H27年11月22日
夜中の2時頃固定電話が鳴りました電話

まだ眠っていなかった私は直ぐに受話器を取りました。
「もしもし…。」病院からでした病院
「ご主人の容態が悪くなりましたので、直ぐに病院に来てください。どれくらいで来れますか?」

えっ?えっ?えっ?何でガーン

と思いながらも、30分以内で行くと伝え、着替えながら息子達や実家に連絡しました。開胸手術からまだ1月しかたっていないので、まだ少し痛く動作がトロい私でしたが、30分かからず病院に着きました。

病室に行くと、何と心臓マッサージをしているではありませんか!!びっくり!?

それを見たとたん泣きながら崩れ落ちる私に、医師は「ご主人は心肺停止状態です。処置中は外に出て、他の家族にも早く連絡して下さい。」って。
私は「もうしました。皆向かってます。それより、もう重篤な事にはならないって言ってたのに何で?GICU出て、まだ2日も経ってないし…」

心臓マッサージは力仕事、医師は私と話している余裕はありません。看護師の男の子が横にいるので、代わったとこなのでしょう…又男性看護師が走って病室に入っていきました。交代要員?

私が泣きながら病室の横のデイルームの椅子に座っていると、上の子がやって来ました。息子「オカン、何でそこにいるの?オヤジは?」
私「お父さん、心肺停止やって、何でやろ?外に出といてって言われてんえーん

そこに下の息子も、忘年会中やったと言いながら現れました。息子二人して病室へ、上の子「なんで、オカン外に出すねん、入れたってくれや、心配してんのに!プンプン」下の子、「あっ、お前何笑ってんねん、人が死にかけてんのに、ちょっと出てこいや!!」
何か看護師の若い男の子が何かを笑ったみたい、上の子がなだめますが聞きません。

そこに実家にいた母や私の弟妹、その家族が到着しました。もう20人を越える団体です。そこに、心臓マッサージを交代した医師がやって来て状況説明をしてくれました。

GICUにいた時よりはコンパクトな心拍数とか表示する機械を取り付けていたが、急に停止し心肺停止状態に陥ったのでマッサージをした。巡回時には特に異常はなかったとの事。先ほどの「もう重篤な事にはならないって言った」とか再度話をしましたがそれは、担当医師とのやり取りなのでわからないと。とりあえず自発呼吸しはじめたが心臓がかなり弱っているので、時間の問題だと。そこに、担当医師が呼び出されたようでやって来て、
「言い方が悪かったかも知れないけど…状態が悪いのは最初からです。とりあえず今から再度GICUに戻します。」って。

GICUに落ち着いた所で、実家の皆は引き上げて行きました。残った息子や私に担当医師からの話が…

子供が海なんかで溺れて、心肺停止の状態になった時なんかには、急速に脳を冷やして、ゆっくり時間をかけて戻せば意識が戻るかも知れないが、うちの主人は肝心の心臓が通常の1/5位しか機能してないからもう無理みたいな話をされました。

たまたま運ばれた病院が、心臓メインの病院だったので、今まで持ったのかもしれませんが、もう大丈夫!って思っていて、からの心肺停止なので私だけでなく皆もスゴいショックでしたえーん

主人は、悪性リンパ腫を患い、キツイ抗がん剤を打ちました。最初は11年前の55才の時に、2度目は5年前に。血液系の癌は抗がん剤はかなりキツイ薬らしく、2度目の時には、心臓が弱って来たから最後のクールはしなかったんです。今まで頑張って来たけど、私が心配させて、それが引き金になったんではないかと、これを書いている今も涙が溢れて止まりません。

主人は優しく、ユーモアに溢れた人間が大好きな人でしたから、3連休で、皆が会いに来てくれるのを待っていたのでしょう…
本当に皆に笑顔を振りまいていましたから

意識が戻る事はなく、
平成27年11月23日、Am8時30分、息子二人と私に看取られながら静かに生涯を終えました。お父さん、ありがとうって手を握って言いました。結婚して30年でした。


このくだりが辛く、なかなか進みませんでした。私が癌になり、手術をし、母も癌になり、内視鏡とは言え手術をし、最後に問題のなかった主人が大どんでん返しで亡くなってしまうと言う、あり得ない不幸の連鎖がみぃみぃ家を襲いました。

自分が癌だと告知された時より辛い現実に正気を忘れてしまいそうでした。

でも、私にはまだ母がいます。
私の父は、私が14才の時に交通事故で亡くなり、一番下の弟は私が21才の時に17才で同じく交通事故で亡くなりました。

苦労して育ててくれた母を置いて私はまだ死ぬわけにはいかない!!!

だからタイトル、

「小細胞肺癌?負けない!」

主人が亡くなった時には、かなりペチャンコだったんで時間はかかりましたが、気持ちを強く持って今があります。


私事の話を最後までご覧いただきありがとうございます照れ
私自身の備忘録とも思っておりますので、細かいどうでも良いような話もありお付き合いいただき申し訳ありません。

文章力のない、大阪のおばちゃんですが、今後とも宜しくお願いいたしますニコニコ


そして次回H27年11月⑧は主人のお葬式へと進みます。