徳川家康の長男で嫡子の息子は岡崎三郎信康と名乗ります。徳川家を名乗れるのは当初は家康だけでした。

ちなみに、三郎は、信長の通称です。
信長自身が三男でした。

信長の嫡子は勘九郎でした。
これは織田家の親戚筋の名乗りでした。

信長の織田家は直系ではなく、傍系でしたので、嫡子には直系にあたる、織田家の通称を名乗らせ、娘婿の信康には、自らの出身である、織田家の親戚として優遇したとも取れます。

信康は徳川を名乗れたかははっきりしません。

よだんですが息子たちが徳川の名乗りを許されるのには、時間ががかります。



今年も妻と娘と行きました。
最終日でもあるので、多かったです。
毎年行ってますが、今年は多かったです。
水も冷たい気がしました。











娘もやってました。
大吉でした🍀



日本で一番大きな古墳は堺市の前方後円墳です。

網野銚子山古墳

府内で唯一、墳の長さが200めーを超えます。
5基な丹後に集中しています。

日本海三大古墳時代のトップ3に当てはまります。

神明山古墳は4世紀後半に築造。

府内最大の網野銚子山古墳は最後に築造されました。京丹後市の旧網野町中心部を見下ろす小高い丘陵にあります。

日本海に突き出す丹後半島は弥生時代已来、大陸にアクセスする窓口として、様々な文物が行き交う。
5世紀には再び中央で政権交代があり、河内に巨大な古墳が造られるようになりました。

黒部銚子山古墳や奈具岡北古墳などの有力な古墳を最後に、だんだんと小さくなっていきます。
中央政権の政局に左右されながら、日本海に面するという地の利を活かします。