私を知ってもらう為に
子どもは4人
長男31歳
長女29歳
次男21歳
次女19歳
旦那は単身赴任中で東京、と言っても1ヶ月1回〜2回位帰ってくるし、東京と愛知は近いもんです🚄
私自身は生まれが関ヶ原
2人姉妹の下で甘えん坊で母が大好きな
娘でした
父は要らないと思ってました
父とは面と向かって話せなかった
小学生の頃は母の影響がかなり強かった
何故か時々変な夢をみた

大好きな母が隣の男の子を連れて出て行くんです
「おかあさん❗️おかあさ〜〜ん❗️」と叫んでも振り向かず…涙流れて
起きた時、汗ばんで起きた時ありました
ずーっと不思議だった…
でも、大学卒業時に戸籍抄本を取ることになり、そこで目にしたのは、母の名前が違ったのです
当然頭の中がパニックです



母に聞けなくて姉に聞きました
「ある程度歳がいかないと、あなたの場合おかしくなってしまうと思ったから黙ってたの」
姉や周りの愛情を私はたっぷり受けていたんです
育ての母にも感謝です
大きな愛で包まれていました

小さい頃は姉がとても上(実際4つ違い)に感じてました、しっかりしすぎてる姉は母に甘える事なく、妹の私も守り生きてきました
知る事で変な夢はみなくなり、納得しました
生みの母が3歳になる前、私が居ない間に出て行った事実

就職して車の運転もするようになり、一度は生みの母に会いたくて、長浜に会いに行きました
親戚のお兄さん?おじさんも来てくれて夕飯も一緒に食べました
とっても田舎のお家で穏やかに微笑んで受け入れてたなぁ〜
実家に帰るってこんな感じ?っておもったよ
その事は育ての母の耳に入り(田舎だから?)少し哀しかったみたい(ごめんね)
父はいつも家に居なくて、要らないと思ってたけど、なつかない私に柔道を勧めて(父が昔やってた)小学6年で体型が変化し、柔道が嫌と言ったら剣道を勧めてくれたなぁ〜
私には関心の無い父と思ってたけど、そんな事はなかった…
中学では道場にも夜車で連れてってくれた(忘れてた)
おかげで、体育大学に進み剣道も参段取れ、保健体育中・高教職も取得できました(自慢①)
全国では強くなかったので、学生剣道連盟の全国女子部長として、忙しくしてました(自慢②)
高校まではあの頃が良かったとか思う事はなかったけど、剣道連盟の仕事は楽しかった

教職試験は岐阜で受け見事に落ちました
なので岐阜マツダに入社、一応試験で100人受け、一次面接で半分、二次面接で20人、三次面接で10人に絞られ、結局同期の女子は2名(自慢③)
も少し自慢、全国のマツダで新人賞で東京で表彰この時はキョンキョン
がいたな、2年目表彰のご褒美でマニラ、3年目も東京で表彰、この時中井貴一が目の前に
そのあとは結婚し、子どもができた時退職しました…
今日はここまで、最後まで読んでいただき、ありがとうございます