歴史作家井沢元彦氏の著作です。

『武田信玄500年真実』は信玄の政治、家臣団について書かれています。 

川中島の戦いで上杉謙信との一騎打ちについては実際にあったのでは❔と提唱されています。

根拠は味方の本陣に迫られ、一時は信玄の守りも手薄になるなど、危機的状況にあったにも関わらず、謙信の武勇を褒め称えているからです。

甲陽軍鑑は武田四天王で、滅亡まで心を配っていた高坂弾正昌信の手に寄ります。

山本勘助は実在の人物とされていますが、実力主義ではなく、足軽大将でとまり、武田家が成果主義ではないことを書かれています。

天下統一を見据えて楽市楽座を実施し、京都までの道程を確保した織田信長に比較し、信玄の舞台は部隊は半農半士めあり、信長を撃破し、京都を占領しても農閑期には帰郷せねばならず、長期政権にはならなかったと書かれています。




2023年大河ドラマ『どうする家康』です。
 

25巻を読んでいます。

 

徳川家康は関ヶ原の戦いで、大勝し、天下の覇権を獲得し、

15年後の大阪の陣で豊臣家を滅ぼします。

 

滅ぼしても秀頼な大阪城を出るならを大和等に移して生かす事

も考えていたでしょう。

秀頼に嫁いだ孫千姫の幸せを願いたい。

 

大御所となった家康の苦悩も書かれています。

 

秀頼と母淀君は櫓に押し込められ、自害して果てます。

井伊勢が外から発泡したとも言われています。

 

口実をつけて、討伐しようとした現場の判断です。

 

 

 

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の影響からか10年前に書いた記事にアクセスがありました。

 

全成は牛若丸義経と同母兄弟でした。

平治の乱で父の死後、京都の醍醐寺に預けられて20年間修行を積みます。


平家打倒のたむ、兄頼朝が立ち上がったときに全成が兄弟の中で一番最初に駆け付けたと言われています。

 

鎌倉幕府創立に貢献しましたが兄の死後に謀反の疑義を掛けられ、常陸で処刑されます。


大河ドラマでは、全成には鎌倉殿になるといった野心はありませんでしたが比企と北条の

主導権争いに巻き込まれた様子でした。

 

妻は北条政子の妹で生まれた息子が時元になります。