こんばんは。

私は社会人1年目の25歳。


今日は発熱し会社を休んだ。

一人暮らしだから、病院に付き添ってくれる人も看病してくれる人もいない。

当たり前なのだが、こういう状況にならないと気づかないものである。

気づいてしまったが最後。

どんどん孤独が押し寄せる。


しかし、私には彼女がいる。

とても可愛く、聡明で、私には勿体ない人だ。

彼女は実家暮らしの大学院生であり、あと3年間は学生の予定だ。


彼女の家から私の家まではかなり距離があるので、例え風邪をひいたとしても看病しには来られない。

だが、看病しに来られない本当の理由は距離が遠いことではないのだ。


私は彼女の両親に良く思われていない。

家柄や学歴などのせいである。

だから彼女と生涯を添い遂げることはできないだろう。

きっと結婚までは至らない。

だから、これから先の人生でまた風邪をひいたとしても、一緒に病院に付き添ってくれることも看病してくれることもないのである。


私は恋愛の先に必ず結婚があると思って生きてきた。

きっと多くの人がそうなのではないかと思う。

だが、彼女は違うのだ。

彼女は愛を何よりも重んじる。

愛があれば、それで良いのだ。

一緒に住むことができなくても。

夫婦になれなくても。


私なりに彼女の考えを理解しようと努めてみた。

たしかに、紙切れ1枚の契約書を提出して法的に夫婦になること自体に、そこまで大きな意味があるとは思えない。

むしろ、そのことによって2人の愛が深まることに意味があるのではないかと思う。

したがって、婚姻届を提出せずとも、つまり法的に夫婦にならずとも、愛を深めて行ければそれで良いという点については、妥協の末に納得はできる。

もちろん、何にも縛られず法的に夫婦となることができれば最も良いが。

だが、一緒に住めないという点についてはどうしても妥協できない。

風邪をひいたら、ただ隣にいてほしいから。

それだけで安心する。

LINEや電話で心配してくれるのは有難いけれど、同時に孤独が引き立つ。

「こんなに心配してくれているのに、隣には居ないんだなぁ」と思ってしまうから。

何も風邪の時だけじゃない。

弱っている時に隣にいてほしい。

どうしようもなく寂しい夜、自分の不甲斐なさに打ちひしがれた日、そんな時に貴方が隣に居てくれたら安心する。大丈夫だと思える。

私はこうした物理的に距離が近い場合に感じられる、安心や幸福を愛に含めて考えている。


こうした愛を求めてしまうことは、なにもおかしなことではないだろう。

きっと多くの人が求めていることだと思う。

だが、きっと彼女は物理的な距離が遠くても、その状況の中で愛を見つけて大事にしていくことができる人なのだろう。

それはそれで素敵だ。


それでも、どうしても私はこう思ってしまう。

愛してくれる人が隣にいてくれれば。