動でした。めちゃくちゃ長くなってしましましたね(笑)2回就活をして辛いことも多かったです。でも結果的に休学したことに対して後悔はありません。自分の人生です。周りに流されるのではなく、自分と向き合うことが大切だと決断をしました。レールから外れることを一番恐れていた僕が、休学するという決断を出来たのは奇跡だと思います。この一年がこれからの人生に良い影響を与えてくれることを信じて、振り返りを締めたいと思います。ありがとうございました。