ネイティブ・アメリカン ドン•ファン
より 2000年以上前の
アネケより
カルロス•カスタネダと北山 耕平さんと わたしを通して 伝える
シャ-マンの ことば
力というものは 人間の持つ知識の
種類に依存しているのだ
愚にも つかないことを知ることに
いったいどんな意味があるのだろうか
未知なるものとの避けられない遭遇のために
そうしたものが 役に立ったためしはない
この世界にあらかじめ与えられている才能などというものはただの一つもない
学ばなくてはならないことは
地道に 一歩一歩学んでいかなくてはならない
[ドンファンの教え]より
戦士(シャ-マンの別名)は
自分がただの人間でしかないことを知っている
残念なことは 唯一 自分の人生が短すぎて
欲しいものをすべて
その手に掴みきれないことぐらいだろう
しかし
当人にとっては そんなことは大したことではない
ただ 少し 情けないだけだ
大切だと 思う気持ちが 人を重苦しく ぶざまで
つまらないものにする
戦士であるためには
軽やかで 柔軟でなくてはならない
[分離したリアリティ]より
いかなるときでも
たとえ瞬きをするあいだにでも
生活の中のなにであれその気になれば断つことができるという事実に
われわれはまるで気が付いてはいない
写真を撮ったり 録音することに
気を 取られていてはならない
それらは 穏やかな 暮らしには
余計なものばかりではないか
どうせなら ないがしろにされている
スピリットのことを心配するべきだ
[[イクストランへの旅]より
戦士の己の自信は
並みの人間の自信とは ちがうものだ
並みの人間は 傍観者の目の中に
確実さを
探し出して
それを自身と呼ぶ
戦士は自らの目の中に 無欠さを見出して それを
謙虚
と呼ぶ
並みの人間は そばにいる人間たちにとらわれているが
戦士は ただ無限なるものにのみ
とらわれている
数年前にはできないと思われていたことでも
時を経た 今ならできることが戦士にはたくさんある
できなかったことが できるようになっても
それ自体が変わったわけではない
変わったのは 戦士の自分に対する
考え方なのだ
[力の話]より
失うものが何ひとつない時
人は勇敢になる
臆病になるのは
われわれにしがみつけるだけのものが
残されているだけに他ならない
物事の成り行きを 偶然に 委ねるなど
戦士には まず できるわけもない
戦士は知覚する力と {不屈の意志}
の二つの力で 出来事の結果に
実際に影響を与えるのだ
[力の第二の輪]より
{夢見の術}とは
人が見る 通常の夢を 利用し
{夢見の注意力}と呼ばれる特別な
形態の気づきの力を使って
普通の夢をコントロールされた意識へと
転換させる能力のことである
{忍び寄りの術}とは
考えるあらゆる状況の中から
戦士が 最善のものを 引き出すことを
可能にする
一連の手順と態度のことである
[イ-グルの贈り物]より
悲しみと憧れのない
完璧さなどあり得ない
なぜならそれらがなければ 真面目さもないし いたわりもないからだ
いたわりのない知恵も
真面目さもない知識も
使い物にはならない
自尊心は 人間の最大の敵である
良きにつけ 悪しきにつけ
彼と共にいる 人間によって 感情を
害されることになる
尊大ぶることは
人が人生の大半を
誰かによって あるいは何かによって
腹を立てたまま過ごすことを 要求する
[内からの炎]より
時間がたてば
シャ-マニズムが戦士の身につく
などということはない
そうではなくて 時間と共に 戦士が学ぶのは エネルギーを蓄えることだ
この蓄えられたエネルギーのおかげで
通常では 近づくこともできないような
エネルギーの場のいくつかを やがて
取り扱えるようになるのである
シャ-マニズムとは 気づきの状態の一つであり
それは われわれの日々の暮らしのある
世界を感知する目的があるのではなく
エネルギーの場を使うためにある能力なのだ
この宇宙の中には
計り知れない 言語に絶する ある一つの力が存在する
それをシャ-マンたちは{意志}と呼ぶ
そして宇宙全体に存在する万物は
例外なくひとつの 連接輪 によって
その{意志}と結び付けられている
戦士たちの関心事は
その 連接輪について 語り合い
理解し 自らのために役立てることである
彼らは とりわけ 自分たちの日々の暮らしの かまつな 心配事で 輪が
鈍らされないように
常に その輪を きれいにしておくことに 気を配る
つまりこのレベルにおけるシャ-マニズムとは {意志}と連接されている
個々の 輪を 汚れのないものに
しておくための 手順と
定義づけることができる
[沈黙の力]より
8部 構成の すべて 2ぺ-ジずつ
お届けします
不定期にて ブログ更新
より 2000年以上前の
アネケより
カルロス•カスタネダと北山 耕平さんと わたしを通して 伝える
シャ-マンの ことば
力というものは 人間の持つ知識の
種類に依存しているのだ
愚にも つかないことを知ることに
いったいどんな意味があるのだろうか
未知なるものとの避けられない遭遇のために
そうしたものが 役に立ったためしはない
この世界にあらかじめ与えられている才能などというものはただの一つもない
学ばなくてはならないことは
地道に 一歩一歩学んでいかなくてはならない
[ドンファンの教え]より
戦士(シャ-マンの別名)は
自分がただの人間でしかないことを知っている
残念なことは 唯一 自分の人生が短すぎて
欲しいものをすべて
その手に掴みきれないことぐらいだろう
しかし
当人にとっては そんなことは大したことではない
ただ 少し 情けないだけだ
大切だと 思う気持ちが 人を重苦しく ぶざまで
つまらないものにする
戦士であるためには
軽やかで 柔軟でなくてはならない
[分離したリアリティ]より
いかなるときでも
たとえ瞬きをするあいだにでも
生活の中のなにであれその気になれば断つことができるという事実に
われわれはまるで気が付いてはいない
写真を撮ったり 録音することに
気を 取られていてはならない
それらは 穏やかな 暮らしには
余計なものばかりではないか
どうせなら ないがしろにされている
スピリットのことを心配するべきだ
[[イクストランへの旅]より
戦士の己の自信は
並みの人間の自信とは ちがうものだ
並みの人間は 傍観者の目の中に
確実さを
探し出して
それを自身と呼ぶ
戦士は自らの目の中に 無欠さを見出して それを
謙虚
と呼ぶ
並みの人間は そばにいる人間たちにとらわれているが
戦士は ただ無限なるものにのみ
とらわれている
数年前にはできないと思われていたことでも
時を経た 今ならできることが戦士にはたくさんある
できなかったことが できるようになっても
それ自体が変わったわけではない
変わったのは 戦士の自分に対する
考え方なのだ
[力の話]より
失うものが何ひとつない時
人は勇敢になる
臆病になるのは
われわれにしがみつけるだけのものが
残されているだけに他ならない
物事の成り行きを 偶然に 委ねるなど
戦士には まず できるわけもない
戦士は知覚する力と {不屈の意志}
の二つの力で 出来事の結果に
実際に影響を与えるのだ
[力の第二の輪]より
{夢見の術}とは
人が見る 通常の夢を 利用し
{夢見の注意力}と呼ばれる特別な
形態の気づきの力を使って
普通の夢をコントロールされた意識へと
転換させる能力のことである
{忍び寄りの術}とは
考えるあらゆる状況の中から
戦士が 最善のものを 引き出すことを
可能にする
一連の手順と態度のことである
[イ-グルの贈り物]より
悲しみと憧れのない
完璧さなどあり得ない
なぜならそれらがなければ 真面目さもないし いたわりもないからだ
いたわりのない知恵も
真面目さもない知識も
使い物にはならない
自尊心は 人間の最大の敵である
良きにつけ 悪しきにつけ
彼と共にいる 人間によって 感情を
害されることになる
尊大ぶることは
人が人生の大半を
誰かによって あるいは何かによって
腹を立てたまま過ごすことを 要求する
[内からの炎]より
時間がたてば
シャ-マニズムが戦士の身につく
などということはない
そうではなくて 時間と共に 戦士が学ぶのは エネルギーを蓄えることだ
この蓄えられたエネルギーのおかげで
通常では 近づくこともできないような
エネルギーの場のいくつかを やがて
取り扱えるようになるのである
シャ-マニズムとは 気づきの状態の一つであり
それは われわれの日々の暮らしのある
世界を感知する目的があるのではなく
エネルギーの場を使うためにある能力なのだ
この宇宙の中には
計り知れない 言語に絶する ある一つの力が存在する
それをシャ-マンたちは{意志}と呼ぶ
そして宇宙全体に存在する万物は
例外なくひとつの 連接輪 によって
その{意志}と結び付けられている
戦士たちの関心事は
その 連接輪について 語り合い
理解し 自らのために役立てることである
彼らは とりわけ 自分たちの日々の暮らしの かまつな 心配事で 輪が
鈍らされないように
常に その輪を きれいにしておくことに 気を配る
つまりこのレベルにおけるシャ-マニズムとは {意志}と連接されている
個々の 輪を 汚れのないものに
しておくための 手順と
定義づけることができる
[沈黙の力]より
8部 構成の すべて 2ぺ-ジずつ
お届けします
不定期にて ブログ更新