1221年)、後鳥羽上皇は「流鏑馬揃え」を城南宮で催した。これは北条義時を打倒する兵を集結させる口実であり、上皇は 承久の乱を起こすものの西上してきた鎌倉幕府勢により敗れた。また同時期に天皇方において盛んに行われていた熊野三山への参詣時に、方除けの精進所として旅の安全が祈願されており、現在の方除け信仰につながっている。
室町時代の頃からか、この地にあった真幡寸神社を取り込んでしまったようである。
応仁の乱などの戦乱で荒廃したが、江戸時代
になって復興された。幕末の1863年には孝明天皇
の攘夷祈願の行幸があり、これを機に1年に3回(正月、五月、九月)の代参・御祈禱が恒例となった。新政府軍の掲げる錦の御旗の前に旧幕府軍が総崩れとなった1868年
の鳥羽伏見の戦いの主戦場となったのはこの地である。






















