僕は好き嫌いが激しく偏食で野菜が全く食べれません(じゃがいもはおk  野菜ではない・・・)

これは幼稚園の頃にはもうなっていたのでもっと前からなんでしょう

味がダメなのではなくはじめから拒絶します

もし例えばピーマンが入っていることを知らずにピーマン入りハンバーグを食べたとしましょう

僕はおいcといいます

しかしピーマン入っているで、と言われたら急に食べたくなくなります


むしろ不味く感じる


野菜に関してはまぁ野菜ジュース(フルーツ50 野菜50の)を飲めばいい

ミルクティーを飲んだ時無糖でまずかった

しかしロイヤルミルクティとか言ってあったので高いつまり上品な味なんだろうと思うと美味しく感じた

ゲロだと思って飲んだらまずく感じた


偏見か? 考えていないのでまた今度
気持ちの問題で変わる





ここでもいい僕はネットで偏食と調べました

そしたら一番上に発達障害と偏食というページを見つけました


その時僕は喜びました


他にあるかなーと見たがどうやらそれだけっぽい


だけども喜んでしまいました


つまり自分が発達障害だという根拠をまた一つ手に入れたからです

偏食なので発達障害だ

どう考えてもそんなことないのだが変に納得している喜んでいる自分がいる


偏食だからって発達障害ではないのに・・・


なぜ僕は喜んだんでしょうか??


喜んだってことは発達障害であることが嬉しいんですよね

てことはメリットがあるはずだ。


発達障害であれば全て発達障害のせいにできる

勉強できない 運動できない 人間関係できない

実際に全部人より劣っています


これを発達障害のせいにすることができる


気分が良くなります


俺は悪くない    と。


しかし努力不足が大きいはずです(今書いてる自分は努力不足ではない。とか思っている  そうだと盲信している)


上位の人間とあった時に大衆は性格よくないからとガス抜きしますが僕はできません

彼ら 彼女らが性格  つまり人格的に優れた人が多いことをしっているからです  といっても5、6人しか知らないが     やっぱ謙虚だと思う 全員



僕は発達障害のせいにします
かてないことを、


こいつとは基本性能が違うんだ


勝てるわけないと。


自分らしくいけばいいんじゃないか?と


しかし欲としてなんとしてもあの東大 京大などにいく受験マシーンに勝ちたい(受験マシーンという滑稽さがある名前にしたのは相手が受験しか考えていないと思っているからです。いや彼らは受験勉強しながら僕以上に物事を考えているでしょう)


勉強では負けているが知的好奇心はないとか言ってなんとか勝ちたんでしょう 


こうやって低レベル大学(fラン)にいっても正気を保つのでしょう


勉強以外の本は読むぞぉーと。
ノンフィクション読むぞぉーと。

しかし今まで続いたことはありません


(fラン)大学行ってもすぐやめてしまうでしょう

つまり僕にはたいした知的好奇心はないのです

もしあるのなら覚えられなくてもやるでしょう

例えば僕は萌えアニメが好きです(きもい)


ごちうさというアニメにリゼという女の子がでてきます

彼女の身長が知りたくて調べました

160cmでした

でも別にこれが死ぬまで役に立たなくても文句ありません

これが純粋な知的好奇心というものではないでしょうか?


知的好奇心だといって本を読みますがそれが一生使えなかったら怒るでしょう

なんでだよ、と。


つまり知的好奇心が0とはいいませんが限りなく0に近い   というか無理やりあげる    俺は知りたい!   知りたいんだ!!と思うと本当に知りたいと思う(不思議)

じゃなぜ本を読むのか

賢くなれると思っている


それは単純に頭いい人は本を読んでいるという低レベルな考え(考えでもない  偏見)なんだろうな