14時頃、空を見上げると、雲がモクモクと広がっていて、世界は遠く、広いなと思った。
物があるとリアルな感じが強まる。
15時頃、考え事から視線を戻すと、さっきまであんなにあった雲は、きれいさっぱり消えていた。びっくりした。
おそらく、そこにはわたしの思い込みがあったのだ。
「快晴」といえば朝一番だろう、と。だいたい朝九時のイメージがあったので、15時に快晴になることが不自然に思えたのだろう。
快晴は仕切り直すためにある。雲が普通に散っている空からの延長ではなく、突然現れるものだ、と思い込んでいたからだ。
それに15時は日没まで残り2時間ほど。今さら快晴になっても、人は見てくれない、とも思った。快晴は、人に見られてナンボ、とも。
そのとき、子連れの夫婦が立ち止まって話していた。
「ちょっと待って、寒い」
え? わたしは空気が暖かいな、もう春なんだなと感じていた。
もしかしたら、体感温度が違うのかもしれない。
ふと自分の足元を見ると、裏起毛のブーツをはいていた。
わたしが一番冷える場所を知り、その防寒が機能していたからこそ、日の光を暖かく感じられたのかもしれない。
周りの人は寒いと言っていたけれど、わたしには暖かさが届いていた。
午後の空が、思い込みを解きほぐし、わたしに小さな気づきをくれた。
快晴はいつだって、仕切り直しのためにある。
そして、自分が感じる世界は、誰かと同じではなくてもいいのだ。