。。。ぼく負けないよ。。。。。
ある日の出来事
わたしは職場で左脚を怪我してしまい安静にと言われて、松葉杖生活が始まりました。
自分が、こんな状況になり、息子が病気になり闘いぬいてきたことをおもいだし、夕べ、息子とこんな話をはじめた。
『たっちゃんは、偉いなあー、両足装具をつけて、何年も(4年位)頑張り抜いてきたね。
根もあげずに。
お母ちゃんだったら、きっと、耐えられないわ。』
と。
息子は笑い
『装具をつけてたけど、走ってたもの』
あれは、忘れてもしない、11年前の秋の季節です。
保育園に通ってた息子が夜に突然叫んだ。
『足が痛い。痛い。』
(T . T)泣き喚いた夜。
私は、どこが痛いのか聞きましたが、はっきりとわかりません。
男の子って、成長痛の時痛がる子がいてる話しを聞いたことがあったので、年齢的にそれかなと、朝まで様子を見ることにしました。
次の朝、息子はけろっとしてました。
男の子って、成長痛の時痛がる子がいてる話しを聞いたことがあったので、年齢的にそれかなと、朝まで様子を見ることにしました。
次の朝、息子はけろっとしてました。
たっちゃんに痛い所無いかな❓とききました。
『うん。痛く無いよ』
と、
と、
何もなかったように、いつもと変わりません。
元気に保育園に行き1日すごせました。
昨日の夜が、嘘かのように普通に過ごして、
昨日の夜が、嘘かのように普通に過ごして、
何日かして、また、
『痛い痛い。』
あの日の夜と同じ。
それから、びっこをひきはじめました。
この様子はなんか違うと、なーんか嫌な予感がはしりました。
『痛い痛い。』
あの日の夜と同じ。
それから、びっこをひきはじめました。
この様子はなんか違うと、なーんか嫌な予感がはしりました。
運動会が終わり、すぐに病院へ行きました。
今の整形外科は、紹介状なければ受診受け付けない所が多いよと聞いたこともあり、近くの病院の大きな所は皆んなそう。
まずは個人の整形外科にと思い探しました。
検索したら一駅先に良さそうな所があり、自転車の後ろにたっちゃんをのせて急ぎました。
心の中で『何もありませんように』と願いながら。
『○○さん』
と看護婦さんに呼ばれて、中にはいり、レントゲンを撮ってみましょうとなりました。
年配の優しそうな男の先生。医学の本を持ってきて、写真をみせてくださり説明してくださりました。
『お母さん、これは、昔からある病気。
ペルテス病ですわ』
聞いた事もない病名。この先この子の脚はどうなるのだろうか?痛みかかえながら、最後までした運動会。たっちゃん、ごめんね。ごめんね。
聞いた事もない病名。この先この子の脚はどうなるのだろうか?痛みかかえながら、最後までした運動会。たっちゃん、ごめんね。ごめんね。
この言葉を何度も呟いた私がいてました。
先生は、
『ここの病院では治療する設備もないから、大きな病院へかかりなさい。』
『ここの病院では治療する設備もないから、大きな病院へかかりなさい。』
病院を紹介状してくださり、予約をして、あらためて、大きな病院にかかりました。
今度は若い先生でね、
今度は若い先生でね、
『やはり、ペルテス病ですわ』
その後
『お母さん、時間はかかりますが、治りますよ。一緒に治していきましょう。』
一言かけられた言葉は、親子の励みになり、この先生を信じよう。と、
『お母さん、時間はかかりますが、治りますよ。一緒に治していきましょう。』
一言かけられた言葉は、親子の励みになり、この先生を信じよう。と、
心強い一言、言葉に救われましたね。
ペルテス病、聴いた事もない病名について、現実、今の状況を受け止めるしかなかった。
ペルテス病、聴いた事もない病名について、現実、今の状況を受け止めるしかなかった。
自分で、色々と検索しました。
かかれてたのは、原因不明の病気、わかってる事は、活発な子供になりやすいとね、
脚の骨頭部分まで血液がまわらなくて
仮死して、骨が溶け、変形してしまう。
もう一度、再生するまで待つということ。
治療は、脚に負担をかけないように装具をつけて治します、。
中には、手術となる場合もあります。。
脚の骨頭部分まで血液がまわらなくて
仮死して、骨が溶け、変形してしまう。
もう一度、再生するまで待つということ。
治療は、脚に負担をかけないように装具をつけて治します、。
中には、手術となる場合もあります。。
そして、同じ病気を持つお母さんがつくった、ペルテス会というのがあり、掲示板もあり、登録しました。
息子は運良く、発見したのもはやくて、手術はのがれました。
両足装具で治す治療になりました。
幼い身体に、重たい装具をつけての生活がはじまりました。
はじめは嫌がり、こんなのつけない。保育園もいかないと喚き泣いたり。
息子は運良く、発見したのもはやくて、手術はのがれました。
両足装具で治す治療になりました。
幼い身体に、重たい装具をつけての生活がはじまりました。
はじめは嫌がり、こんなのつけない。保育園もいかないと喚き泣いたり。
とてつもない気持ちになりましたね、
しかし、これではいけない。この子の為にはならないと腹にきめて、闘いました。息子とむきあいました。
話しても、理解しづらいがこの子ならわかってくれると。
話しても、理解しづらいがこの子ならわかってくれると。
何故つけるのか。?
この装具がたっくんの脚の一部になるというのを話しました。恥ずかしくないということも、何度も何度も。
3、4日はかかりましたね。
この装具がたっくんの脚の一部になるというのを話しました。恥ずかしくないということも、何度も何度も。
3、4日はかかりましたね。
次の日、
『ぼく、保育園に行くよ。』
装具つけるのも嫌がりませんでした。
保育園も行くと、保育園のお友達みんな心配してくれて、幼いなりに声をかけてくれて、皆んなが助けてくれました。。
保育園も行くと、保育園のお友達みんな心配してくれて、幼いなりに声をかけてくれて、皆んなが助けてくれました。。
たっちゃんの性格のよさもあったのでしょうね。
心優しいたっちゃんは、女の子が、たっちゃの横がいいと、いつもとりやいになってるんですよ
と、保育園の先生が話されてました。
女の子だけではなく、男の子もとりやいに。
微笑ましくて、羨ましくて、笑ってしまいましたね。
あーぁ。よかった。ここならたっちゃんもやっていけると思いましたね。
装具付けての中、有り難く発表会もできました。
装具付けての中、有り難く発表会もできました。
無事に卒園式も終わり、ピカピカの一年生。
ランドセル🎒は重たくてかつげません。
リックサックで、車椅子での通学となりました。
有り難く、障害持ってる子供がいてるお母さんが、息子がつかってた車椅子で、使わなくなったからとかしてくれました。。
『いじめ』なあった子もいてる。
頭によよぎりました。そして、支援サポートしてもらおうと決めました。
入学する前に一緒に学校に行き、どんな状態かみてもらい、私は、校長先生にお願いしました、
『全校生徒の前でこの子の話しを、何故、この子は装具をつけてるのか❓などを話してあげてください』
とね。
我が子のような子がいてるのをしってほしい願いと、周りの手助けも必要となる場合があるというのを子供達にわかってもらいたい。世の中には、いろんな病気で闘っでる人がいてるというのも知って欲しい願い。偏見な目でみるのではなく。
そんな想い願いからです。
校長先生は、全校生徒の前で話をしてくれたそうな。
それがよかったのか、恵まれたのかはわかりませんが、同級生が、有り難く、荷物を用意してくれたりお、助けてくれました。
それがよかったのか、恵まれたのかはわかりませんが、同級生が、有り難く、荷物を用意してくれたりお、助けてくれました。
いじめもありませんでした。
^_^
男の子、じっとはしてません。
脚以外は元気なんですものね。^ - ^
病院で止められたこと。。。。
^_^
男の子、じっとはしてません。
脚以外は元気なんですものね。^ - ^
病院で止められたこと。。。。
ジャンプはしてはいけない。
走るのもいけない。
重たいものもつのもいけない。
脚に負担かかる事はしない。
聞くはずがありません。
いつしか、装具にも慣れてきたころ、早歩きになったり、装具つけてることを忘れたかのように走ったりと。その姿をみつけては
、その度に大声で
『走ったらいけないでしょう』
と、とめます。何度も続いてまいってしまう日もありましたね。
一番はしゃぎたい年齢、大人しくしといてったってね。。気持ちわかるんだけど、、、
装具をつけてたら、痛みもないので、忘れてしまうのもわかるんだけどね。笑(o^^o)
そこで、私は考えました。
走るのもいけない。
重たいものもつのもいけない。
脚に負担かかる事はしない。
聞くはずがありません。
いつしか、装具にも慣れてきたころ、早歩きになったり、装具つけてることを忘れたかのように走ったりと。その姿をみつけては
、その度に大声で
『走ったらいけないでしょう』
と、とめます。何度も続いてまいってしまう日もありましたね。
一番はしゃぎたい年齢、大人しくしといてったってね。。気持ちわかるんだけど、、、
装具をつけてたら、痛みもないので、忘れてしまうのもわかるんだけどね。笑(o^^o)
そこで、私は考えました。
そだ、声のかけ方を変えてみよう
『たっくん、さっきした事は脚にいいのかな?
病院の先生はなんて言われたのかな?』
自分できづいたら、とまるかな?
走ってしまうたびに、声をかけ、
子供はきづきます。
声のかけ方で変わったりとします。
息子は、
『あっ、いけないと、』
『先生、、、はダメだって言うてた』
はっとしてとまり、歩きはじめました。
一緒に闘ってるなかで、声のかけたかでかわるということを。たんぽぽの根のように強くということを。病魔と闘う中で色んなこときづかせてもらい、子供に学びました、
できた親ではありませんが。^ - ^
『続く。。。
『続く。。。